Title: ことば。
2014.05.28

言葉を見ること、言葉を読むこと、言葉味わうこと。

そしてそのひとつひとつの形をイメージすること。

言葉の手応えを感じること。

言葉の質量を軽んじないこと。

言葉を過信しないこと。

言葉にのまれないこと。

言葉にしがみつかないこと。

言葉をこえたものは言葉ではないこと。

ことばは、思っているより力があるんだけど、思うほど力もない。


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Title: 両手。
2014.05.28

両手で白旗。

誰かにとっての白は誰かにとっての黒。赤。青。自分の決めたことでないことに心の折り合いをつけるのに時間を消耗するなら、その時間を今に存分に注ぎたい。

結局の所、派手な投げ技よりも、しっかりとした受け身。これにつきる。そんでもってなんだかんだ、世界は無常につきるのに、その無常をいつまでもとどめておこうとする心がとまらなくって、人はつくづつ欲張りで孤独なのだということを思い知る。

ミスチルの「放たれる」を聞きながら岳を読み始めたら、いろんなものがこそげ落ちて、心がからっとしたときに、真っ先に思ったのは、フライパンを買いに行ってパスタをつくろうということだった。はじめて挑戦したパスタソースは思い通りにはできなかったけど、でも満たされたのはお腹だけではない。

指切りげんまんなんて、ナンセンスだなんて思ってたんだけど、人間は、指切りげんまんに寄りかかれるから心が震えるんだ。生きることも死ぬことも同じだ。

つまるところ、人は弱い。そしていつか死ぬという事実が心にかけてくる負荷は想像以上に重い。それを無意識の奥に追いやることが生きると言うことで、それでも何度押し込んでも首をもたげてきて、そこに必要以上の意味をつけないと受けとめられない程に人は弱い。

弱いからこそ強く。そして大概その強さと呼ばれるものにここ一番で苦しめられる。

目が前についているからといって、いつも前を見据えていなければいけないわけじゃない。閉じてはじめてみえるものもあるよってなもんで。信じるということは、どこまでいっても言葉を追い越せなくて、言葉を追い越したところにあるものはもう、信じるじゃなくて、信じるというのは帰着点でなくて過程をさすのかも。

神様佛様に何かを願うときに、欲しいのは、背中を押してくれる大義名分。そして自己防衛。

ぶっこわれるからつくれるのだけど、ぶっこわれないとつくれないとおもいこむことは、それもまたまもろうとするこころ。



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Title: 削。
2014.05.07

ここ数ヶ月で感じたこと。

結局の所、好きも嫌いも愛も恋も、執着で、その執着は欠けたピースの穴埋めなのだろうということで。欠けたピースをいつもどこかに求めることが、人の脆さで、その脆さを補い合えるということは人の強みなのかもしれないって。堂々と堂々巡り。

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伝えるということ。

いままで自分の中にある想いや思想や願いを相手にぶつけて、そこに変化を求めていたのだとしたら、いまは、伝えたいという気持ちはあるのだけど、伝えようと強く思うのじゃなくて、伝わって欲しいと強く願うみたいなところに、微妙に変化をしたように思う。些細な感覚の違いだけど、そこが自分の立ち位置にもたらした影響は大きい。

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「水は流れていないとそのうち腐りはじめる。ひとつのことにとどまっていると、水はどんどん腐っていく。だからこそ、わたしは意味のあることをする。水と水を壺から壺へ移すのには、そういった訳があるのだ。との心も同じように。流れ続けていなければならない。ひとつの物事、人物、などにとどまるというのは、腐るのと同じだ」とある人がいう。

それを反芻して、いま湧いてくる気持ちは、腐ることを怖がるのはもうやめたいということと、腐りたくないと思うことに捕まることが一番苦しいのだということ。

腐りたいわけじゃない。いつも清く澄んだ水のようでありたい。でも、腐るという言葉に捕まると、清く澄んでいよう、清く澄むためにはどうしたらいいかってことにばかり自分を消費してしまうような気がして、目的と手段がごちゃまぜになってしまうように思う。

それもまた執着でこだわりで、言葉に捕まってるのだけど、結局の所それでいいし、これでいい。

つまるところ自己満足なんだ。それは自己正当化とは違う意味での。最後に信じるのは感覚的なズレや違和感でいいのだ。計算がいくらあってても、目で見える、本来は正確でない世界が人間のつくる世界のすべて。

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見えるものが増えると言うことは、見えなくてよかったものが増えるということを抱え込むことで、それを成長と呼ぶのであれば、そこに伴う苦もまた成長していく。

結局の所、成長したり、視野が広がったり、前に進んでも、いつだって自分の立っているところから反比例して働くデメリットがなくなるということはないし成長っていう言葉を、まるまるポジティブな言葉だと鵜呑みしないことも大事なことなのかもしれない。

どこまでいっても、見えるものが増えれば、見えなくていいものが増えるんだ。

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感情をだすことに安心していきていたい。

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その人の視点はどのへんの距離にあるかということは、その人を知る上でとても有効で、同じ距離をもった人はそうそういない。

その距離感は互いに惹かれあうときも、拒絶しあうときも無関係ではないと思う。

そして、その生まれ持った距離感のメリットはその人の個性や独自性であり、そこにあるデメリットを補おうとする行動や自己防衛がその人の生き様や言葉をつくるのだと思う。

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