Title: 歩兵
2012.02.29


うちの寺の一室に、清沢満之の言葉をおじいちゃんが毛書したものがかけてある。

「我らは死せざるべからず。我らは死するも我らは滅せず。生のみが我らに非ず、死もまた我らなり。我らは生死を並有するものなり。我等は生死以外に霊存するものなり」

そこにはこう書かれている。

正直言うと、この霊存と言う言葉が自分の中では引っかかっていて、なんで真宗の寺で霊存とかいう言葉をこんなに堂々と掲げてるんだと思っていた。本当に今日まで。

今日叔父さんの葬儀が終わって、繰り上げての初七日を終えて、お斎の席がこの一室で振る舞われたのだけど、その額の下に、叔父さんのお骨をおいて、その横に写真をおいて、その向かい側に座って、一杯飲んでいて思ったのだ。

叔父さんというのは、おじいちゃんの兄弟なのだけど、男5人兄弟の叔父さん達は、この数年でみんな亡くなってしまって、今日いった叔父さんで、おじいちゃんの兄弟はみんないなくなってしまったのだ。

自分にとっては、小さい頃から色んなことを、本当に色んなことを教えてくれて、本当に遊び好きな人達だったから、将棋も囲碁も、軍人将棋も、車もバイクも、カメラも山登りも、スキーもなにもかも初めに教えてくれたのは、親ではなくて、叔父さん達だった。

今日棺の中に、いつも叔父さんと一緒に打っていた将棋盤から駒を一つ持ち出してきて。「歩」の駒を一ついれた。みんなは何で「歩」なんだ、王とか金とかせめて飛車くらいにしたら?といっていた。

でも駒を選ぶ時に、「歩」の駒にしようと決めていたのだ、小学生の頃に、叔父さんに将棋を教えてもらって、その時に、叔父さんは「歩のない将棋は負け将棋なんだぞ」といっていた。そのことが今でも頭の中にあって、将棋をするときには必ずその教えを守っている。

小学生の頃、叔父さん達の会話や、やることや、遊んでいることの仲間に入りたくて、将棋や囲碁を覚えて、それで叔父さん達に褒められたり、勝ったりすることで自分が大人になったような気がしていたのだ。

先月一緒に将棋を打ったときは、少しの差で自分が勝った。その時の叔父さんの悔しそうな顔と、年はとりたくねぇなぁといった顔が忘れられないのだけど、勝ち越しは勝ち越し。

続きはお浄土で打とうと思う。

そんなことを想いながら、お釜の前に立っていて、すごく寂しいのだけど、これで浄土に兄弟みんなそろって、先にいったひいおばあちゃんと一緒に今頃、おおやっときたか、なんて言われながら、みんなでわいわいと酒でも飲んでるんじゃないかと思ったら、なんか心からほっとして、本当によかったなと思えたのだ。

そして同時に、この世じゃないところにに行くのも悪くないなと思ったし、会いたい人がだいぶ増えてきて、その時までに、自分ももっともっといっぱしの口を聞けるくらいに大きくなろうとも思った。

なんか、涙がでてくるのも、頭でわかって泣いているうちはいいのだけど、本当に全然悲しみにあふれているわけでもないし、むしろ納得して安心して、お浄土に行ったと体感して、ほっとしているつもりなのに、それでも気づいたら自然に流れてくるものにはもうどうしょうもないのだということもよくわかった。これが人間なのだ。

そんなことを感じて寺に戻り、その一室で、清沢満之の額縁と、叔父さんのお骨と写真をみながら、日本酒を飲んでいたら、霊存しているとは、つまりはこういうことなのかと突然腑に落ちたのだ。

霊がいるとかいないとか、そんなことではなくて、正直お浄土があるとかないとかそんなこともわからないけど。

でも叔父さん達が自分にたくさんのことを残して死んでいって、その人達はもうこの世ではないどこかにいって、それはきっと浄土というところで、自分もいつかこの世の縁尽きてそこにいくときに、もしまた会えたらいいなと思うことであるし、ときどき夢に見たり、思いだしたりしながら、自分の人生を軌道修正したり、気づかされたり、その度に叔父さん達も、おじいちゃんも、ひいおばあちゃんも、この世じゃないところから自分に作用をしてくるのだ。

