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Title: 続聖道浄土。
2012.01.31 きっと賛否両論あるし、自分にもまだまだ見えていない世界がたくさんあるので、あくまで自分の了解として、でもれっきとした主張としてすべてはき出しておきたい。 聖道・浄土の慈悲について書いて、聖道の慈悲は小悲であって、それでは本当の意味で人を救えなくて、浄土の慈悲は大悲であり、人間そのものに向けられたものであるから、衆生を救えるのは浄土の慈悲によってである。だから自分は、聖道から浄土へのかわりめを大事にしたいと。ざっくりいうと自分の主張はそうなのだけど。 だからといって誰かに手をさしのべたり、今目の前にいる人達に寄り添い、地に足をつけて活動したりすることを無駄だとか、否定しているわけではないし、自分がそういうことをしないと決めているかといえばそうじゃない。むしろ自分の中でそういう気持ちは強いと思う。すぐに感情移入するし、よけいなことまで首を突っ込んでなんとかしたいとか思ってしまう節があるのもいなめない。 それに炊き出しをしたり、自死対策に取り組んだりと活動している僧侶を心から尊敬しているし、そういう人達が現代では、僧侶としてのアイデンティティの一端を守ってくれているのだと思っているし、料理やイベントを通して、若い感性とやりかたで、今の仏教をあぐらをかくことなく発信してくれている人がいることで、世間での仏教や、お寺や、僧侶としての立ち位置をより垣根の低いものにしてくれて、そこにこそこれからの仏教の可能性はあると思っている。 なので誤解がないように言いたいのだけど、社会活動をしている人や、活動自体を無駄だとか否定しているわけではない。むしろ尊敬している。 ただ自分のできることという意味で考えた時に、仏教界では賛否両論あり、中にはあの寺は葬儀請負業者だと揶揄されることもあるが、自坊では頼まれた葬儀はどんな葬儀にでもいくという形なので、葬儀だけでも年間100件近くの葬儀を行う。もしかするとこれからもっと増えていくかもしれない。(今自分がやっているのはその3分の1に満たないくらいだけど)それでもその中で、死の現場にでてみて、たくさんの家族や遺族や、死に様をみる機会は多いと思うし、感情移入したくなくとも、自分の死に様や家族との別れのことや、死んだ後のこととか、いやでも自分に置き換えて考えることが多い。 だからこそ、いよいよ、いつか自分もああやって死んでいくのだなという怖さとか無常観とかも強くなったのかもしれないと思う。だから自分勝手なようだが、自分は外に目を向けている時間があるのであれば、まずは自分のその気持ちにどう折り合いをつけたらいいか考えることに時間を使いたいし、どうしたらそういう想いを払拭できるのか考えている。そしてたまたまこの環境にいれば、その答えを教典や聖人の言葉の中に探すのは自然な流れなのだと思う。 おそらく自分の考えや思考を突き詰めていくとこういう動機付けがあるのだろうと思う。 昔はそれでも、ただ自分の為だけに勉強したり、正直布教とか教化とかどうでもいいし、自分の中でもっと気持ちが楽になれて、安穏とできるところにいけるならそれだけでいいという想いに堂々と胸を張れない部分があって、外に出て行かなければいけないし、もっと僧侶としてのアイデンティティを確立させなければいけないと思っていた。 宗派を越えた若手僧侶の集まりにでたり、布教教化についての勉強をしたり、自分自身で話すことや伝えることを磨こうとしてきたのはそういう想いからだったのだと思う。 そんなこんなで、20代のうちに色々と活動してきて、怖いものを怖いと思う感性も、死んでいくことに折り合いをつけていくということも、こそうやって自分の為にやっていることがこれから先の人生で、誰かの為や誰かの役に立つこともあるのだと思えるようになった。だからきっとこれから先も自分の感性と感覚の中で、教典や聖人の言葉に体感を伴わせながら生きていくというのが、自分が僧侶として進んでいくべき道であると思っている。 大人げないかもしれないが、自分はそんな動機付けと、気持ちで生きているから、社会活動とは一口に言っても、幅は広くひとくくりにしてしまうのはとても難しいし、すべてがすべてではないのだけど、おそらく社会活動というよりも政治活動にあたるような活動に精をだしている僧侶が怒りをあらわに、自分のしていることはさも正しいことだと価値観を振り回している姿に、手元がおろそかになっているような違和感を覚えるのだろうと思う。 また簡単に僧侶は死の専門家だということを言ってしまう僧侶がいることにも違和感を覚える。