Title: 夕暮れ。
2018.08.21

世間では今年の夏を平成最後の夏と呼ぶらしい。

夏に始まりも終わりもあるもんかいと思いながらも、すこしセンチな気持ちになったりもする。
昭和が終わって、平成が終わって、昭和の生き残りなんて言われる日が近づいてきてるとしたって、
いつまでも夏の匂いや、雲や、色や、風は、あの頃と呼ばれたときのまま、
かわらずに自分の心の中にあるなにかを震わせ続けるのだ。

きっと冬だったら、聴いたり、会ったり、食べたりしなきゃ補給できないような時でも、夏は無補給でどこまでも進めるような、
朝起きることも、歩くことも、汗をかくことも、雨に打たれることも、寝苦しむことも、すべてが自分の中になにかを注ぎ込んでくるかのように、いつまでもエネルギーが尽きないかのような錯覚に陥るのだ。

実際それは錯覚で、目前に40が見えてきた肉体にはじわりじわりとダメージは蓄積しているようで、
毎晩電池が切れたかのように、眠くなり、泥のように眠っては朝日とともに目が覚めるわけで。

そんな今年の夏は、本当に夏を満喫した。
まだ終わってないけど、でももう十分に満喫したといえるほどに満喫した。

陸海空すべてを五感でたらふく感じた。

そんで思ったのは、

思い出はやっぱり、感情の動きなんだ。
心の震えなんだ。

心をたくさん震わせることが、大切な思い出になり、その大切な思い出が、自分自身の芯になるんだってことで、
そんで、その芯は誰にもなににも奪われないってなことで、

そんで、その震えを忘れないことが、きっと右往左往して、あっちゃこっちゃぶらぶらとしたときに、原点に返る道しるべなんだきっと。

まだ終わらん。夏まだ終わらん。











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Title: onS
2018.08.01

北見のハッカ油が届いて、今年も夏がやってきた。

あれよというまにスケジュール帳は夏でうまっていく。
予定が埋まる度に、わくわくするような気持ちと同時に、なにか追いたてられるような焦りも生まれる。
夏が好きだからこそ、今を満喫しようという気持ちに捕まりすぎてはいけないのだと気づかされる。

あの頃から変わらない、心をつかんで離さない夏の姿は、いつまでも続くかのような膨大な時間をもて余す怠惰で気だるい日々の中にある。

いつまでも寝ていていいのだと、そう思えるその一瞬の安心感に幸せを感じながら、結局自然としなくてもよい早寝早起きに身体が順応してゆくような、身体の中にゆっくりと夏が涵養していくような速度で、すこしづつ自分の中にたまっていく何かがもたらす幸福感。

暑さで明け方に目覚めて、二度寝ができないときには、もそもそと起き出してシャワーをあびる。
水を1杯のんだら寝床に戻り扇風機の風をあびながら大の字になる。

外では新聞配達のバイクの音が聞こえる。
その音を聞きながらけだるい夏の朝にまた幸せを感じる。

そんな日々が始まるのだ。





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