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Title: さくら。
2014.03.30 つくづく桜というのは、こんなにも感情に直結してくる花なのだな。 今年の桜は、あっという間に咲いて、あっという間に散っていくのだろうな。 桜が我は是桜でござる、梅が我は是梅でござると名乗って出はせぬぞってな。 Title: ぶれいぶ。
2014.03.28 感性を先行させて生きるということは、死に対する防衛でもあるのかもしれない。感性や感覚の優先順位を上に持ってくれば来るほど、「今」の重みは増して、「過去」や「未来」への視野は狭まるのかも知れない。それはきっと社会とは正反対のところにあるのだろうな。 このギャップがジレンマになって息が詰まりそうになって、言葉もただの音にしかならなくなる。" のせる "時に一番大事なものは体感なのだけど、その体感を得ることを突き詰めていくことは、言い換えれば真綿で自分の首を絞めていくようなものなのかもしれないなと。 それがぎりぎりまで張り詰めたときに、ぷちっとなって、また同じ所に立ってるか、今とは違うところに立っているかはわかんなけど。この繰り返しなんだろうな。 わかったつもりになると、頭からたたきのめされて、もちなおしたら、また叩かれる。もはや賽の河原の石みたいなものだ。あの石は無駄な努力なんかじゃない。 これが自分だと思えるような自分なんかどこにもいやしない。 めぐりめぐって自分の欲しいものもきっと同じなんだ。欲しいものなんて初めからありゃしない。 Title: こんや。
2014.03.21 ほんと。どんなに掴んだと思ってもなんにも掴んでなくて、安穏としたかと思えば、取りつかれたかのようにどうしょうもない事があたまを駆け巡る。 あげくのはてに、そのどうしょうもないことに、平気でこれが自分なんだっていって胡座をかこうとする。こんちくしょう。 えらそうに、何事にも答えがあるわけではないし、何事にも答えをださなければいけないなんて思わない方がいいなんていいながら、結局の所白黒つけないと前にすすめないのだ。 それが白でも、黒でも、結局同じとこにいきつくのにね。 Title: 欺瞞。
2014.03.17 社会の中に生きているから、社会の規範や、モラルやルールは守らねばならないのだけど、人間は社会の為にだけ生きているわけではない。最後に自分の心や願いや想いや、自分自身の苦を支えうるのは社会じゃない、自分自身だ。そこで社会はなんの役にもたたない。 いざそこにきて、いままでまじめに、社会や誰かのために生きてきたのにと愚痴をこぼして死んでいくなんて、なんてナンセンスなんだろうと思う。 「親鸞一人がためなりけり」の意味が最近少し腑に落ちた気がする。阿弥陀の願いはどこまでも一人の人間の為だけにある。子とか父とか夫とか、そんな肩書きを背負った自分の為ではない、それをひんむいた先にあるただただ一人の自分の為だけに、本願を発しているのだ。 そうおもえばおもうほどに、ありがたいことだと思えるのは、真宗僧侶のただの自己満足か自己欺瞞なのだろうか。 Title: 境界。
2014.03.17 想いとか願いとか、慈しむ気持ちとか、祈りとか、目に見えないけれど、でも確実にそこにあるというものがあって、その場にいる人達の気持ちが一つになにかを紡ぎ出したときにしかでない空気というものがある。 先日、園の卒園式があった。 目に見えないたくさんの想いが、渦巻いて一つになって、ぴんとはりつめているように感じた。人間はそういう空気の中にいると性根が凜とする。そしてその節目でその空気に背中を押され、今一歩を踏み出す力を得るのだ。 式典も儀式もそうだけど、そういう空気を醸し出すための室礼や、進行や、作法というのは、その全てがかみ合ったときに、間違いなく荘厳な空気がでるように工夫されているのだろう。その空気、その空間を意識して、醸し出せる能力ももっともっと磨きたいと思った。 ほんの少しの間やずれの"のりしろ"はあるにせよ、それを大きく外れると、間延びして、ほんの少しのことで張り詰めていたものがかき消えてしまうということはよくある。 目に見えないけれど、そこに存在するもの、そのひとつひとつをつかみ取りたい。つかみとって掌握したい。掌握したと慢心して、打ちひしがれたい。それを死ぬまで繰り返していたい。 Title: メリット。
2014.03.16 何事も上手な人と上手でない人の差は、そこに明確なメリットを見いだせているかどうかだと思う。何をするにおいても自分自身にとってのメリットを明確にすると必ずうまくなると思う。 そして、善と悪とか、正と誤とか、前と後とか、成長と退化とか、メリットとかデメリットとか、そういうものの境界線をしっかり引いているうちは成長曲線も、教科書通りに、弓なりにしなって、やがて緩やかに劣ろうるだけなのかもしれない。できるだけ境界を曖昧にしておくということは、どこまでも成長を妨げないということに繋がるのではないだろうか。 Title: ジロリアン。