だから、死んでもう終わりではないし、死んでなお、人は浄土で生きるのだ。

霊存するというのは、つまりは娑婆の縁尽きるということであり、浄土に生き続けている体感を得るということなのかもしれない。

そして自分もそこにいく。

そう思わせてくれることが、本願であり、回向なのだとしたら、自分は心から浄土真宗でよかったと思うし、これからも、この教えを灯火として生きていく。そう強く思った。

そして、人間の寿命がそこそこの長さで、よかったと思うし、絶対に不死になんかなりたくないなと思う。

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Title: 13人の刺客
2012.02.27

13人の刺客をみて感じたこと。

時に正義はなんであるのか、義とは何なのかを考えさせられた。

13人の刺客は正義であったのか悪であったのか。残虐な悪行を尽くす斉韶を討つということは、はたして本当に万人の大願だったのか。

斉韶の最後の言葉「いままで生きていて今日ほど楽しかったことはない」この言葉は、彼の中にある淀み、そして言動行動のすべてに一貫性を持たせたと同時に、斉韶は狂人であり、自分とは違う悪しき人間なのかといえばそうじゃない、現代に於いて、斉韶はいくらでも生まれうるのだろうとも感じさせられた。

歪みや淀みには必ずしも理由がある。世の中の正義とは、目に見えるわかりやすい形の対立のうわっつらをさらうようなところにあるのだろう。歴史の中で繰り返されてきた、こうした戦いの中心にあった各々の義。

斉韶にも強い義があったと思う。そして斉韶を守り抜こうとした鬼頭半兵衛もしかり。

義とはつまり信念であり、動機付けである。

そこには本当は善悪も優劣もないのかもしれない。

それぞれの義が強ければ強いほどにそれは時にぶつかりあう。しかしそのぶつかりあいの中にこそ、「生きる」ということが凝縮されていたのかもしれない、侍はそのぶつかり合いの中にこそ、命を実感として掴み、その実感こそを灯火としていたのだろう。

そしてその中で、侍は命を落とすときに死ぬのではない、義を失ったときに死ぬのだということを体感として持っていたのだろう。

この映画を通して、生きると言うことは義を貫き、決してそれが側面的であろうと、人にどう見られようと、己の信念を貫いたときに本物になるのだということを見せられたような気がした。

現代を生きる自分にどれだけの義があるのだろうか。どれだけの信念をもっているのだろうか、義を、信念を持つ人間はそれを守る為に強くなるのかもしれない。

正しいことをするのではない、自分の信念をまっすぐに、どこまでも強く貫いたときに、それは必ず本物になるのだ。侍というのはそれを自分の生き様で証明し続けてきた人達なのだろうと思う。

いわば侍とは、そういう生き方の呼称でもあるのかもしれない。

この映画について語るだけで、しばらくは肴に困らなそうなほどに、自分の中に多くを残したと同時に、背中を押されたような作品だった。







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Title: 妄想。
2012.02.25

一杯飲んだ帰り道、夜風の中に春を感じたら、いてもたってもいられなくなって、千鳥足で歩いて帰る。

帰り道で、靖国神社の桜のことを考えて、今年こそは知覧にいくのだということを繰り返し自分に言い聞かせる。そんでできるなら静岡あたりから寝台列車にのって湯布院あたりでのんべんだらりとして、おいしいものでもつついて、焼酎をのんで、切り子の工房なんかに立ち寄ってお気に入りのグラスをさがせたら幸せだ。

なんてことを夢想しながら気分は最高潮に達するわけで。

そんで妄想は春を通り越して、夏にいく島のことにまで及ぶのです。

今年はまた式根島にいく。前回泊まれなかった民宿「げんべい」に泊まるのだ。そんで一週間くらいぼけぼけと過ごすのだ。一日ビールをあびるように飲んで、泳いで、温泉はいって、今年はできれば釣りもしたい。

