Title: おばけやしき。
2015.08.28

園では夏期保育の3日間おばけやしきを開催しました。

開催にあたり、少し前にお化け屋敷プロデューサーである五味弘文さんのお話をきく機会をいただき、その話を参考にお化け屋敷をつくりました。五味さんの話の中で印象に残っていた、お化け屋敷にはストーリーがあり、ただ恐怖を感じるだけのものではなく、あたたかさ、悲しさ、優しさのような、なにかそこに人間の心を感じられるものをつくりたいという話。

その言葉を参考にストーリーを考えました。

子どもが大好きなおばけ、幼稚園でいつも子どもたちをみていました。

しかし夏休みに入り子どもたちがいなくなり、幼稚園は静かになってしまいました。
それが寂しくて、おばけは子どもに会いたくて幼稚園の部屋の隅にでてきてしまいました。
このおばけは子どもにしかみえません。声も子どもにしか聞こえません。

夏期保育にきた子どもたちは、夏休みの間一人で寂しかったおばけの友達になって、元気をあげることでおばけはお化けの世界に帰ることができるので握手をして友達になってほしい。

これが今回の背景です。

真っ暗な部屋の中の隅におばけが座っています。BGMは阿弥陀経です。さあ子どもたちはおばけと握手して元気をあげることができるでしょうか。

そして今回のお化け屋敷はそれだけでは完結しません。

お化けと握手をするとおばけから手紙がもらえます。その手紙には見たことのないおばけ文字が書いてあります。その手紙をどうやって読もうか悩んでるところに、幼稚園に古くから伝わる古文書がでてきます。その古文書をもとにおばけ文字を解読するとそこにミッションがかいてあります。それをクリアすると見事メダルをゲットです。

入念に準備をして、いよいよお化け屋敷スタート。

初日のルールは必ず一人で入らなければいけないこと。これはそうとう難易度高いです。真っ暗な部屋に一人ではいり得体の知れない者と握手をするというのは大人でも難易度がたかいのですが、ここで驚くべきことがおこりました。

みんな怖がりながら、ほとんどの子どもが入り口で引き返す中で、数人の子どもがおばけに話しかけました。「友達になろう!」と。そしてはじめてクリアをした女の子はおばけを怖がることなく、一人で寂しかったね、お友達になろう、あなた名前はなんていうの?と真っ暗な部屋の中をまっすぐ歩いてきました。目に涙をためながら、がんばって友達になってあげたいと暗い中を歩いてくる子もいました。

初日のクリア人数は全園児300人中10人です。

この10人の子どもたちとの会話を全部聞かせたいくらいです。おばけは子どもたちの想いと優しさに胸一杯になりました。

そして2日目は2人で挑戦してもいいということにしました。するといままで入り口で引き返していた子どもたちがぎゅっと友達の手を握り、時にお兄ちゃんやお姉ちゃんの手を握り挑戦します。

おばけの前までがんばってきたお兄ちゃんが、おばけに弟を紹介していました。弟のだれだれです友達になりにきましたと。自分も怖くて震えているのにしっかりとお兄ちゃんとしての任務を果たしている姿に胸があつくなりました。

そして友達同士の友情も。ときにいざこざもありましたが、一人よりも二人、友達のもつ力っていうのはすごいのだなということを目の当たりにした気がします。

それでも2日目のクリア人数は30人です。

そして最終日には3人ではいってもいいことにしました。そして少し電気も明るくして小さな子どももはいりやすくしました。

するといままで外で見て、入ることができなかった3歳の子どもたちも挑戦します。いままでお兄さんやお姉さんが挑戦してたお化け屋敷に勇気をだして踏み出します、そして一度クリアしたお兄さんお姉さんたちが小さな子どもの手を引いて連れてきます。

そこでみんな次々におばけと友達になりました。手紙をもらって帰って行く子どもたちの顔がとても誇らしげでした。

そして最終日には、一度クリアした子どもたちが、おばけが帰ってしまうときいて何度も会いに来ました。自分でお化け文字を書いておばけに返事を書いてくる子どもや、寂しいから会いに来たよとお手紙をもってきてくれた子どももいました。

お化け屋敷をクリアしたあとに、自分が命がけでもらったおばけからの手紙。どうしても読みたくて、いままでひらがなを書いたり読んだりできなかった子どもたちができる子にきき、自分でしらべて一生懸命手紙を読んでいる姿も印象的でした。

たかがお化け屋敷、されどお化け屋敷。

さらりと書いたのですが、本当にこの3日間お化け屋敷の中で繰り広げられたドラマには何度も胸が熱くなりました。そして行事やイベントを通して子どもたちになにかを伝えるためにはどうしたらいいかということの多くを学びました。

そして個人的には年長の子どもたちと間近で会話をしても正体を見破られないために、アメリカから輸入したボイスチェンジャーの効果に一番おどろきました。

あなかしこ、あなかしこ。


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Title: サマーメメントモリ
2015.08.11

でっかい入道雲ながめながら竜の巣や。というのもこれまた夏の風物詩。

毎年毎年、夏がくると幸せだなと思いながら、あと何回夏を味わえるのかという気持ちにもなるわけです、ある種のメメントモリ。今年も島に行って朝から夕暮れまで死ぬほど潜ってごはんをたべたら即ばたんして、そして明け方にセミうるっせぇ!といいながら布団から這い出して、また昨日のデジャブかのようにひたすらに潜るのです。気が狂ったように。

からっからっになった身体になにかを詰め込むかのように、これでもかというほどに夏を浴びるつづけて、あてられてのぼせて鼻血が出るまでやめないのです。ツクツクボーシよまだ鳴くな!と言い続けるのです。

写真を見ていて、写真に写っているものに目を奪われるのと同じくらいに、そこでシャッターを切ろうと思った心にも同じくらい心奪われるのです。ここが撮りたいという一瞬にあったであろう想いは、目には見えないけどちゃんと写ってる。だから写真っていうのはとても特別なものになりえるのだろうな。それがちゃんとのってるものはきっとピンぼけでも手ぶれでも、特別な1枚になるんだろうなと。

真っ暗な空で満天の星空をみているときにふと、そこに闇があるのではなくてただ光がないだけとも言えるという言葉を思い出して、それがすごく体感として腑に落ちたわけです。光がないだけ。

島から帰ってきて、扁桃腺が3倍くらいに腫れて、気道を圧迫してる上に鼻が詰まってるので、いまとても呼吸ということのありがたみを感じながらこの文章を書いていて思ったのだけど、夏に感じる格別な気持ちも、好きなことをゆったりと考える時間も、平和も、きっと健康で、すくなくとも痛い苦しみのない肉体の上にあって成り立つものなんだろうな。

でもそれは永遠に続くものではなくて、やがて衰えて、それに伴って気力も衰えて、生きることにわくわくすることもなく枯れて死んでいくのだろうなと。

いつか自分が蝉の声にも、波の音にも、浜辺の缶ビールにも、まぶしさを感じなくなる日がくるのだろうかと、メメントモリしてみるのだけど、でもそれを考えてもしかたないから、今は今年の夏を存分に味わうだけなのさと言い聞かせるだけですねん。

まだおわらんぞ。

ガガガが勇気をくれるな。

青臭くありたい。













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