Title: 我等は忽然として無窮より生まれ。
2011.08.28

旅の記録を読み返しながら、せっせと書き起こしていていろいろと繋がったのだけど。

例えば、ブッダガヤからバラナシまでいこう。という大きな指針は持っていながらも、実際はブッダガヤにつくまではそのルートなんか決まっていなくて、事前に車をチャーターして仏跡を巡りながらバラナシまでいっちゃおうかとか、電車で行こうか、バスで行こうか、そもそも電車とか何時にでているんだろうかとか、どこでチケットを買おうかとか、ガイドブックや情報を仕入れながら妄想するのだけど、実際現地に行ってみればすんなりとそのルートは、いろいろなことが作用して、自然と無理なく1つに絞られるのだ。

そしてなんだかんだと目的地は中継地点になり、その先へと、あれよあれよという間に進んでいくのだ。

自分の期待を存分に裏切りながら。

旅をしているとこういうことがよくある。

もちゃもちゃといろいろ考えて悩んでいても、足を動かすと、出会いがあり、縁があり、運があり、トラブルがあり、いろんなことが作用して、自ずと自分の進むべき道へ押し出されるのだ。

その度に、自分の意志や想いが現実へ及ぼす影響なんてものはこの程度なんだなと感じる。

これを自分では、想像の限界、意志の限界というのだけど、それを感じる度に、世界は自分の手の内にないことにあふれていて、自分というものをしっかりと1つの方向に自分を押し出してくれるのだということを実感する。

話は飛ぶが、今年の8月末をもって5年前に起業した会社も9月からは6年目になるのだ。立ち上げた当初にはいまの形は想像もしてなかったし、この5年間いろいろなことがあった。幼稚園やお寺の傍らということもあり、いろんな形で多くの人に迷惑をかけたし、わがままもいわせてもらった。本当にいいことも悪いことも、たくさんの一期一会もあった。それでもなんとか5年間会社を存続しながら、それなりに結果も出しつつここまできて、その経験がなんか今旅の記録をまとめていて妙にシンクロしたのだ。

なんか。

ああでもないこうでもない、こうなったらどうしよう、こういう方法があるのではないかとか、いろいろと考えるということは大事なのだが、そういう時は大抵自分が立ち止まっているときなのだ。

自分の意志や想像なんてものの見通しはいいとこ数分後か数時間後、へたすりゃ明日のことすらままならないのが人間なのだ。目標というのは大事だと思う。でもそれはあまり厳密でなくていい、旅の目的地を漠然と掲げるみたいに。

プロセスなんてものは、そちらの方角に足を踏み出した瞬間に、自ずと決まってくるのだ。自分の意志に関係なく、できることはできる、できないことはできないのだ。

こりゃ思うになんでもそうなんだ、何事もなにか踏ん切りが付かない、踏み出せないことがある時というのは自分の足が止まっている時なのだ。

人生は旅であるなんてニュアンスの言葉を数多くの人が残しているが、なんかふとそれがわかる気がしたのだ。

人生は旅のようであり、旅は人生のようなのだ。そしてそれを思えば、生きるということを意識したときに、人生に例えられないものなんてないのかもしれないとも思う。

それはなぜかと言えば、世界のすべては自分の脳みその想像できることを遙かに超えているからなのだ。そして人生楽しむということはその流れにのるか否かなのかもしれない。

怖じ気気づいたらいつまでも世界は変わらない。足を出すのだ。

たぶん。

今自分は自分の意志で足を出していると思っているし、まだまだその感覚を持っている、でもこの先いつか、この足を出す感覚でさえも自分の意識ではままならないのだと思える日が来るのかもしれない。

その時にはきっと立ち止まっても歩いても同じなのだ。

世界は常に流れているのだ。そして止まることなどはじめからできなかったのだなんてことを言うのかもしれない。

紹興酒が効いたのか、中華料理の帰り道、ふとそんなこと考えていたのだ。

| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: インド旅 ブッダガヤ:ラカン出会い編
2011.08.27

【ブッダガヤ初日】

ガヤの駅について、早速オートリキシャをみつけて、マハボディ寺院を目指す。

空港→コンノート→車中のルートでは正直インドらしいインドを実感できていなかったのだが、ガヤ駅からオートリキシャに乗った瞬間に、インドが自分の中にがつんと流れ込んできて、インドとの温度差がフラットになっていくような気がした。そこにはデリーにはない、人間のるつぼ感が広がっていて、イメージをしていたままのインドが広がっていたのだ。