暖かくなるとともにいろんな部分がほぐれて、フットワークも軽くなり、多少の嫌なことも受け流せるし、だんだんと無敵になっていくわけで。

お彼岸までもう少し、日も延びてきたし確実に匂いも春になってきたし、嬉しいなぁ。

楽しいことを考えながら夜道をあるくという至福。


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Title: 楔。
2012.02.25

世界は自分の見方次第でキラキラもするし、鬱々ともする。

世界がどこにあるかっていつだって自分の手の中にあるってなもんで、世界は自分次第でどこまでも開放的にも、どこまでも閉塞的にもなる。

1つの言葉に体感が伴ったり、自分の中のスタンダードが音を立てて崩れる瞬間をどれだけ感じられるかということが、成長をするということなんだろうと思う。冷や水を浴びせられるような、骨がどくどくして、脳がぐらりとするような体感や経験をもっとしたい。

自分のスタンダードができあがってくると、意識してないと頭も体も心も同じ所しかつかわなくなってしまうし、そうなっている自分にすら気づかなくなってしまう。

突拍子もない頭や体や心の使い方をしていかなきゃなのはわかっているのだけど、人間というのはよくできたもので、日常というペースができてくるとその中でいかに効率よく、いかに負担を少なく日々を過ごすかということを無意識にでも調整してくるのだ。

頭も体も心も、心地よい筋肉痛を疲労を味わうには、意識していつだって日常に楔を打ち込むことなんだろうな。

まえにまえに。



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Title: 犀
2012.02.22

夜風の中に冬の終わる気配を感じて、朝の冷たさの中に春を感じる。

明けない夜もなければ、巡らない季節もない。

この無常こそが優しさであると思う。

すべてをのみこんでいく現実こそが慈しみだ。

帰り道にすこし遠回りをして自由について考えた、帰り道にすこし遠回りをしていい人について考えた。

そのどちらの答えも結局は同じところでみつかったりするのだ。

自由だといっても足を動かさなければそれは自由ではない。自由がないといっても足を動かしていればそれは自由なんだ。

いい人も同じだ。

自分が何をしていて何者かなんてことは、後からだれかが決めるのだ。

すきなように呼べばよい。

自分は不自由でもあるし限りなく自由でもある。

きっと善人でもあるし、悪人でもある。

自分が何になるのか。自分がどこに行くのか。

取捨択一の向こう側。

もう何者でもいいのだ。

ああもなりたくないしこうもなりたくない。

そうやってあぶり出されたものに結果としてなっていくだけでいいのだ。

否定と肯定も再生と破壊も。

その関係性さえも、その連鎖さえも手のひらの上なのだな。





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Title: 阿弥陀。
2012.02.21

光市の事件に関して、真宗の人間として本当に救われるべきは加害者の元少年である。そして自分がこういう発言をしたときに、少なからず不快な気持ちをしたり、こういう発言がまったく理解できないと人がいるということこそが、阿弥陀が本願を立てられたなによりの理由である。と言い放たねばならないのだろう。

昔の自分であれば、それを迷いもなくいい、あくまで加害者の元少年に目を向けるということを忘れたくがない為に、意識的にそうしていたのかのかもしれない。

でも今は少し違う。

元少年こそ救われてほしいと思う気持ちには変わらないのだけど、しかし当然被害者も救われなければならないし、元少年の対する死刑に安堵する人もまた救われるべき人であり、それを取り巻き、ああでもないこうでもないという人達もまた救われるべき人なのだ。