自分は向き合えば向き合うほどわからなくなるのが死だろうと思っているし、向き合えば向き合うほど軽はずみなことが言えなくなるのが死だろうと思っている。だから「わからない」ということもれっきとした主張であると思うし、軽はずみにわかったようなことをいうような僧侶にはなりたくないと思っている。 ある人の言葉の引用だが、 聖道の慈悲と浄土の慈悲は、何もしない人の言い訳の理屈になっているでしょう。それは一番残念だわね。でもそういうことをいう人はおいておいたらいいのですよ。そういう人のお尻たたく必要もないし、そういう人はそういう人でまた考えることだし、争う必要もない。 これを言いたくなる気持ちはよくわかる。実際真宗の教えの中には、いくらでも言い訳にも逃げ道にもなるような解釈ができるものがたくさんある。実際、歎異抄が書かれた理由もそれが一番大きかったのだろうと思う。 しかしこの発言の中で「何もしない」ということは活動をしていないということを指しているのだとしたら、通夜と葬儀をこなしているだけの僧侶は何もしない僧侶に区分されてしまうようなニュアンスが含まれていることが残念に感じる。 僧侶として「何も活動しない」ということも自分は1つのあり方であると思うし、活動をしていることと同じくらいの比重を持っている場合もあるということを主張しておきたい。 そして外へ向けて、社会に向けて活動している人だけが意識が高く、志が高いのではないと思っている。 そして経験や活動を通しての言葉にこそに説得力が伴うというのであれば、自分は僧侶として当たり前のことをするだけで説得力を持たせられるだけの実力をみにつけてやろうと思っている。 それとこれも引用だけど。 紛争中に武装せずに入っていって、そして、その両方の立場を調停するというこの運動の日本側の運営委員は70歳代の在家出身の西本願寺のお坊さんです。 彼は、3年ほど前に出家したけれども、それまでは会社のサラリーマンですね。縁があって、西本願寺で得度はして、法名を名乗っておられるけども、彼はこれからは、非暴力・平和隊のような活動が一番大事だし、仏教に生きる人間はそういう活動を支える方にまわるということが大事じゃないかと言って、孤軍奮闘の運動を始めている。 それで彼を招いてこの間話をいろいろ聞いたんです。その時に、やっぱりお東の人が、聖道の慈悲と浄土の慈悲の話をあなたどう思いますか、と聞いたわけですね。 その人は、歎異抄の第4章のあの言葉は、親鸞聖人という人が、よほど人々を救おうと思って努力をされて、どうしても救うことはできないという体験に裏付けられて、おっしゃっているのであって、自分はまだまだそういう聖道の慈悲と浄土の慈悲があるのだということは言えない。自分としては、まだ全力を尽くして人々のために尽くすとか、困っている人を助けるという経験は、まだまだ足りないと。足りない人間には、あの言葉はまだまだ吐けない、と言われてね。 それはやっぱり、人を説得する力がありますね。だから、繰り返しだけど、いつもあれを出す人はもう相手にする必要ないですよ。 これも気持ちはよくわかるのだけど、聖人が救おうと努力されていたのは、何から何からを救おうとしていたのかという解釈によって受け取り方が違うのだろうが、自分の解釈では、聖人は荒廃した時代に飢えや飢饉や、災害などでたくさんの死に触れ、死と向き合うことで、人々の死に対する恐怖や想いをいかに掬い取るか、そしてどう生きていくかということを、お念仏の中に見いだしたと思っている。 聖人が佐貫の国に行かれたときに、地震と洪水と飢饉に見舞われたその国で、多くの民衆が疲弊しきっている姿をまのあたりにされ、三部経千部読誦を思い立たれ、読み始めるも、4,5日でそれをやめてその場を立ち去ったという記述があるが、 それこそがまさにのちに、和讃の中で、 小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ 如来の願船いまさずは、苦海をいかでかわたるべき と書かれた動機なのだろうと思う。 つまりは、三部経千部読誦という利益を差し向けるようなことでこの苦しみや悲しみは救えないということに気づいたと言うことではないかと思う。 この言葉の解釈を通しても、自分は僧侶として当たり前に、死に際して、法話をして、遺族と接して行く中で、無力を感じて、ではどうしたらいいかと考える姿勢を僧侶のあり方として間違っていないと思うし、外に向ける時間を内に向けることで、結果として何も活動をしていないとしても、それは活動をするのと同じくらいに大切な事であると思っている。 ただし、目に見えるか見えないかの部分で、言い訳や逃げ道をつくりやすいという点で「動かない」ということは難しくもあるし、いつだって動機付けが曖昧になりがちなのではないかと思う。 自分の中で、一番違和感を感じるのは、動くこと動かないこと、やることとやらないこと、その価値は必ずしもどちらかだけに依るものではないと思っているので、どちらかに偏ってそれを振りかざすということには違和感を感じるし、大きな意味で活動家というカテゴリーにはいる人達と自分はウマが合わないのだろうと思う。 なんていう壮大な自己肯定をしてみたくなったので備忘に残しておく。 Title: 小慈小悲もなき身にて