マハボディ寺院につくと同時に、感慨にふけるまもなく日本語を話せる何人かのインド人がついてくる、ある人はバイクで、ある人は歩いて、ある人はリキシャで。

どこからきたの?ゲストハウスあるよ?どこいくの?いつまでいるの?インドは初めて?を浴びせかけてくる。

ブッダガヤにくることをずっと楽しみにしていたので、ここはゆっくりとお寺を眺めながら、一人静かに浸りたかったのに、一気に興をそがれてしまって、もうすこし落ち着いた気持ちでお参りをしようと思い、遠目に手を合わせて、長旅の疲れを癒すべくとにかくホットシャワーを浴びて、ゆっくり足を伸ばせる場所を探した。

とりあえずガイドブックを開いて、よさげなゲストハウスをみつけてチェックイン。

しかし、ゲストハウスに着くまで、横をずっとついてくるインド人、フロントにまで着いてきて、でてくるまで待ってるからといっているインド人。

初めは、やっとマニュアル通りに絡んできてくれたインド人ちょっとウキウキしながら、軽くいなしていたのだが、徐々にその煩わしさにめんどくささを覚える。

寝不足なのもあったけど、最後は今ついたばかりで、疲れているから頼むから一人にしてくれと懇願。それでも笑顔で、そうだね、ところで昼飯でもどうだ?といってくるインド人。

この感じにだんだん笑えてきたのと同時になんかもう、まじめに答えるのにも疲れてきて、とりあえずさようなら、おら寝るといって彼らを置き去りにして部屋に入り、ホットシャワーをあびて、ベッドに横になる。

気づけばそのまま眠りに落ちていた。

そして空腹とACで身体が冷えすぎて目が覚めるともう昼下がりになっていた。

さすがにもう、フロントのインド人もいなくなっていたので、安心してまったりマハボディ寺院をお参りしようとしようと思ってゲストハウスをでたとたんに一人のインド人が近づいてきた。

日本人?どこいくの?いつきたの?

さすがにもう興をそがれたくないので、しばらく軽くいなしていたのだが、あまりにしつこいので、頼むから一人にしてくれ、ブッダガヤにくるのはずっと楽しみにしていて、一人で静かにお参りをしたいんだ、ここに来てからずっといろんなインド人がついてきて、ゆっくりお参りができなくて悲しい。だからわかったから向こうにいってくれと伝えたのだ。

するとそのインド人は、悲しそうな顔をすると、すこし黙って、わかったちょっとまっててと言って、自分のもとを離れていったので、なんだ話せばわかるインド人もいるのだなと思ったら、彼は、向こうの畑でとつぜん立ちションをして、何食わぬ顔で戻ってきて、まあとりあえずチャイでも飲むか?と聞いてきた。

その間の外し方に、完全に気が抜けてしまったのか、肩の力が抜けて、わかったチャイの店は近いのか?と聞いてチャイの店につきあうことになった。

これがラカンとのファーストコンタクトだったのだ。


rakan1.jpg

【おもむろに用を足すラカン】




| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: インド旅 深夜特急編
2011.08.22

ニューデリー発ブッダガヤ行きの夜行列車の中。

とにかく寒すぎる車内で備え付けのブランケットをかぶりひたすら窓の外を眺め倒す。

世界の車窓からのテーマソングを口ずさみながら、どこまでも広がる田園風景に、世界は広いぜ、そして自分はなんてちっぽけなんだ。なんてスナフキン気取りで想いを馳せるわけだけど、なにせ20時間近くものってると、景色にもすぐ飽きてやることないので、隣のインド人の観察をしたりするのだけど、それにもすぐ飽きて、どうしょうもなくなってくだらない妄想ばかりをメモに綴る。

L1000285.jpg
【ただひたすらにこんな景色】

その時のメモを順不同に羅列。


*

電車の窓からみえるのは、あちらこちらでのぐそをする老若男女。じいちゃんばあちゃん、にいちゃんねえちゃん、子どもに牛に犬。一面の緑の田んぼに転々とおしりを出して座り込んでいるインド人をみて、それが肥料になり大地をつくり、その恵みを口にして、また大地へ戻すのだ、これぞ究極のエコ。

