Title: しょかん
2026.01.04

2026年になったそうだ。

1999年の夏、なにかが空から降ってくるのではないかと戦々恐々、京都の小さな部屋で、パソコンに向かっては夜の11時になるのを待っていた日々からもう27年が過ぎたそうだ。

光陰矢の如しとはよくいうけれど、矢が飛んでる速さを目の当たりにした経験があまりないから、自分がいままでの人生の中で目の当たりにした早いものを思い出してみたら、すぐに浮かんできたのは吉本の50m走と、小樽で乗った赤いAudiのスピードくらいしか思いつかないのだけど、その時と同じくらいに日々の流れの速さに慄く。

そして、新しい年を迎えたかと思ったら、あと数日もすれば、齢四十六歳になろうとしている。
(昔みた手塚治虫の書いた男の一生の図解でみたらもうロマンスグレーと呼ばれているではないか)

宮崎駿が「となりのトトロ」を発表し、イチローが現役を引退したのと同い年だそうだ。
ちなみに、レオナルド・ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」を完成させたのも46歳だそうだ。

ここ数年の自分を顧みるに「トトロ」や「最後の晩餐」を完成させるような迸るようなパッションにあふれるような日々を送れてはいなかったかもしれないし、今すぐイチローと同じように引退するつもりもないけれど、それなりに歯を食いしばりながらも、時代に食らいついてきたつもりだし、いつかくる余生というその時を、昔よりもリアルに夢想したりするようにはなった。

40歳も半ばを超えて思うのは、つくづくいろいろなところがポンコツになるし、油をささないと動かない箇所も増えてくるし、心身ともに「普通」である状態を維持するのに、労力と時間とお金をかけないと難しくなるということだ。そういう物理的な抵抗と、もうひとつ専ら自分にとって立ちはだかってくるのは「億劫」という名の敵対勢力だ。

書くのが億劫になる、話すのが億劫になる、会うのが億劫になる、考えるのが億劫になる、創るのが億劫になる。

様々な場面で、この「億劫」という名のデモゴルゴンが立ちはだかってくる。

ここ数年の勝率は概ね4勝6敗くらいかもしれない。

億劫と戦いながらも、疾走する赤いアウディのようなスピードで過ぎていくこの時間の中で、日々は刻々と変化をしている。

昨年は、嬉しい変化も、悲しい変化も、わくわくするような変化も、寂しい変化もたくさんあった。

まだまだ消化しきれない想いはたくさんあるけれど、その変化のひとつひとつで立ち止まりながら、
これがつまりは「生きる」ということなのだなということを実感した。

生きるとはつまるところ、白旗降ってその変化を甘んじて腹で受け止めていかねばならないという事なのだろう。
だとしたら本当に生きるということは、骨の折れるやれやれな作業だと思う。

これからも訪れる様々な変化の中でもっとタフにありたいものだ「もっとタフに、そしてしなやかに」これがアラフィフに臨むためのテーマかもしれない。

いつだって、タフでいるということは、簡単なことではないけど、いつでも「のんきなおじさん」でいられるように、できることをひとつひとつ丁寧に。

そしてデモゴルゴンとの戦いに、せめても6勝4敗で勝ち越せるような1年にしたい。

今年もがんばる。生きる。



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