うまく言えないのだけど、場面や状況や、その事象に応じて、それぞれの立場が違えばどこに立っても人間は同じことをいい、同じことをする可能性を秘めた生き物なのだ。

つまりは阿弥陀の本願は、どこか個別の状況やケースなんていう視野の狭いものではなく、もっと大きな所をみていたのだなと、いうことを最近実感するのだ。

阿弥陀のサイズを体感としてどう感じるかという点で、方便法身としての絵像や立像の枠を体感として越えていくような感覚が少しづつわかってきたような気がする。

最近こういうニュースを見る度に阿弥陀がやっと本来の姿形のないものになってきたような気がする。


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Title: 葬儀の話。
2012.02.18

こないだ行った葬儀のこと。

先日、癌を宣告されて1年間の闘病生活をして亡くなったお檀家の葬儀に行ってきた。骨上げまでの間に奥さんが横に来てぽつりぽつりと闘病のことを話してくれた。

そしたらふと奥さんが、

「いやね、実は私たち夫婦は、今だから言えますけどね、いままで特に仲がいい夫婦ではなかったんですよ」と言った。

いつも一緒にお参りや法話にきてたイメージがあるのでびっくりしたのだけど、続けて奥さんは

「あの人は家ではいつも怒っていて、むすっと言葉も少なくて、昭和の人というか、みんな機嫌をそこねないように戦々恐々としてたんです、いつもこの人はなんでこんなに怒っているんだろうかと思って暮らしてたんです」

「でもね」

「癌になって、この1年、本当に人が変わったように、よくしゃべるようになって、いままで冗談の一つも言ったことない人が、隙あらばなにかおもしろいことを言おうとしてるんですよ」

「だからつい、あなた癌になってずいぶん明るくなって、いい人になったわねっていっちゃったんです」

「そしたらあの人は、たしかにそうかもねと言ってました」

「そして死ぬまでの1年の間に一生分、ありがとうという言葉を言ってもらえました」

「癌の中でも痛いと言われている癌なのに、文句も言わずに最後までありがとうで死んでいって、本当にこの1年、変な話ですが夫が癌になって、夫との最後をこうやって過ごすことができてよかったなぁと思ってるんです」

「ただ病人の手本のような逝き方をされてしまって、私も娘も困ってるんです」

といって笑っていた。

色々と考えさせられた。色々な死に方がある中で、どんな死に方をするか選べないし、どの死がよい死だとか、悪い死だとかそんなのはないと思うし、死にいいもわるいも評価するのは人間のエゴだというのは頭ではわかってる。

でもこの奥さんや家族にとって、そして亡くなったご主人にとって、この死はとてもいい死だったのかもしれないと思った。

そしてこの葬儀ではもう一つ考えさせられたことがある。

出棺に際して、このご主人のお母さん、つまりはもうおばあちゃんなのだけど、おばあちゃんはまだ90過ぎて元気なのだけど、そのおばあちゃんが棺桶にすがって、自分が先に逝くべきなのに、ごめんねごめんねとおいおい泣いていたのだ。

こういう場面に出くわすことはよくあるのだけど、そしたら娘さん、おばあちゃんの孫が自分の所に来て、

「人の死ぬ順番は思い通りにいかないものだから、順番に次は自分が死ぬだなんていってるおばあちゃんに、順番なんか気にしないでいつまでも長生きするように、おばあちゃんがそう思えるような法話をしてください」

といって頭をさげたのだ。

おばあちゃんは火葬場には行かないといって帰ってしまい、そのあとに話す時間がなかったので、49日の納骨の時にその話をしますと約束をした。

死ぬ順番。こればっかりはこの世の縁尽きた順番だから、後も先もないのだ。頭ではみんなわかっているのだ。でもそれを受け入れられないのが人間なんだな。90過ぎたおばあさんが、嗚咽するほどおいおい泣いている姿をみて、自分になにが言えるかわからないけど、なにかを伝えねばならないと思ったのだ。

そんな1日

帰りの車の中で、その日初めての葬儀デビューだった後輩(70才)は、これが葬儀なんですね、本当にいい経験をしました、またこれからもよろしくおねがいしますと自分に頭を下げた。