*

電車の中にはいろんなインド人がいるのだが、結局のところ信用できそうか、心を開けそうかどうかなんていうのは、ファーストコンタクトの印象であり、おおかた人間が信頼関係をつくるときに表情というのはとても需要なのだ。そこに意識をもっていけるかどうかというのがうまく生きていく為のミソみたいなものなのかもしれない。

*

インドの田園風景もはじめは新鮮なのだが、ふと気付けば、千葉県の佐倉のあたりにはここに近い風景はけっこうあったりするのだ。

*

旅に出て自分の視野が広がったり、いろんなことを許せるようになったり、自分の駄目っぷりを知ったりすることができて、自分の世界すこし変わったかもなんていう実感を感じたとしても、そのメリットを人に伝えたり説明することなんてできないのだ。

自分の世界が変わる感覚は変わったことがある人にしか共有できない体感の世界なのかも。

*

インドにきて、スティーブマッカリーの撮った写真のすごさをふつふつと感じた。そう、この目なのだよ。

*

途中停車している駅で、おそらくサドゥ(修行僧)と目があったら、そのサドゥが満面の笑みで手に持った杖らしきものをこっちに振り上げてくれた。なんかそんなたわいもない一瞬のやりとりで、インドのいままでの嫌な想いが吹き飛ぶような気がした。

*

自分の分限はどこまでなのか。日本にいると自分の分限がどこまでなのかわからなくなる。

でもインドいると自分の分限がよくみえるような気がする。インドだけじゃない、チベットでも感じたのだけど、どこまでもでかい空とか大地とかそういうもののコントラストにさらされると、自分の分限がどこまでで、どこから先にいけば自分の力の及ばないところか、その線引きがはっきりされているような気がするのだ。

人間は自分の分限を知って、自分の足りないものを自覚することで、そこではじめて足りないものを何かで補うことができるのだと思う。

日本では自分の分限は見えにくい。だから足りないものにも気づきにくい。自分の足りないものに気づけないということは、いつまでたってもそこを補完できないということなのだ。

*

喜ぶことも、悲しむことも、笑うことも、自分もインド人も同じなのだ。何千キロ離れて生きていても、どんなに生活や風習が違うとしても同じなのだ。そいつが何人かなんていうカテゴライズは時に便利で、代名詞として大きな意味を持つのだけど、本当の所、つかみどころのない霞みたいなものなんだ。人種や国家間の抱える問題のほとんどは、そのぼんやりとした霞をつかむような話なのだ。

*

インドにはレンガの家が多い。どんな家かって言えば、3匹の子豚の絵本にでてくるレンガのうちみたいなの。

*

途中の停車駅でお祭りの準備をしている人たちがいた。なんかその人たちの顔を見てて、娯楽や生き方の選択肢の多さとお祭りの価値観は反比例しているのだと思った。


*

インドでもしビジネスをするとしたら、市場の創造という言葉を頭の中にいれて動いたら案外道が開けるのではないだろうかとか浅はかにも思ったりした。今あるもののクオリティをあげて売るよりも、今はないけど、それがあれば少し生活が楽になるとか、新しい習慣に結びつくようなものを導入することに主眼を置いてなにを売るか考え得るのは面白い気がする。

日本で同じことをしようとして全国民が1円を出しても1億2千万くらいにしかならないけど、ここなら8億なのだ。それにこの国にはまだまだ不便があふれているし、それは言い換えればそのままビジネスチャンスなのだろうと思ったのだ。それとデリーにはまだまだ土地が余ってる、日本人企業向けの貸しテナントや賃貸をつくれば、結構需要があるのではないかと思う。

*

いろんな国にいったけど、結局国境なんて線は見えたことはないのだ。

*

それがいいのか悪いのかとか、そこに戻るべきだとかナンセンスなことを言うつもりはないけど、でも自然と共生している時に育まれる感性みたいなものは、どんなに国が発展しても身体のどこかに置いておきたい感覚だと思った。

