Title: 十年一昔。
2018.12.13

十年一昔という言葉を反芻するように味わう。

この10年の実感を言葉にするなら、まいた種が、芽をだして、試行錯誤の中で育て、すくすくと伸びて開いた花が、そろそろ鉢植えでは手狭だなと感じるくらいの時間だった。

種からひとつの花を育てるという時間、その経験のすべてが今の自分の思考や行動や、理想や夢想のすべての要素に深く絡みついて、絡みついた先からまた新たな種を落とす。

今はその種をまた蒔いて、次の10年であたらしい花を咲かせたい。

そんな作業をあと2,3回するくらいの命の時間が残っていればいいなと思う。

*

それと、十年一昔と同じくらい、サイクルという言葉を実感として感じている。

昔自分の見てた景色の先に、今自分が立っていて、そしていま自分の見ている景色は、
きっと10年前にここにいた人がみていたであろう景色なのだろうということが体感の中でつながって、

その景色がつながっていくこと、そのサイクルのようなものが、
結局のところ人生という簡単な言葉の中に集約されていくのかもしれない。

その一瞬一瞬のその場所で、様々なことを感じ、その感覚を味わい、世の中の道理のようなものが涵養するように自分の中に落ちてきた時、その大きなサイクルを前に、ただただシンプルにわいてくる感情の中に身を沈めてみると、

生きるということを表現するときに必要なものは、言葉とか、功績とか、ましてや見栄や体裁なんてものではなく
どこまでいっても、ありのままということは、その瞬間的な偶然にすぎないという、あたりまえの事実に深くうなづく姿勢のようなものなのかもしれないなと。

その表現こそが、根源的ななにか、共通項に働きかける作用みたいなものを、実践的に試すように、言葉の中や行動や視線の中に落とし込むように使ってみたいとおもう。

*

道理というものを、頭ではなく肌感覚で通せるようになりたいなと。

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リスクだらけの中を涼しい顔で進んでいく人もいれば、何もないところで、けつまずく人もいる。
その差がなんなのか、おぼろげながら見えてきたような気がする。





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