2014.03.14 先日、ラーメン二郎を食べました。知る人ぞ知る神保町店に10時半から並びました。 二郎神保町店は、生粋のジロリアンの中でも一目おかれる名店だそうです。そんな玄人店にこんなど初心者が行くというのはとても勇気のいることです。 しかも注文の仕方が特殊で、マシマシなんとかだとか、残すと怒られるとか、初心者がいくと玄人に舌打ちされるとか、こわい噂ばかりを聞いていたので、戦々恐々だったのですが、歴戦のジロリアンの友人(平原)と、中級ジロリアンの友人(川村)が一緒だったので、泥舟にのったくらいの心持ちでいざ向かったわけです。 並んでいると、先頭から注文を聞きにきます、マシマシはここでは言ってはいけないそうです。ここではあくまで麺の量を聞きに来るのだそうです。迷わず小です。ちなみに小で普通の麺の2,5倍だそうです。 ちなみに中級ジロリアンの友人がとちくるって、中といったら、店の人に失笑されたあげく、刺さるような声で、大か小しかありませんと言われてました。あの時の店員の顔と言ったらプーチン大統領のようでした。 そしていよいよ入店です。 食券を買うまえに、その横の自動販売機で、黒烏龍茶を買います。これもなにか暗黙の儀式かのように厳かに、かつ速やかに執り行います。1000円札で買うと後ろの人に気を遣うので、小銭を用意しておくといいようです。 そして次に食券です。歴戦ジロリアンに続き、小豚と書かれたプレートを購入します。「こぶた」ではありません「しょうぶた」です。 そして席に着くと、カウンターの向こうで、ザ・ラーメン職人、というような親方風の人が麺をゆでています。その間はずっと目を伏せて待ちます。 しばらくするとおもむろに、次の小豚の方は?どうしますか?と聞かれます。 ここで、あれです。いよいよ例のマシマシです。 でもマシマシは食べきれないので、今回はびびって、事前に予習しておいた、ニンニク、油!を待ってましたと言わんばかりに、若干くいぎみで伝えます。少し声がうわずりましたがちゃんと伝えられました。すると一瞥をくれたあとに、厳かにラーメンが目の前におかれます。 ここからが戦です。脳内にゴングが鳴り響きます。いやホラ貝が鳴り響きます。 正直衝撃です、一目で食べきれないのがわかります。噛んだらダメだ、流し込むんだと譫言のようにつぶやきながら、まずもやしを飲み込みます。そして麺。 隣をみると歴戦ジロリアンはすごい勢いで麺をかき込んでいます。 それをみていて、このまま店内に取り残されたらやばい、孤独と不安に押しつぶされてしまうと思って一生懸命食べました。たべきれなそうなチャーシューは左の中級ジロリアンのどんぶりに横流しします。 ぶっちゃけ。うまいです。 すごいうまかったです。個人的にツボでした。 貪るようにどんぶりに顔をつっこめます。 しかし中盤からは自分との戦いです。満腹を超えたところで、残したら怒られる・・・という情報が頭をちらちらかすめるのです。しかし胃袋は限界です。ちらりと歴戦のジロウをみると、無言で箸をふります。長いつきあいなので、瞬時にそれが、「貸せ、あとはおれにまかせろ」だということがわかりました。 こんなに彼を頼もしいと思ったことはありません、迷わず残りの麺を彼のどんぶりにいれます。しかし彼は、全部食べてくれるわけではなく、ふたすくいくらいしたところで、「あとは自分でけりをつけろ」と無言で伝えてきます。 しかたなく、また残りの麺と格闘です。 人間満腹が限度を超えると、震えがくるということを初めてしりました。小刻みに右手が震えます。それをみたジロウは、残すんなら、麺が見つからないようにスープに隠せ、せめてそこまでは食え。と小声で教えてくれました。 希望の光でした。せっせとスープの中に麺を隠します。 心のなかでごめんなさい、ごめんなさいと唱えながら。 それでも怒られるのではないかとおもいビクビクしながらどんぶりを返し、ごちさまをいうと同時に逃げるようにお店を後にしました。店を一歩でたときには、なにかへんな開放感と、高揚感、そして満腹感に、いままで味わったことのないような気持ちになりました。 立っているのもつらく、こんなに暴力的な食べ物を食べたあとなのに、なぜかあたたかい、愛の鉄拳をくらったような気分です。 昔、本間学級の時に、竹村と喧嘩をして、美術室に呼び出されて、なぜか自分はなにも悪くないのに、喧嘩両成敗だといって、本間先生に辞書でぶん殴られたのを思い出しました。 とても苦い想い出です。 そして今、この文章を書いていて、また二郎が食べたくなっています。 店から一歩出た瞬間、もう無理だ、もう食えない、これはきつい、思わずそんな感想しかでなかった自分が、2日経ってまたあの味に会いたいと思ってる。 人生はおもしろいものです。 Life Is Beautiful。 Title: 流川。
2014.03.04 加減、距離感、空気。 ちょうどいい加減に、適度な距離感で、絶妙な空気を楽しむってのは、一朝一夕にできることではなくって、ここにくるまでの、あんなこととか、こんなこととか、怒りとか、喜びとか、悲しみとか、そういう堆積したものの上澄みを掬うようなもので、水から煮出さないといい出汁がとれないようなものだ。 味の素をぶちこんだって真似できないのだ。 おもうに、人と人が熟成するにはなによりも時間が大事だと思うのだけど、その時間というのはそれだけ長い時間一緒にいたかではなくて、一緒にいる一瞬にどれだけむき出せたかだし、どれだけ感情が振れたかだし、どれだけ大事に思えたかなんだろうと思う。 言葉にするととてもきれいに聞こえるけど。 ようは、どんだけダメな自分たちをさらけだしたのかってことなんだきっと。 |
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