Title: かりゆ。
2016.11.10

意識的に向き合って蓄積した経験値と、
意識をしないでも自然に蓄積してしまう経験値とを比べたら、
後者のほうがはるかに高い経験値。

今自分の身を置く場所でなにが蓄積できるのかということは、
それはすでに意識を越えて無意識にも広がっていて、
自然とそこで蓄積されたものが自分自身をつくるのだなと。

喜んでやろうが、嫌々やろうが、気持ちの持ちようなんてものは些末なもんじゃなかろうか。




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Title: 線香花火。
2016.11.10

青臭いということに対してある種の執着みたいなものがある。

青臭くいることは恰好のいいことだと思っている。

同じように泥臭くあることにも同じような感情を抱いている。

逆に腕を組んで、すかした目をして大人ぶることになにか抵抗感を持っている。

自分の行動の根っこにあるものはこの価値観なのだと思う。

自分の中の格好いいルールが、だれかの格好いいルールではないこともよくわかってる。

でも自分の中の格好いいルールのもつ縛りはとても大きいものだ。

それでも年を重ねるごとに、青臭く、泥臭くいることに費やすエネルギーの消費量に慄いたりもする。

そして現実とのギャップみたいな、現実とのズレのようなものにやきもきしたりもする。

どこかにあるゴールを目指してなにかを積み上げるのではなく、

なにかを積み上げた先にある場所をゴールとしたい。

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