Title: 人
2017.05.08

備忘の為に。

人を想う気持ちの中には、自己肯定や、コンプレックスの裏返しや、孤独感や、様々なネガティブな感情が根底に流れていて、普段それは流れの底のほうで静かに流れているのだけど、ひとたび流れがバランスを失うと、そのネガティブな流れに一気に飲み込まれてしまう。その切っ先はとても鋭く、ときに相手を、自分を、他人に向かう、その切っ先がだれかにささっても痛みを感じることができないくらいに根底にある流れは強い。

「なにか」で自分の''穴''を埋めるとき、その「なにか」がなくなったときにはそこにはまだぽっかり穴があいていることを忘れてはいけない。その穴をあけたものはなんなのか、どうすればそれを埋めることができるのか、それは誰かや、何かで埋められるべき類のものなのかどうかも自問しなければならない。

心はころころと変わり続ける、それは不条理な真実かもしれない、それを言葉や事実や、一つの形ある事象で固めとろうとしても、それはその瞬間に幻想的なものにしかならない。

自分というものがあるとしたら、その自分というものは、自分以外のそういう流れの結果浮かび上がってくる三角州のようなものなのかもしれない。それはむしろ四角洲かもしれないし、二角洲にだってなりえるし、ときに跡形もなくなるのかもしれない。

いくら自分で足場を確保したくともそうは問屋がおろさんと。

そして一番強いのは、やはりたくさんのものを持っている人ではなく、何も持っていない人なんだろうなということ。








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Title: ふと。
2017.05.08

今年の連休は、ぽつぽつと仕事をこなしながらも、
長い休みの中でゆっくりと生活をすることができた。

久しぶりに生活することを楽しむことができたようにおもう。

朝のんびりと起きて、朝ご飯をつくったり、買い物にいったり、こまごまと掃除をしたり、なかなか手を付けることができなかった模様替えをしたり、午後には晩御飯の献立を考えながら仕込みをしたり。

当たり前のようだけど、生活するってことを疎かにしていたなということを感じて、そのひとつひとつに心を寄せながら過ごしてみると、ここ数年の自分の手の中には、抱えきれないくらいの '' 雑多なこと '' であふれていたのだなということに気づかされた。

本末転倒とはまさにこのことで、生活を豊かなものにするためにあれやこれや、自分の人生を彩るためのあれやこれや、そういうものをたくさん抱えていくうちに気づけばその自重でつぶれるみたいに、あちこちにひずみが来ていたのかもなと。

脱力こそが難しい。

フラットな心でいるときこそが色々なことを生み出せるのに、生み出せば生み出すほどに、心はフラットから遠ざかる。
遠ざかって、慢心しては、また振り出しへ、その繰り返し、繰り返しなのだけど、3歩進んで2歩戻るってなもんだと信じて、少しは前に出てるんだって言い聞かす。

べつにべつにべつにってな。







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