なんか、その最後のとどめで、自分の中にあったものが堰を切ったように、こみ上げてきて、なんか悶々とした想いが止まらなくなった。

いったい僧侶ってなんなんだろうな。

たいした力もないのに、人の最後に、人の人生に土足ではいっていくような感じ。そこに対する後ろめたさと、70を過ぎた老人が、自分の後輩になって自分に教えを請い頭をさげる、なんかそういうすべてになんともいえない気持ちになって、それがなんの悶々なんかは未だにわかんないけど、家に帰ってからも悶々とした一夜を過ごしたのだ。

そしたらインフルエンザになったのだ。

そんなこないだの葬儀の話

落ちもないうえに、どうってことのない話だが、忘れたくないので書き残しておく。


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Title: インフル。
2012.02.17

インフルエンザになって、久しぶりに明けない夜を味わった。

夜ってのはこんなに長かったのか。

ここにくるまで、体調管理に細心の注意を払い、仕事に1つも穴明けることなく来ていたのに、この一瞬の気の緩みにつけ込まれたのだ。まあ休めってことだね、はははん。ということで久しぶりに完全隔離されて部屋に引きこもり、ひたすらにゲーム、本、ご飯、ゲーム、本、パソコン、本、ゲーム。この繰り返し。

リビングにでることすら許されないバイキンマンは、寝室のドアのスキマからそっと差し出されるにゅうめんをひたすらにすするのです。まるで独居房。

特にやることがないから暇さえあれば妄想と空想に耽るわけなのだけど、こういう時におもいつくことって、どうして過去に失敗したこととか、ああしておけばよかったとか、やり直したいな、くそう、みたいなことばかりなのだろうか。

次に同じ場面なんか絶対にこないのに、自分の中で何度もその場面をやり直す。夜な夜なそんな自虐的な妄想シュミレーションループ。心技体とはよく言ったもので、体が弱れば心もネガティブになり、そんな状態で最高のパフォーマンスを出せるはずがないのだな。この連鎖を身をもって実感。

インフル発症前に愛機のバイオが修理に行ってストレスを感じてたのも免疫力低下に関わりあるって絶対。

さて。

始動始動。




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Title: 追記。
2012.02.16

質の高いコミュニティについて、布団の中にはいっていたら言いたいことが少しまとまってきた。

例えばだけど、お朝事(毎朝あがる朝のお勤め)の時に毎日できたてのパンが境内で焼き上がるという計画を立てるとする。それは別にお朝事に出た人が食べれるとかどうこうとかいうわけでなく、ただ単純にパンだけで勝負できるくらいのものを提供して、パンから派生してコミュニティを作っていこうという狙いがあるとする。例えばだけどね。

その時に、じゃあそれを実行に移して、客単価をいくらにして、毎朝いくつ売れば、月にどのくらいで元が取れるのだろうか、土地の賃借料は法人から借りる形にする場合は、別法人を立ち上げなければならない、無論その会社を維持するだけでもランニングコストはかかる。

また人件費や経費、工事費用だけでなく、それを役員会で承認させる為には、それなりのプレゼンが必要になるし、お寺から費用を動かす場合であればそれなりの手続きが必要になるし、どういうリスクや問題点があるのかも考えなければならない。細かいこと言えば、お寺にいなきゃわからない部分でも考えねばならないことはたくさんある。通夜葬儀がかぶってる場合でも問題ない場所が確保できるかとかと

ざっとだけど、そういう諸々の条件をクリアして、何ヶ月で機動に乗せて、その効果はどれくらいあるのか、リスクは許容範囲に収まるのか、収支はどうなるのか、ということをしっかりとビジョンとしてして立てて、中期長期的にその目標をクリアしていく。

その責任をなによりも、寺の人間が自分の肩に背負うということが大事だということが言いたいのだ。

いままでお寺発信で行われるイベントや、社会への開かれ方というのは、ノーリスクに近く高リターンを狙っているものが多いような気がする。たぶん、お寺という付加価値をつけていれば、それなりに評価されるからそこに甘んじてしまうのではないだろうか。