2012.01.30 恵信尼さんの手紙の中に、聖人が42歳の時に、佐貫の国に行かれたときに、地震と洪水と飢饉に見舞われたその国で、多くの民衆が疲弊しきっている姿をまのあたりにされ、三部経千部読誦を思い立たれ、読み始めるも、4,5日でそれをやめたという記述がある。 それこそがまさにのちに、和讃の中で、 小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ 如来の願船いまさずは、苦海をいかでかわたるべき と書かれた動機なのだろう。 そしてその動機は、今回の震災に際しても同様のことが通ずるのだろうと思う。 Title: 聖道浄土。
2012.01.30 最近の原発反対などの動きをみていて、なんとなく「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり」という言葉が腑に落ちてきたような気がする、同時に「急ぎ仏になりて」ということの意味もおぼろげながら見えてきた気がする。なんか震災以後もやもやしてたことが歎異抄を読み直したことで少し晴れてきた気がする。 以下歎異抄4章原文 # 慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。 聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。 しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。 浄土の慈悲というは、念仏して、いそぎ仏になりて、 大悲大慈心をもって、おもうがごとく衆生を利益するをいうべきなり。 今生に、いかに、いとおし不便とおもうとも、 存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。 しかれば、念仏もうすのみぞ、 すえとおりたる大慈悲心にてそうろうべきと云々 # 簡単に言うと、おそらく、原発に反対する運動をすることや、被災地を物理的に支援することなども含め、つまりはその先に個別の対象(被災者・又は原発の被害に遭うであろう人達)がある場合の行動というのは、はっきりいえば、どこか側面的であるというか、常に正しいか正しくないかの判断で両極端の考え方が両立する可能性のあるもので、いわばその可能性を1%でも秘めている行動を「聖道の慈悲」と言い換えてもいいのではないかと思う。これは純粋に目の前の事象をあわれみ、かなしみ、はぐくむ心と言い換えてもいいのだと思う。 この個別の事象に対応した、「悲」をいわば小悲といってもいいのではないかと思う。 しかしその心をもって誰かを助けようと思っても、本当の所思うように誰かを救うというのは想像以上に難しい事だ。そして「小悲の慈悲」によって解決した問題の多くは、その対象における苦しみ(今回であれば、地震や津波、原発の問題)が解決されたとしても、次にまた同じような事象が訪れたときに同じように苦しみが生まれ、同じようにまたその苦しみに立ち向かわなければならない可能性があるということにもなる。 しかし一方で、「浄土の慈悲」というものを考えたときに、震災に際していうのであれば、被災したこと、又原発が原因で苦しんでいることという個別の対象を越えて、たった一度のこの被災で、どんな幸せも吹っ飛んでしまう、又どんなに心穏やかに生きていてもこの、自分の外から来る要因で一気に心乱れ悲しみに暮れてしまうという事実に、人間というもののあわれ、そしてその現実の中で生きとしいけるすべての人のこの運命に対する「悲」 これは各個別というものを越えて、人間というものそのものに向けられた「悲」つまりは大悲ではないかと思う。そしてこの「大悲の慈悲」をもって問題に取り組めば、あらゆる事象における場面において、同じ答えで臨むことができると思うのだ。 震災以後自分の中でひっかかっていたのは、震災復興に対する立ち位置はどれもどこか側面的で、誰かにとってのベストは誰かにとってのベストではないというのが正直な気持ちだった。 その中で自分はどの立場の人間にとってベストな行動をすればいいのだろうか。