Title: としをとるということ。
2016.12.16

年寄りはいたわらなければいけない。

その意味に少し血が通ったような気がする。

本当に人生にはいろいろなことが起きる。
いいことも悪いことも。

1年1年と過ごす時間に比例して、
一つまた一つと、悲しみや喜びが自分の中に積もり積もる。

その中で、喜びは蒸発してしまうような類で、
自分の中に澱のように残ることは少なく、
心に沈殿することの多くは悲しみや苦しみであることが多い。

長く生きるということは、
そんな多くの不可抗力な悲しみにであわねばならず、
そこで打ちのめされなければならないということだ。

そして打ちのめされた自分の心の矛先をおさめるための経験を積んだり、
立て直す術を身につけざるを得なかったということだ。

長く生きるということは、つまりはそうして、いやがおうにも
自分自身と向き合わねばならない時間をたくさん積み上げてきたということで、

なによりもその一つ一つの戦果に敬意を払い、
いうなればその満身創痍の中で生き抜いてきた人生の重みに想いを馳せる中から湧いてくる心を
「敬意」と読んでもいいし「いたわり」と読んでもいいのかもしれない。

その経験が知恵が役に立つかどうかが問題なのではなく、
その経験と知恵を積んできたその生き様と、
いずれ自分もそうして一人の人間として満身創痍になって生きぬいていかなければならない宿命に、
自然と頭がたれる心を持つということは、

だれかやなにかのためにではなく、
何よりも自分自身の心に一本芯を通すためにとても大切で必要なものなのかもしれない。

だから「いたわる」ということは、
年老いてできることの少なくなったお年寄りを、
まだいろいろなことができる若者が、
ただたんにサポートをするという意味だけではないのだなと。

いまさらながらで遅すぎる気づきだったのかもしれないけど、
自分にとってはとても大きな気づきだったように思う。



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Title: いと。
2016.12.14

あたりまえのことを、まるではじめて聞いたかのように、はじめてみたかのように見て、感じて、話す。この繰り返しと習慣が、結局のところ一番大事な部分をつくっていくような気がしてる今日この頃です。
 
それが法話でも、幼児教育でも、人間関係でも、遊びでも。
 
今年もあと少し。平穏無事に終わりますように。


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