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Title: 合。
2013.02.22 ふと思いだしたんだけ。インドやチベットにいったときに、ご遺体ってまさに亡骸なのよ。ああ亡骸なんだなっていうのをすごく感じた。だからなんだよって話なんだけど、慣れるのとは違うし、軽く扱うのともちがうのだけど、肉体は亡骸になるのだよな。 尊厳というのは、おもにご遺体に対するものではなく死に対してあるべきものなのかもしれないな、同じようだけど、その違いによって手を合わせるべきがどこなのかには大きな違いが出てくるのかもしれない。 Title: 金助
2013.02.22 「好き」を持っているいるということはとても幸せなことだと思うし、「好き」はその人の魅力でもあるし、味でもあるし、生き様でもあるし、力でもある。 それが仏教でも、三味線でも、尺八でも、陶芸でも、勉強でも、彼女でも、家族でも、なんでもいいのだけど、好きなものは自分というものに、彩りとのりしろをくれる。この彩りとのりしろがここ一番で自分を支えるモチベーションや原動力になる。 最後の最後で疑いようのないものは、理屈ではなく好きなのだという自分の感覚なのかも知れないし、もしかすると自信というのはそういうところから生まれてくるのかも知れない。 きっと「好き」という中には、もう見たくもないとか、大嫌いとか、もううんざりとか、飽きたとか、そういう感情が既存設定で含まれているもので、そう感じたことがないものはきっと本当は「好き」ではないのかもしれない。 それと、「好き」と「楽しい」はすごく密接に関わっていて、楽しいというのは、自分がその場所を、その空気を、その時間を、目の前の人達をどれだけ好きなのかということに比例してくるものなのだと思う。 Title: たからもの。
2013.02.22 今日一人の女の子が池に張った氷を嬉しそうに持ってきた。まるで宝物でもみつけたかのようにきらきらとした目で。 その子をみながら、この子がいつか大きくなったら池の氷には目もくれず、ティファニーのオープンハートの方に目をきらきらさせてしまうのだろうかなんてことを思ってしまってすこしせつなくなった。 感動は案外身近にあるのだということをいつまでも忘れないようにしてほしいものだ。 Title: こーひー。
2013.02.22 実はと言うほどのこともないのだけど。 少し前からコーヒーを飲むようになったのです、というよりも飲めるようになったのです。きっかけなんてものは特にないのだけど、少しづつ飲めるようになっていまやブラックでもどんとこいです。 なんかやっと大人の仲間入りをした気分です。 でも長いこと"コーヒーの飲めない人"をしてきていたので、よくいく場所や、よく会う人は黙って一人だけ紅茶やお茶に変えてくれたり、コーヒーをくださいというと驚かれたりするのですが、何度かそういう経験をしているうちに「変化」というものはこういう感じなんだなということを実感をもって感じられたような気がします。 自分の変化は、少なくとも人にも影響を及ぼすし、例えそれが小さな変化でも、人から人へめぐりめぐっていくのだなと。それが悪い変化であれば悪い流れになって、いい変化であればいい流れになって、それはいつかおおきなうねりになるのかもしれない。なんて大げさなことを考えたりするのです。 それと、たかだかコーヒーが飲めるようになったという小さな変化なのだけど、その変化によって、自分には行きたい場所が増えたし、使いたい道具もみつかったし、腰を落ち着けられる居場所ができたし、その小さな変化がもたらしてくれたものが数珠玉のように自分の知らなかったことや、見えなかった視野につながっていくのがとても心地よいのです。 好きなものや、好きなことが増えるというのはとても楽しいことで、幸せなことなのだ。という手垢のついたような表現なのだけど、でもその手垢のついた表現に、いままさに血がかよってきて、じんわりと身体の中をめぐってくるような心地よい温かさにほんのりとほうけている今日この頃なのです。 |
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