ということを悶々と考え、考え過ぎなのもわかっているけれど、正直立ち位置を考えあぐねていたのです。 そして先日歎異抄を読み直しているときに、4章のこの言葉が自分の中にすとんと落ちてきた気がした、自分は、被災地に足を運んだわけでもない、原発反対を表明しているわけでもない、なにか継続して物理的な支援ができているわけでもない。 しかしこの震災を通して、人間のはかなさと、もろさと、幸せとはなんであるかということを痛いほど感じて、そしてそれをどうしたら払拭できるか考えている。そしてその考えたことや、感じたことの答えを仏法の中にみつけ、体感して、それを実践還元することで、少しでも今よりも人に向き合えるきっかけになるのではないかと思うし、そういう僧侶がいてもいいのではなかと思ってる。 そして同時にその中で、大悲に深く気づかされることではじめて本願に火が灯るのかもしれないと思っている。 結局の所自分自分に聞こえてしまうかもしれないけど・・・それをつきつめていくと、 正定聚ということも、いそぎ仏になりてということも繋がってくると思うのです。 そしてさらにいえばここではじめて、往相回向・還相回向などの言葉にも血が通ってくる気がするのです。 ともに真宗よりで真宗的な考え方であり、まだまだ熟考の余地だらけなのだけど、いまの自分の中で体感として感じる御了解を備忘の為に残しておく。
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Title: ぽっけ。
2012.01.19 震災以後、自分の頭の中のポケットのようなところに散らばっていること。 今自分が幸せは何であろうかということを、突き詰めて考えるとする。それを考え抜いた末に、自分なりの理論や持論をみつけたとして、それをせっせと自分の中に還元しながら、日々を安穏と、そして穏やかに過ごしていたとする。 そのまま年をとって老人になった時に、大きな地震がきて、もしくは津波がきて、家族や家や、友人を奪い去ってしまうかもしれない。どんなに自分の中で鍛錬をしていたって、どんな人生を歩んでいたって、その悲しみをぬぐい去れる術なんてないと思う。 つまりは「幸せ」というものはそういうものなのだと思う。 自分に関係ないところで、つねに動き変わり続け流れ続けているこの世界で、幸せもつねに動き流れているのだ。 数年後の未来や数十年後の未来の幸せの為に生きて、今なにかを積み重ねたとて、そんなものは砂上の楼閣なのだと思う。 災害に見舞われなくなって、10人に1人は60才まで生きられないそうだし、2人は1人は癌で死ぬそうで、自分も例外なくそこに組み込まれているわけで。悲しみに暮れてうちひしがれて死んでいく可能性を十分にもっている。 人間の人生なんてものは、事実を見開いて見つめればそんなものなんだ。 ただ、だから悲観して、どうせがんばってもしょうがないという類の話ではなく。 だからこそ、今この一息でこれを書いていることも、この一息で深呼吸することももっと大事に思えるような自分でありたいし、そういうことを思えるだけの余裕を持てるだけの自分を保っていられるための精進だけはしておきたいと思う。 社会の中で生活をしながら生きていれば、山里にいるわけではないし、稼がなきゃ食えないから、そんな余裕ないし、なにかに追われれば、そんな気持ちなんかすぐに忘れちゃうのだけど、でもせめてそれを思い出す頻度をもっと高めたい。 幸せなんて次の瞬間にはなくて、今の瞬間にあるかどうかみたいなものなんだきっと。 青い鳥の意味はそういうことなのだきっと。 こういうことを思える自分を保つということは大変な事で、その自分をどうやったら保てるかということを突き詰めていくことが仏教でもあるのかもしれない。 Title: 梵。
2012.01.19 この寒い朝に、白い息をはく、その一息ごとに自分の体温が外に漏れ出して、冷たい空気を吸い込むその一息ごとに身体の中がぴりっと締まる。 なんか、こうやって自分の身体の中で暖められた空気と、きんきんに冷えた外気の交換を何度か繰り返しているうちに、自分の温度と外の温度が少しづつフラットになってくるような感じがして。 この感覚もある意味では梵我一如なのだろうかなんてことを思ったのです。 外と内を隔てているものは、身体ではなくて心なのだきっと。世界と自分を隔てているものも心なのだきっと。 その間にあるものを、少しづつ深呼吸をするように、時間をかけてフラットにしていく作業というのも、ある意味では仏道なのだと思う。きっと少しづつ深呼吸を繰り返していくうちに、自分となにかを隔てているものの正体を嫌と言うほどにたたきつけられて、その正体が紛れもない自分であることに気づかされるのだろうと思う。 世界には隔たりも、区別も裏も表もなくて、それを生み出しているのはいつだってくだらない自分のくそ頭の中なのだ。そのくそ頭のなかを少しでも自由に、すこしでもゆるく、すこしでも幅広くしたいと思っている。 一息一息をはく自分が紛れもない真実であり、それ以上でもそれ以下でもない。 一如という言葉に出会って、この言葉と向き合うと言うことは、きっと自分のライフワークになる。最近きっと人生の卒論を書くとしたら、このテーマ意外には考えられないと思う。 Title: 1195-1