それとさっき考えて思ったのだけど、たぶん自分はお寺という媒体を社会の為とか、開かれた視点でというのが第一なのではなくて、今後永代に渡って自分の寺が生き残れるための要因や種を自分の代にいかに蒔けるかということが最重要であり、なによりも自防の繁栄が一番だと考えている節がある。

でも、それが結果として誰かの為になるのだという大義名分のもとに動くからこそ、多少のリスクと勝負をしなければいけないのだろうと思うのかもしれない。

リスクなき繁栄はない。ただリスクは自分の努力次第で限りなく0にできるということを学ぶのが今だということがいいたかったのだ。

すっきり。







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Title: 質の高いコミュニティについて。
2012.02.16

自分への備忘と戒めの為にざっくばらんにまとめておこうと思う。

このご時世、あらゆるどん詰まりの風潮の中で、「絆」という言葉が合い言葉のようにあれだけ広まることを見ていても、みんな潜在的に人との関わりやつながりに飢えているし、求めていることがもう飽和しているような時代にはいってきたと思う。

フェイスブックがこれだけ広まり、あらゆるSNSで毎日イイネ!をつけて、コメントを書き合う、画面の上でのそのつながりでさえも、安心につながる時代なのだ。自殺者が年間3万人を越えると言うこともそうなのだ。3万人が自殺できてしまうこの世の中に蔓延しているのはきっと孤独と寂しさのような類であるし、なによりもそれを止める人間と、死にたいことに気づく人間、ガス抜きさせてあげられる人間が必要なのだと思う。

時代は回ると言うが、「家の時代」、「家」という縛りは絶対的な力があって、その中では「個」は「家」の下にあった、そういう時代の中では、今よりも個の自由度はきわめて低かったが、その分危機的状況に陥る確立もきわめて低かったのだろうと思う。なんだかんだ色々なしがらみがうっとおしく、どろどろとした暗部を抱えながらも、それなりに守られながら「家」というコミュニティの中で庇護されてきたのだ。

そして時代は高度経済成長に入り「家」から「個」になってきた、息子が親父を平気で軽々追い抜いて行く時代の中で、家の縛りを越えて「個」はどこまでも自由になった。そして自由と引き替えに、守るべき後ろ盾も失ったのだ。どちらがいいかはわからない、でも昔から思うのだけど、みんな「自由」という響きには無条件で憧れ、無条件で目指そうとするけど、自由ほど怖いものはないし、自由ほど実力がなきゃ生き残れないものはないということを見落としがちなのだ。

今の時代は、なんだかんだと数十年前にくらべて、家や出身にとらわれず、だれでも学校にいけるし、言い方は極端かもしれないけど、平民であっても官僚になれる時代だ。その自由の暗部がそのまま今の時代の暗部であり問題なんだろうと思う。

ここにきてそれも変わろうとしていると思う。

勝ち組や負け組なんて言葉があるが、これは何を指すかとよくよく考えたときに、はじめ、これは収入や仕事のことばかりが先行しているように感じたのだけど、最近はちょっと見方が変わって、ようは収入や仕事が安定すると、より質のたかいコミュニティがそこに付随してくるのだ。

それがあるかないかということが、勝ち組やリア充という言葉の根底には流れているような気がする。人とのつながりをみんな潜在的に欲していて、その価値が今高まってきているのではないかと、はっきりいって最近そう思い込んでいる。

人間は他者との関わり中で、許容されて、認められて、否定されてはじめて自分の存在を認知できる生き物なのだと思ってる、反応されないということが一番堪えるのだ。ぶつかりあうことを避ける風潮が最近蔓延しているけど、ぶつかり合わなくなるからこそなにか大事なものを失ってしまうのだとすら思ってる。

そう考えたときに、自分は道を歩いてすれ違ったやつがなにを言ってても反応しないだろうし、そもそも何かんがえてるかわからない。そもそも毎日顔合わせて、気を抜いて会話してなきゃそんな関係を築けるはずがないと思う。

