Title: 潮目
2016.03.30

なにかを始めるときのスピード感は早ければいいわけでもないし、時間をかけすぎればいいってわけでもなく、ちょうどかみ合うスピード感がある。時に素早く、時にじっくり、刻々と変化する中で潮目を読むみたいに、それに乗るような感覚。

はまればどこにも力を入れずにすっと前に進むし、外れればもがいても沈むだけ。


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Title: すきるす。
2016.03.16

手放して、ふとあの頃のように身をゆだねるような、いたずらに笑えるような場所で、感じるままに、言葉を扱えるようになること。

*

理解の中から、知識の中から仏というものは決してみつからないのだろうな。

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胃が弱っていて、スープばかりを飲んでいる。
 
スープという響きにはとても人間くさい優しさが含まれているように思う。
 
スープという響きの中には、色々な食材を煮込んでうまみを凝縮させた液体というリアルを越えて心に染みこむような温かさがある。
 
どこかでみた映画や絵本の一場面で、雪の中をさまよったり、森の中で途方にくれた誰かが、小さな山小屋に行き着いて、そこでたき火にかかった鍋の中にあるスープを、涙を流しながらがっつくというシーンを何度か見たことがあるような気がする。
 
その涙はスープのおいしさによってだけでてくるものではないような気がして、その涙の理由は、言葉では表しがたいスープを越えたスープの中にある何かによるものなのだと思う。
 
その何かは阿弥陀とて同じだと思うのだ。
 
本来は目にも見えない形すらもないアミターバ、アミターユスというものが、阿弥陀として形になっているということにとても人間くさい優しさを感じるのです。
 
スープと同じだとかいうと怒られるかもしれないけれど、一杯のスープに心が温まることと、阿弥陀の願いと言うことは一つの線の上で繋がっているのだと思う。
 
さてお彼岸。


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