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Title: えれ。
2018.06.06 間違ってるといわれたり、大損こいたり、理解されなかったり、先行きに漠然と不安を抱えたり、 その度に感情の渦に飲み込まれて、右往左往して、 手足をばたつかせて、疲れては沈み、沈んでは浮かぶ。 本当は不自由な人なんかいないのだ。 本当は誰だって自由になれるのだ。 お金があろうとなかろうと、愛があろうとなかろうと、才能やスキルがあろうとなかろうと。 失わないようにと、維持しようと、嫌われまいと、称賛されようと、守ろうと、闘おうと、 もっと高みへと、勤勉であろうと、怠惰であるまいと、 常識とか、あたりまえとか、目に見えない大きな枠みたいな中で、 こうあろう、こうあるべき、こうなきゃいけないと不自由になってく。 でも、本来自由は不自由の土台の上にあって、 不自由との対比の中にあるもので、 どちらかの側に立ってる時にはその構造に気づけないし、 そのどちらか側の概念に正解不正解を求めてる構造上の問題を、 客観的に見なきゃいけないのだと思う。 人間は手の付くところがないと、簡単にころぶし、簡単に傷だらけになるのだけども、 人はそんなにやわじゃない。 誰かが誰かを動かすためにつくりあげた、概念のようなものに捕まって、 捕まってることにすら気づけないような、世界の中で、 やわらかさと同時にもちあわせたしなやかさをもっと信じたい。 それは誰かのために、そしてなによりも自分のために。 |
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