2012.01.17 朝から、せっせと蓮鉢に砂と水をいれて、新しいメダカの住処をつくるのです。なんせ水が冷たくて、手の感覚もなくなるってなもんです。昨年から、試行錯誤してあの手この手を試しているのに、どうしてもメダカの繁殖だけがうまくいかないのです。 命が育まれるということには、本当に小さな要素がたくさん作用していて、なにか1つのバランスが悪くてもそのサイクルは鈍るのだな。 どうしたもんだろか。くそう。 そんなこの大寒。 たまには仕事の話。 思惑の違いによって、しばらく思うように進まなかった大きな仕事がここにきて急展開して動き出す。大きな仕事にはたくさんの人が関わる、たくさんの人が関わると、そこにはたくさんの打算と思惑が交錯する。 それを、時にじっくりと話し合い、時に時間をかけて、時になにもなかったようにやりすごして、少しづつ紐といていって、飛び上がり、そしてちゃんと着地させるところまで持っていくという作業はけっこう好きだったりする。 ただいつも思うのだけど、基本小心者なので、大きな金額を自分の判断1つで動かすという時のこわさみたいなものは、何度経験してもぬぐい去れない。 これが怖くなくなるときはあるのだろうか。 それと、こういうときに、税務署やお役所の対応の悪さや、たらい回し感にはいつも憤りを感じる。 少子化対策だ、待機児童を減らせ、保育所をふやせと、いってるくせに、こちらがいざ新しいことに挑戦しようとしたり、前例のないことをやろうとすると、どうしてこんなに動きをにぶらされるのだろうか。決定権のない現場レベルの担当者をたらい回しにされて、煙に巻かれたような対応にはもううんざりだ。 この状況でどうやってそのシステムをつくるのだ。 私立の幼稚園が私利私欲のために新しいプロジェクトを立ち上げたのならいいけど、待機児童解消や、共働きの家庭のサポートをメインに考えているのに、どうしてこうも決まった形でしか対応ができないのだ。 個人的に民間に共同事業としてサポートを頼むほうがいい気がする。 でもそうなるとまた思惑や算段が交錯するのももうめんどいし・・・とか考えて、最終的にいつも現場は身銭をきって、血を流してやるしかないのだ。 これは持論なのだけど。 30代になって、最低限の仕事のスキルは必要だけど、なによりも大事なのは、話す力と聞く力、そして人と繋がる力だと思う。どんな仕事でも、どんなプロジェクトでも、最後は人と人なのだ。 だからこそ人と人の間にはいる力はなによりも重要なのだと思う。話すこと、聞くこと、伝えること、誰でも簡単にできると思われがちだけど決してそうじゃないと思う。 この力はなによりも重要であり武器になりうるものなのだと思う。 人と人だからこそ、そこにはノリシロもあるし、幅もあるし、その余裕がよりよいサービスやアイディアを生み出すのじゃないか。その流れやその熱をもっともっとあげていけば、世の中はもっと楽しく、そしてよりよいサービスが充実するのに。 いいよいいよ。 こうなったら自力でやって結果出してやるから。 ふんだ。 Title: 備忘。
2012.01.11 人生於いて、年齢なんて記号みたいなもので、同じフェーズの人間なんて存在しなない。だからこそ、1つの行動や発言は、賞賛にも批判にも値するし、年寄りと若者はわかりあえないのだ。 方便を使うと言うことは、お互いのフェーズをよくよく知り、よく見るだけの観察力が必要だし、僧侶というのは、そういう能力と思考法を身につけなければいけないのかもしれない。 なんてふと。 誤解がないように。年長者を敬わないということではない。わかり合うとため必要なのは、まずお互いの立ち位置がはっきりと違うのだという認識をしっかりと持つところから始まるということがいいたいのです。 Title: バケツの水。