*

そんなこんなで、気づけば自分の席にも、見も知らずのインド人が入れ替わり立ち替わり座ってきて、ああでもないこうでもないと、話をしては去っていく。

L1000278.jpg
【手前の席は自分の席なのだがおかまいなしにだれでも座ってくるのだ】

そんな中ずっと隣の席にいたインド人(自称31才、決して同い年には見えないのだが・・・こちらをなめるようにみてくるのが特徴)の彼が降りがけに車内販売のスナックを買ってくれた。

若干怪しんでいたのだけど、同い年だということと、スナックを買ってくれたということで打ち解けて、しばし談笑し、固い握手を交わした。

L1000279.jpg
【お米をフライしてあるものに、野菜とスパイスをお好みでまぜたスナック、ぴりっとしているけどなかなかうまい 】

そして長い長い列車の旅は終わりいよいよガヤ駅に到着したのだ。


L1000286.jpg
いざ聖地へ。



| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: インド旅 ニューデリー駅編
2011.08.20

ニューデリー駅22時発の寝台特急でブッダガヤに向かう。

ニューデリー駅に20時に到着。夜のニューデリー駅に旅行者は全くいない。右を見ても左を見てもインド人、薄暗い駅はごった返していて、構内の床にはあちこちに寝転がっている人がいる。その人たちを踏まないようにホームに向かおうと試みるのだが、その人たちの白くぎょろりとした目が一斉にこちらに向けられるたびにおどおどしながら、頭の中で地球の歩き方のトラブル集をおさらいする。

何度も譫言のようにNoProblem、NoProblemとつぶやき自分を鼓舞する。

この時点でまだ旅人モードにスイッチが入っていないので、おどおどっぷりも焦点のあわなさっぷりも半端ない。うっかりインド人に腕をつかまれ時には腰を抜かす勢いだ。

しかしなんと実は、今回電車に乗るまでサポートしてくれるという強力な助っ人ダブド君と知り合っていたので、若干びびりながらもいつもダブド君の顔色をみつつ助けを請うていたのだ。

(ダブド基本スペック:23才:彼女無し:Tシャツには「男山」と記載:日本の御徒町で親戚がカレーショップを営み、かなりの日本贔屓:日本語は片言だけど簡単な意思疎通は可能:本名はめちゃくちゃ長いので通称ダブちゃん)

そして今回のまずファーストアドベンチャーがここで訪れるのだが、実は日本から手配した寝台列車の切符はWL(ウェイティングリスト)といって、いわばキャンセル待ち状態だったのだ。まあ当日までにはいけるだろうと高をくくって駅まできたものの、実際この時点で電車に乗れるかどうかはわからなかったのでかなりの不安を抱えていたのだ。

「ダブちゃんこれ電車のれるかね?」

「うん、ちょっとまってね・・・あれ掲示板に書いてないね・・・いま調べてくるね」

そういってダブちゃんは駅の窓口に消えていって、数分後に肩を落として戻ってくる。

「う~ん、まだ乗れるかわからない、とりあえずホームへ行こう、ホームは9番だ」

「おお・・・まだわかんないのか・・・OKとりあえずいっちまうか」

112.jpg
【男山のTシャツを着ているのがダブちゃん】

ってなわけで、ダブちゃんについて、駅構内を奥へ奥へすすむ、数々のインド人をかき分け、踏まないように乗り越えて、9番ホームにたどり着く。

L1000252.jpg
【ごったがえすニューデリー駅】

「もしこれ電車に乗れる場合にはSLクラスというクラスだからここにいればたぶん大丈夫だ」とダブちゃんはいう。

その言葉を信じて、一緒に談笑しつつ電車を待つ。笑ってられるのがここまでだったということは、このときの二人は微塵も気づいていないのだった。

待つこと数分、隣のインド人が口をもごもごさせながら話しかけてくる。

「へいジャポーネおまえどこいくんだ?」

「ん。おらブッダガヤだ」

「そうか、気をつけろよあそこには悪い奴もたくさんいるからだまされるんじゃないぞ!」

「お・・・そうなのか・・・サンクスきをつけるよ」

「ところでおまえ電車はSLクラスなのか?」

「おお、そうだ」

「じゃここじゃないぞ」

「え・・・そうなの?」

それを聞いていたダブちゃんの顔色が変わる。そしてダブちゃんとそのインド人がヒンドゥー語でなにやら話し合っている。しばし会議をした後ダブちゃんが一言。

「うん。ここじゃないわ。なんかホームに乗客名簿が張り出されていて、そこに名前と乗る車両と番号が書いてあるそうだ」

「ダブちゃん・・・OKじゃそれを見に行こう」

そしてホーム中央まで行くと案の定の人だかり、みんな自分の座席を確認している。さっきまでそれを知らなかった癖にダブちゃん、自信満々であれだあれだ!おれに着いてこいというジェスチャーをする。