だからまずはそういう場が必要なのだろうと思う。

でも、それはなにか「お話しましょう会」とか「悩みを話そう会」のような類ではなくて、「歎異抄の会」とかそういうポイントにしぼったものであっては駄目なのだろうと思う。もっといえば「ヨガ」とか「写経会」「フリーマーケット」のようなイベント的なソフトのような、気の合う人だけ、興味ある人だけがあつまる、SNSのコミュニティ的なつながりだけでは不十分で、

もっと社会的、一般的にサービスとして価値があり、またそこに入るのにハードルはきわめて低く、出入りの自由があり、それでいて、そこにいくことにある付加価値が、一見してコミュニケーションの価値を二の次にするような絶妙な位置づけを醸し出せるようなコミュニティがあればおもしろいと思ってる。

伝わりにくいかもしれないが、それは例えば駄菓子屋的なコミュニティであり、シェアハウスのようなコミュニティでもいいし、カフェ的なコミュニティでもいいのだけど、それならどこにでもある発想なのだけど、ここで大事なのは、それを1つのサービスとして0から100まで独立採算をとって運営できるぐらいの、もしくは赤字をださない中で運営し、決定的な継続性をもたせることなのだと思う。

継続性という点ではお寺というハードにはそうとうなアドバンテージがあるので、それを活用するのはありだけど、決してぶら下がったものではなく、両立させて平行線をたどれる立ち位置でないとだめなんだろうと思う。

そしてなによりも大事なのが、画竜点睛とはよくいうもので、目が入らなければ質の高いコミュニティは完成しないのだと思う。

簡単に言えば、それはつまりはすべて更地から建物を建てて、駄菓子やであれば、店に座り、シェアハウスなら自分がそこに住み、カフェであるならばそこにいつでもいるくらいの覚悟があるかということで、もっといえば自分自身がソフトになった時に大概の問題を自分で解決できるだけの力をもっているかどうかということで、

つまりは自分が龍の目になれるかどうかであり、それは言い換えれば、企画をした人間がそれをライフワークとして生きて、そこで死ねる覚悟を持てるかどうかと言い換えてもいいかもしれない。

そして、力というのは、資金力や、人間関係を円滑にするための技術だけでなく、社会的に最低限必要な知識と、経験まで含めてだと思う。

いざというときになって土地の売買もできなければ、仕入れもできない、利益をだすこともできない、決算の見方もわからなければ、人の使い方もわからないようじゃ、空中分解して終わりだ。それに一度失敗した企画をまた0から持ち直させるような経験もしておくべきだと思う。

そうじゃないと話にならない。

あと資金面に関して言えば、こう書くと誤解されそうだけど、40、50になっても自分の権限で4桁のお金を自由に動かせないような実力ではとても難しいのだと思う。それはお金だけの問題ではなくて、口だけでなく本当になにかを実行しようと思ったら、人生折り返す前に、4桁くらいのお金を自由に動かせるようになるのに要なくらいの信頼や地位を自分で確立できなきゃ、大きなことなんてできるはずない。

そして自分が僧侶という立場として、こういうことがしたいということを打ち出したときに、二つ返事で周りを納得させられるだけの僧侶としての説得力も。

以上のことを身につけなければ本当の意味で質の高いコミュニティはつくれないと思う。なんとなくお遊びならできるかもしれないけど、継続性の高い何十年も独立採算のとれる形のコミュニティはつくれないと思う。

民間にはない、お寺というアドバンテージがあるのだから、そのアドバンテージを生かしつつ、もういっぽ踏み込んだお寺つくりをしていきたいと思う今日この頃、この30代には、そういうものをつくる為に必要な経験と知識を身につけて、とにかくレベルアップしておくのだということを忘れないために、少々でかいことを書き残しておく。

これを数十年後に読んで恥ずかしい思いをするか、想像の上をいくかは自分次第。




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Title: ビーンボール。
2012.02.02

ある記事で徳光さんが言っていた。

最近のプロ野球は乱闘が少なくなった。昔は胸元へえぐるような一球を投げて、相手をのけぞらせ、のけぞらせたほうがなにくそと思って奮起する、そういうピリピリするような勝負の中で、選手は切磋琢磨してた、だからスーパースターというのが生まれるのだと。