2012.01.11 とある学校の校長先生が新年の挨拶で生徒に向けてこういったそうだ。 シベリアの刑の処罰は、二つの中からどちらか選択ができます。ひとつは、シベリアの寒い郊外でのレンガ運びなどのつらい肉体労働です。もうひとつは、室内の一室で、バケツがふたつあり、その一方には水が入っています。その水をもう一方の空のバケツに水を移すのをただ繰り返すというものです。 皆さんはどちらを選びますか? そこでは圧倒的に室内の作業を選ぶものが多かったそうです。きっと皆さんもそうでしょう。しかし、室内の作業を選んだ者たちは自殺者が多数出たのです。室内の作業を繰り返す内に、その行動の意味を考え、意味があるのかと人は考えるのです。反対に肉体労働はつらいですが終わった後の達成感があります。わたしは、人は、目標や目的、あるものに向かっていく動物なんではないだろうかと思います。 この話をきいて、なるほどと思って、目に見える目標に向かって達成感をもって進んでいくこと。ということを高校生に伝えるためにはなんて素晴らしいはなしなんだろうと思った。 でももう一歩踏み込んで考えてみると、宗教にかかわる人間としてはひっかかる部分もあるのだ。もっといえば、宗教を扱うと言うことは、どちらかといえば、2つのバケツの水をもう一つのバケツに移す作業を肯定し、自らもそれを繰り返すようなものなんじゃないかと思う。 目の前にある目的や、達成すべきラインを目指して足を動かしていくことってすごく大事だし、それを否定してしまうと原動力はなにも生まれないのだけど、これは人生のフェーズにおいての問題なのだろうと思う。 10代20代においては、達成感や目標を目指す意欲は絶対必要だと思う。だから高校生にこの話をするのは素晴らしいし、すごい校長先生だなと思う。 しかしそれは最終的なところではなくて、あくまでプロセスなのだと思う。目に見えるわかりやすい目標や、達成感だけで満足してしまうと決して見えないものがある、ということに気づくか気づかないかということは、その後30になり40になり、50になり、60になり、死が眼前に近づいてきたときにとても重要なことなのだと思う。 いうなれば。 いやがおうにもバケツの水を入れかえる作業をしなければなならないのが人生である。と宣言した上で、バケツの水を入れ替える作業の中で、作業の意味や生きる価値などを考えた時に死にたくならないように逃げ道を作るのが宗教の役割なのだ。 ほっておいても、年老いて老化して、頭と身体のバランスが崩れる時が来る、頭でおもった所まで足が上がらなくなる時が来る。宗教はそこにこそ価値を見いだすのだ。 この話をきいた高校生が、血気盛んに社会にでて、現実や壁にぶちのめされて、部屋の中でバケツの水を入れ替えることを強要されたときに、そこにある価値を見いだす心と、そこにいる自分にのりしろをもつ心を忘れないほしい。 なにごとも、メリットにはデメリットがくっついてる。 光には陰も。 それを仏教では一如と表現する。 光だけを放つ話も、光だけあたる価値も概念もこの世には存在しない。 それと、この話に絡めていうなら、宗教を扱うということ、もっといえば僧侶の姿としては、進んでひたすらにバケツの水をいれかえることを続けて、それを投げ出さずに最後まで続けるということが理想的なんじゃないかと思う。 そこでしか見えないもの、そうやって向き合わなければ捨てられないものがあるんじゃないかと思う。 出家とはそういうことなんじゃないかと思う。 インドには、ひたすらに立ったままでいたり、太陽を見続けたり、手を上げ続けたり、座っているだけという修行をしている人がいる。禅の世界には、只管打座というひたすら坐禅する修行があるし、ひたすらに箒を振り続けて悟った周利槃特もいる。他にも仏教には意味考えるということを放棄させるような教えがたくさんあるのだ。 それはなぜかと言えば、意味というのは執着だからなのだと思う。 誤解を恐れずにいうならば、バケツの水を入れ替え続けて自殺をしてしまった人達は、執着によって死んだのだ。その執着を捨てるための方法を仏教では説く。そしてその法を自分の生活の中で感じながら、今の社会、今の現代に合わせ、目の前にいる人に的確な言葉と方法で、説くのが僧侶の役割だと思っている。 Title: とんちのひ。
2012.01.09 32才になった今日。何をしていたかというと。 スコップとガイガーカウンターを片手に、園庭の数値をはかっては、数値の高めなところの土を掘り返していたのです。挙げ句の果てに、砂場の砂をすべて入れ替えることになったので、職員総出スコップで砂場の砂をとにかく掘り出しては、砂袋に詰め、掘っては砂袋に詰めてを繰り返していたのです。 しかしまぁ、いまだ肋骨も完治せず、正月の呆けの身体にはちときついのです。 しかも、砂場って、掘っても掘っても底が見えなくて、掻き出しても掻き出しても、終わりが見える気がしないのです。そういう作業はそうとうメンタルに来るのですよ。終わりのない重労働。 