そしてその座席表を確認。

座席表を確認。

座席表を確認。

座席表を確認。

ん・・・なんど確認しても名前無し。

外国人らしき名前なんか1つもなし。


ここでダブちゃんの顔をみて、もしかしたらこれは非常事態なんじゃないかという空気がふつふつ湧いてくる。もしかしたら今日電車に乗るのは無理かもしれない・・・このあとこの時間に宿を探せるのだろうか・・・なんてことが頭をよぎる。

「ダ・・・ダブちゃん、これここであってるのかな・・・他のところにもあるかもしれないね・・・」と遠慮気味に言うと、ダブちゃんさっきまでは日本語で話していたのに、ぶっきらぼうに、just moment no problemと言い放ってひたすら乗車表を見ている、そしてしまいには、ちょっと自分でも見て!と怒られる始末。

自分でも何度も確認するが名前無し。そして、このあとダブちゃんの一言で自分の中の旅人スイッチが完全にオンになったのだ。

119.jpg
【ホーム中央の座席表】

「ダブちゃん、いつも電車に乗るときはここに必ず名前が載ってるの?」

すると、ダブちゃん、すこしうつむいて間を置いたあとにこう言った。

「僕はいままで電車に乗ったことがない」

「おい!乗ったことねぇのかよ!」

あんた自信満々にNoProblemっていったじゃない・・・あんた目をキラキラさせながらここで待ってれば間違いないっていったじゃない・・・あんたこの期に及んでジュースを買いに行ったままこの孤独な日本人を10分も放置したじゃない・・・

(この時にはインド人の特性がいまいちつかみ切れていなかったので、ダブちゃんなんていい加減な奴なんだと思ったけど、でもこれがダブちゃんの精一杯の優しさであり、誠意だというのは後になってから感じることができたのだ)

しかしこの瞬間、頭の中でなにかが確実に切り替わったのがわかった。

日本人モードは解除され完全に旅人モードにはいったのだ。

(旅人モードとは基本的に、もう自分でやるしかないという開き直りにちかい境地、アジアを旅する上でこの境地にならないとなにも前に進まない時がある。しかし副作用としては日本人特有のモラルやルールなどという言葉がふっとび、列に並ばなくなる、信号を守らなくなる、わけのわからない理由を怯まずに自信をもって押し通すことができるようになる。車の行き交う交差点で手で車を制してずんずん歩いて行けるようになる、屋台のものとか平気で食べられるようになる、どこでもうんこできるようになり、どこでも眠れるようになる。そして胡散臭い奴のさばき方が日本でキャッチを振り払うベテランキャバ嬢みたいに見事になる)

ここまできたら、、ダブちゃんには頼らずに、最悪どこかに適当に潜り込んでしまおうという気持ちで固まったのだ。もし車掌に怒られても旅行者特権でとぼけて下ろされるところまでいってしまおうと決めていたのだ。それに最後の最後は賄賂でも握らせればなんとかなるだろうと腹をくくったのだ。

そこでダブちゃんにもその旨を告げる。

「ダブちゃん、ありがとう。もう大丈夫、ここにくる電車がブッダガヤまでいくことがわかっただけでも十分だよ、こんなに遅い時間までありがとう、あとはなんとかするぜ、というかこのままきた電車に乗り込んでやろうと思う」

するとダブちゃん。ここは意外にまじめに。

「いやそれはまずいよ。みつかったら大変だよ」

というので、ちょっとめんどいなとおもいつつも。

「まだ乗れないと決まったわけじゃないし、さっき車掌がいたからこっちはそいつに聞いてみる、ダブちゃんはもう一回ポーターにきいてきて」

といって二手に分かれて、電車にのれる方法を探し始めた矢先。

ホームに電車が入ってきたのだ。

L1000257.jpg
【自分の乗る電車が入線】

L1000259.jpg
【それでも汗だくで座席を探してくれているダブちゃん】

確かに乗るはずの電車。さすがにここまでくると自分の中でもちょっと焦りがでてくる。一瞬でどこに潜り込むかを考えたのだが、自由席は信じられないくらいの隊列を組んだインド人が並んでいて、まさに紙一枚挟むスキマもないくらいにぴったりとならんでいる。

