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Title: さくらさくら。
2020.04.04 気づけば桜も見頃を過ぎて、 満開に気づけないうちに、 いつのまにか舞い散り始めた花びらを見上げ ふと立ち止まる。 志村けんのことを思うと、 幼少期の記憶であったり、家族の記憶であったり、 大人になる中で思い返すことも少なくなってしまった 「あの頃」の記憶が次々に呼び覚まされる。 その記憶が心の奥底にある柔らかい部分に触れて なにか温かいものが流れ込んでくるような気持ちになる。 数年前に、自分が子供の頃に腹を抱えて笑い転げていたのと同じように、 自分の子供たちが、バカ殿を見ながら腹を抱えて笑っているのをみて、 なにかとても嬉しくなったのを覚えている。 間違いなく、自分は志村けんの笑いの中に育ってきたし、 変なおじさんも、だっふんだも、アイーンも、 これからも記憶の中にずっと生き続けるのだと思うし、 「あの頃」を共有できるたくさんの同世代の仲間の中で、 いつまでもこの笑いは消えることなく続いていくのだと思う。 感謝。 * 様々な情報や想いがあちこちで交錯して、 そのひとつひとつに、脊髄反射で心揺さぶられ、 いろいろなところが疲弊する毎日なのだけど、 先日ひたすらに土いじりをしていて思った。 目に見えぬ不安や、 日々変化する情報や 様々人たちの思惑や 反射的にわいてくる感情、 そんな形のないものに日々さらされ、 なにか心が疲弊している時には、 感触とか、体感とか、感覚とか、 五感を伴って、今自分の中に感じることのできる、 確かなものをしっかりと味わうことで、 心が少し落ち着いてくるような気がする。 心がふわふわしたら、鉢植えでも植えたらいいんだ。 皮肉にも今になって、 日常がいかに砂上の楼閣、 些細なことで簡単に一変してしまうのかということを痛感して、 あたりまえこそが、かけがえのないものなのだということを再認識したり、 誰かを想い、支え合おうとすることの温かさに触れたりして、 人間のいい面も悪い面もごちゃまぜのこの世の中で、 五感と感性と愛だけはロックダウンできないぜ。 などと嘯きながらフラカンを聴き、 昼間の高速を走る日々です。 今切実に望むことは、居酒屋で笑いながら、 生中を飲むことです。 だっふんだ。 |
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