最近の選手は仲がいいからね、なかなかそんな一球を投げるなんてことはできないし、だからこそスーパースターが生まれにくいのかもしれないねと。

これってどこの業界でも同じなんじゃないかと思う。

仏教界でもそうだと思う。

明治の頃、清沢満之先生を中心に全国から集まった若者の中には、月見覚了氏、暁烏敏氏、多田鼎氏、佐々木月樵氏など錚々たるメンバーが共同生活をして、のちにはそこに曽我量深先生も加わることになるのだけど、彼らの時代は日々熱く信仰について語り、清沢先生の「内観」の意義を問い返し、時にぶつかりあい、切磋琢磨をしてたのだろう、時に胸元へえぐるような一球を投げ合いながら。

昔じいちゃんが戦後、大学に行ったときに、講堂の中で、曽我先生が講話をしていたときの話をしてくれた。

小さい講堂の中に、何十人もの学生がひしめきあって、曽我先生の言葉の一つ一つを食い入るように聞いていたという、その中で、ぼそぼそと話す曽我先生の言葉の鋭さと、オーラにじいちゃんは、大学に残ることを決意したという。当時の谷大ではあちらこちらで、自分のご了解をぶつけあい、時には胸ぐらをつかみ合うぐらいに息巻いてる空気がただよっていたという。

インドのナーランダに行ったときも思ったんだ。

大昔、ここには全世界から、仏教だけでなく信仰をもった人間があつまって、息巻いて、あちらこちらで自分の持論をぶつけあって、信仰をぶつけあって、切磋琢磨してたんだろなと。いまは遺跡しかないけど、あの場所に行ってあの造りをみればその空気をリアルに感じることができたし、その熱はまだ消えてないようにすら感じた。

蓮如上人のいた吉崎御坊の復元図をみたことがあるが、それはまさにナーランダにも通じるような空気が流れていたのだろうと思ったことがある。

最近はなんでもかんでも正しいことを言わなきゃ叩かれるとか、うっかり自己主張すると炎上しちゃうとか、そういうのにびびって思ったことも言えなくなってんだ。僧侶だって同じだ。

そんなんじゃなんだって廃れていくだけだ。

自分への自戒も込めて。

志を高くもてば、むしろぶつかり合って火花散らすことはなによりの喜びのはずなのに、せっせとそれを避けて、強い主張や、熱い想いを振りかざす人間がいたときに、涼しい顔して、ああ熱いねぇなんていって遠巻きにみてるなんてくそくらえだと思ってる。

正しいとか間違ってるかとか揚げ足とるような議論じゃなくて、もっとお互いが根っこにある信仰や、体感や、思想を高め合うために、むしろ相手を打ち負かすだのどうじゃなくて、自分を必死に押し上げたいが為の議論がしたい。

お互いが胸元をえぐるような球を投げ合って、なにくそこのやろうと、時に乱闘しながらも次は絶対場外までホームランにしてやるからなと言うくらいの生き甲斐で仏教の話がしたい。

信仰とか思想とか、そういうものをもっと深く高く、そして広く押し上げていきたいのなら一人でしこしこ指くわえてたってたかがしてているのだ。

そういう空気を共有できる仲間とか、そういう人間が集まる僧伽がほしい。

岡本太郎もいってるさ。

「オレは進歩と調和なんて大嫌いだ」

「お互いに頭を下げあって、相手も六割、こっちも六割、それで馴れ合っている。そんなものは調和じゃない。ポンポンとぶつかりあわなければならない。その結果、成り立つものが調和だ」

ってさ。

それと、宗教や信仰の面白いところは、どんなに古い本を読んでも、どんなに昔の言葉でも、色あせてるどころか、斬新で新鮮で、いつだって目から鱗を落とされるような言葉を見つけられることだなと思う。

悶々。

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