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Title: 重力。
2017.12.19 重力を断ち切って宇宙へ飛び出すにはそれ相応の速度が必要だそうだ。 詳しくはわからないけど、たかだか100キロ、されど100キロ。 東京~熱海くらいまでの距離で宇宙までいけるのに宇宙が遠いのは重力があるからだそうだ。 たかがこの少しの敷居をまたげばいいのに、そのほんの少しが越えられないということは往々にしてある。 最近思うのだけど、物事にはどんなことにも重力のようなものが働いている。 場所でも、出来事でも、人間関係でも、すべてのものには重力があって、外へ飛び出そうとするときにその力が足を引っ張るのだ。もちろん普段はその力がしっかり働いているおかげで、地に足をつけていられるのだけど、その力はいざというときにはとても重い。 例えば、生まれた場所や生活する場所の持つ重力、いろいろな関係性やしがらみの持つ重力、自分自身の心の問題が生み出す重力。 それは、仕事場や家庭を離れて旅に出て、物理的な距離をあけることでふと瞬間的に、ここちよい無重力の世界に行くことができることもあるし、季節の節目や、生活の変化や、自分自身の経験や出会いや成長の中で、いままでとらわれていたものがふと無重力に解き放たれることがあるかもしれない、そして月に向かっていってまた今度は月の重力に捕まって、同じことを繰り返していくのかもしれない。 人間は重力がなければ生きていけないのだけど、時にそこから生み出された重力が大きくなりすぎて、飛び出すどころか、自重で身体が押しつぶされそうになることもある。そこであらゆる方法でその重力と対峙していかなければいけないのが生きていくということなのかもしれない。 そして、この1年で痛いほど感じたのは、死というものの生み出す重力の強さだ。 死が生み出す重力はとても強い。 それがどこか遠くの誰かの死でも、身近な人の死でも、自分自身の死でも、程度は違えど、そこから生じる重力はとても強い。 その働きを断ち切って宇宙へ飛び出すということはとても大きな推進力と、とても膨大な燃料が必要になるし、ほおっておくとその自重はどんどんと重くなっていく。 その重力とどう対峙したらいいのかということを考えるほどに、その答えはやはり仏法の中にこそあるのではないかと思う。 Title: しんか。
2017.12.07 |
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