なんの因果で生誕の日に砂まみれになって、こんなことをしなければならないのだと、ぶつぶついいながら、心の中でなんども安西先生の「あきらめたらそこで試合終了ですよ」を唱えながらひたすらにスコップを振っていたのです。 んで、数時間かけてなんとかやりとげましたとさ。 なんて、なんの落ちもないこの誕生日。 そんでもって。 ひたすらに穴を掘り、ひたすらに終わりの見えない作業をしていたら、ふと、自分がここ数年ですこし上手になったことの1つに「やりすごす技術」があるな、なんてことを思ったのです。 なんか若いときは、勢いやノリでなにかを押し切ったり、短期集中でなにかを片付けたがるし、すぐに結果を求めたがる傾向が強かった自分が、最近は長いスパンで物事を考えられるようになったり、抱えている仕事が「育む」という分野に属するすぐに結果のでないものばかりで、焦ってもしょうがないという状況の中で過ごしてきて、 例えば、1つのプロジェクトや計画、もっといえば、思い描いているものを実現させようとするときに、自分のモチベーションの波が最高潮になってそこでつっぱしって、でもなかなかうまくいかったり、障害にぶつかりながら、数ヶ月、もしくは1,2年もしたら、初心にあったモチベーションもさがって、つまりは飽きちゃって、これは自分の本当にやりたいことじゃなかったとか、こんなことに意味はあるのだろうか、なんてもっともらしい理由と言い訳をつけては投げだそうとしたり、周りの人を振り回してきたのだけど。 きっと、そんな程度自分にできることなんてたかがしれているのだ。 本当に思い描いているものを実現させようとしたり、組織の中で働いたりするときには、どんな形であれ、「続けていく」ということがなによりも大事なのだと思う。 でも心の温度を一定に保ちながら、何かを続けていくということは至難の業で、むしろムリなのだと思う。 にんげんだもの。 モチベーションなんていつも沸騰寸前にしておくなんてこたできない。 でもそのテンションのさがった自分を、いかにやりすごして、また自分でぽこぽこと温度をあげていけるかどうかということが、何かを続けていくこと、そして思い描いているものを実現させるときにはなによりも大事なのだと思う。 それは初心忘れずということでもあるのだけど、初心なんて簡単に忘れちゃうのが既存設定なのだよ。 だって。 にんげんだもの。 なんか。 ここ数年農業、とはいっても幼稚園の庭レベルのものだけど、野菜を作ったり、稲作をやってみると、「続けていく」ということから学ぶことは本当に多いと思うのです。 「続ける」とは一言で言うものの、「続ける」っていうことのなかには、きっと「手を抜く」も、「やり過ごす」も、「自家発電」も、「許す」も、「あまえる」も「よりかかる」も。そういう類のものがたくさん含まれているのだ。そこに含まれたものの一つ一つを上手にして、磨いていくことが何かを「続ける」ということに繋がってくるし、「続ける」ことが上手になれば、きっと思い描いているものをもっと明確に自分のものにしていくことができるのではないかと思う。 そう信じてる。 そんで、帰りは首都高をぶっとばしながら、モンパチのスコールをひたすらに聴ききながら帰りましたとさ。 ちゃんちゃん。 そんなとんちの日。 Title: 感情の墓場。
2012.01.07 32才になる。 サイトをリニューアルして丸一年。 誕生日を迎える前には、かならず1年分の日記をすべて読み直すのだけど、昨年30才の最後に自分は、 論語の中には「三十にして立つ」という言葉があるけど、自分はまだ一人で立ってるかというと全然そうじゃなくて、わがまま三昧なのに、自分を自分でいさせてもらえてるのは周りの人たちの理解とか、温かい目があるからだと思う。でも誤解を恐れずに言うなら、ここから先に進むのにその温かさや理解を維持しようとすることでいっぱいいっぱいになったり、失うのが怖くなったりしないようにしなきゃと思う。それじゃ本末転倒だから。 と書いたようだ。 そんなことを思い出しながら1年を振り返ると、たしかに失うことに対する恐怖というのがだいぶ薄れたように思う。こうみえて、自分は結構手の中にあるものに執着をしてしまうほうなのだけど、年々その執着もなくなってきたように思う。 それがなんでか考えてみると、いい意味で自信がついてきたからなのだろうと思う。 自信といっても、自分はできるんだとか、自分はすごいのだとかそういう類のものではなくて、この1年は、ほんとにいろいろな場所で場数を踏ませてもらえて、自分の実力には過分な仕事を任せてもらえて、正直いえば、求められてるものを100%だせたかといえば、反省点ばかりでむしろ今の自分の実力不足を痛感して、自分の実力がどの程度のものか思い知らされたのだけど。 