(後から聞いた話では、ずる込み防止の為に前の人の肩をしっかりもって、一列になるのは自由席をとるための基本らしい)

予約席には、入り口に車掌が立っていてチケットを確認している。そいつがいなくなった瞬間に潜り込んでやろうと、機をうかがってそのドアのあたりをうろうろとする。

するとさすがに大きなバックパックを背負った日本人が、うろうろしていれば、車掌も気になるようで、こちらにチケットを見せろといってくるので仕方なく、自分のキャンセル待ちのままのeチケットを見せると、車掌は案の定首を振ってチケットを突き返す。

そこで間髪入れずに、なんとしても乗りたいのだがなんとかならないかと懇願する。

すると車掌、ちょっとここで待ってなさいといいどこかへ去っていく。

すると車掌と入れ違いで満面の笑みのダブちゃんが戻ってくる。

「なんか聞いてきたら、発車の10分前に最後のキャンセル待ちを確認して、WLの中で繰り上げになった人を張り出すらしい、だからここで待ってればいいって」

ここで最後の望みが繋がったのだ。

そしてほとんどの人が荷物を積み込み、ホームの人もまばらになって。こちらの我慢と焦りも限界に近づいたときに車掌が1枚の紙をドアに貼りだしたのだ。

そしてそれをむさぼるように確認しようと身を乗り出したら、なぜか自分を押しのけてダブちゃんがそれを見に行ったのが気に入らなかったのだけど、ダブちゃんはすぐに満面の笑みで振り向き「あったよぉ!!」と声を上げた。

L1000260.jpg
【名前を発見 上から6行目にしっかりと】

そこにはしっかりと自分の名前が。ちゃんと座席をあてがわれていたのだ。

なんかそのダブちゃんのその汗だくっぷりと満面の笑顔をみたら、なんかちょっとイライラしてた自分が馬鹿らしくなってきて、ダブちゃんと堅く握手をして、ダブちゃん本当にありがとう、助かったよと告げると電車に乗り込んだ。

今思えば、これがインド人の魅力なのだ。汗だくになって、見も知らずの日本人の為にホームを何往復も走ってくれたのだ。ちょっといい加減で、その適当加減にいらっとすることもあるけど、ここまで誰かの為にできるってやっぱりすごいことなのだ。ダブちゃん本当にありがとう。

なぜかその後車掌とダブちゃんが堅い握手をしていたのが謎なのだが、それはもうあえて突っ込みもせずに、別れをしっかりと惜しむまもなくそこでダブちゃんに別れを告げて、重いバックパックを背負い、寝台列車の中に乗り込むのであった。

そして乗り込むと同時に列車は発車のベルをならしてブッダガヤに向けてゆっくりと走り出す。

夢にまでみた深夜特急だ。

| コメントを書く (2) | Trackback (0)
Title: インド旅2011 総括
2011.08.17

今回の旅が終わって。

家に帰ってきて、あっという間に日常が戻ってきて、街を歩く速さも時間も食欲も、身体の隅々のたるみきった感覚があっというまに既存設定に順応し始めようとする。

それがいいのかわるいのかはわからないのだけど・・・

インドを旅して。

正直言えば、旅の締めくくりに際して、自然と共に生き、たゆたう聖なる川に抱かれて生きる彼らには、足りないけど何かがある。それは日本人の忘れてしまった何かなのかもしれない。とかなんとか言ってキレイにまとめようと思えばまとめられると思うのだけど、けど今回、そんな頭の芯から酔うような感覚を味わったかというと、そんなことなくて、今回ほど冷静にいろんなことを考えながら旅をしたのは初めてかもしれない。

それがなんでか考えた。

たぶん、それはインドの現状はどこまでも現実だからなのだと思う。なんかすごくリアルなんだ、人が生きているということが。

すべてがすべてではないにしても、どんなに表向きには共生しているように見えても、旅行者にわかるくらいにカーストの壁はあるし、貧富の差も激しいなんてものではなくて、それはギャップなんて呼べるほどかわいいものではない。それなのにそれぞれがその自分の置かれた現状にふてるわけでも、腐るわけでもなく、言い方は悪いが、おこがましく、ずぶとく、それぞれがあたりまえのようにそこに生きているのだ。