でもだからこそ課題がみえたり、自分の武器がわかったり、進みたい方向や、やりたいことが明確になってきて、今やるべきことが具体的になってきて、今やるべきことが具体的になればなるほど迷うことが少なくなったような気がするのだ。 なんか遠くに遠くに合わせようとして、手元のピントがあっていなかったのが、ぐぐっと手元にピントがあってきたような感じだ。 なんでもそうだと思うのだけど、持論を持って初めて見えてくることというのがあるのだと思う。正しいか正しくないかは別として、自分の中でああでもない、こうでもない、これもいいし、あれもいい、なんてことをこねくり回したあげくに、自分はこれでいく。という持論を持つということが大事で、その持論ができたら、あとは腹括ってそれを研ぎ澄まして、ぶつけあって、たたきあって、昇華させていく作業にシフトしていくのだろうと思う。そこではじめていろんなことが極まってくるのかもしれないと思う。 そういう意味で、この1年で僧侶としても、保育に関わる人間としても、自分の中にある持論もぐぐっと形になってきた気がするし、それを武器として誰かとぶつけ合ったり、腰にぶら下げて歩けるくらいにはなってきたのだと思う。 これからはその持論をもっと研ぎ澄ませるためには、何が何が必要で何が必要じゃないかというところで取捨択一をすればいいのだ。きっとそういう意味で、あっちもこっちもかじってみたりして、オーバーフローするようなことはもうないと思うし、失うことの恐怖も昔ほどなくなった。 自分は今から宇宙飛行士になれないこともわかってるし、世界変えられるとも思ってない。でも自分の武器をもっともっと研ぎすましていけば、今よりも確実に、守れる範囲も、支えられる人も増やしていけると思っている。 その結果なにになるかはわからないけど。 でもどうなるかとかどうなりたいかというのは、おぼろげなくらいでいいのだ、今やるべきことにピントがあっていれば、結果としてなりたい自分になれるのだと信じてる。 んで。これから先に注意すべきは、自分の方法論や、習慣が慢性化して、知らず知らずのうちに、同じアングルでしか物事を捉えられないようになって、それを持論だなんて振りかざさないようにしなきゃいけないし、むしろ、自分が自信をもって振りかざした持論を粉々にぶっこわされるような瞬間にわくわくして、どきどきするような感覚は忘れては駄目なんだろうと思う。 まえにまえに。 もっともっとまえに。 さて32才。 どんなことがあって、どんな想いをして、どんな1年になるのだろうか。 むふ。 Title: 月遠。
2012.01.02 新年が明けて。 なんだかんだとのんびりしている。 読みたい本も読んで、年始の挨拶に来る人達と話をしては合間合間にだらだらとビールを飲む。 なんか通常業務からの切り替えがうまくできないうちは、なにかこの時間の流れに慣れなかったのだけど、身体もこの時間にうまいこと順応してきた。 なんかいろんなものがほぐれきって、いろんな部分で余裕がでてくると、改めて昨年の自分がいかにガチガチと生きていたかと思う。今思えば、楽しいことやおもしろいことを想像してにんまりする機会も少なかったような気がする。なんか年末にかけてはすごい性格悪かったようにすら思う。 今年は、すこしゆるく、頭でもちゃもちゃ考えなくて済むような生き方をしようと思う。 なんか年末に紅白を見ている時にふと、今年の目標は、「ベタに生きる」ということにしようと思ったのだ。 ベタに生きるというのは、ああでもないこうでもないと考えてすぐに穿った見方をせずに、悲しい時に悲しんで、嬉しいときに喜んで、腹の立つときに怒り、それなりに周りに気を遣いつつ、一日を大事にして、熱いものに熱くなりながら。 いろんな意図や角度や、思惑や自分の想像できない裏の裏まで想像しながら生きててもしょうがない。目の前にあることにいちいち感情揺さぶられながら、その度に、目の前の瞬間の為だけに全力を出せるように生きていけたら理想的だと思う。 結局自分らしさなんていうものはそういう所にしかないのだ。 こういう自分になりたいとか、ああいう自分になろうとか、思ってがんばったところで、自分の色なんてものは、力まずにいられるところでしかでてこないのだろうと思う。 自分の色じゃない色を褒められたって、ちぐはぐな想いをするだけだもんね。 なんか同じ所を行ったり来たり、ぐるぐるぐると何周も何周もしている気がするな。 でも最近は同じ所を何周も何周もして、そこに轍ができてくるような生き方でもいいじゃないかと思う。 |
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