決して覆ることのない絶対的な壁をどてっぱらで受け止めて生きているというのが、インドの根底にある力強さであり、その空気がインドという国を醸し出しているような気がしたのだ。

(それがプライドの高さにも通じてくるし、間違った道を平気で教えることにも繋がるのだけどその話はまたあとでまとめる)

デリーの街でバラモン階級のインド人の家に案内され食事を振る舞われる、豪華な一軒家で次から次に料理が運ばれてくる。子どもたちは、キレイな服を着て、芝生のキレイに整えられた高級住宅地の公園で遊び、おもちゃもたくさん持ってる。その彼と車で街に出れば、信号待ちでとまる度に、そこの家の子どもと同じくらいの年の子どもたちが、車の行き交う交差点のど真ん中で、真っ黒になりながら、花を売り、時に大道芸まがいのことをして、バクシーシを求める。

バラナシの街では家に住んでいるインド人が小屋に住んでいるインド人を使い、齢60も越えているであろう老人が町中に散乱した糞尿を掃除をしていて、旅行者にやせこけた腕をさしだしてバクシーシを求める。それを若いレストランのオーナーは怖い顔で追い払う。

それがインドなのだ。

(そしてその現実は宗教心や信仰心にも直結している)

そんな現実を旅するうちに、日に日にこの国での旅行者の立ち位置というのはとても面白く興味深いなと感じた。

どこにも属さず、カーストを超越した自分たちは、彼らにとってはある意味、治外法権なのだ。お金になる可能性があるなら挑戦してしかりなのだ。

だからこそ旅行者は気をつけなければいけないし、そのあたりを頭に入れておかなければいけないと思う。そういう点で他の国に比べて、この国ではすごく体力と気力を消耗するから、それが嫌な人はもうインドには行きたくないと思うのだろうと思う。

でもそのデメリットの反対側にあるものは、カーストを超越した立場の自分たちだからこそ、相手にとってはフラットになりえる存在なのだ。そしてインド人にとってフラットという関係で結ばれることこそが強い絆なのだ。

そしてその絆ができた相手に対してインド人の心のひらきっぷりは日本人のフレンドリーさを遙かに凌駕する。インドにはまったという人の多くは、インド人の人柄であり、人間そのものに取り込まれているのだろうと思う。それはつまりはそういうことなのだと思う。

インドで仲良くなったインド人は自分をガイドと呼ばれるのを嫌う。そこに主従関係のようなものができることを嫌がるのだ。それを聞いたときに、インド人がすごく理解できた気がしたのだ。

その根底にあるフラット信仰のようなものが、インドの空気と人間を醸し出していているのだ。

つまりは根深いデメリットの反比例にあるものが、この国の最大の魅力をつくっているいっても過言ではない気がしたのだ。

なんとなくそんなことを考えながら、インドを旅していたので。

ガイドブックを鵜呑みにして、インド人の差し出すものには一切手をつけず、鞄を大事そうに抱えて、何どもチャックが開けられてないか確認したり、なにからなんでも1Rp単位までまけさせようとごねていたり、インド人との約束を簡単にすっぽかしたり、なにを話しかけられても無視して目すらも合わせない旅行者をみていて、すごくもったいないし、そんなんじゃインドの魅力のこれっぽっちも見えないんじゃないかとすら感じたし、そんなことを助長するガイドブックの書き方にも疑問を覚えた。

(それでも書かなきゃいけない気持ちもよくわかる、いうなればこの国での旅行者の立ち位置を言葉で伝えることはそもそも難しいのだ)

だまされる前提は仕方がないのだ。それは先にも述べたが、自分たちは旅行者であり、相手からしたら治外法権なのだ、その前提を頭に入れた上で、ここから先は旅行者の問題なのだ。

そこで相手との立ち位置を自分で変えない限りインドの魅力は絶対にわからない。

忘れちゃいけないのは。そのさじ加減なのだ、そのさじ加減がとても難しい。心を開くというのは簡単なようで難しく、距離を詰める、フラットを結ぶというのは、一長一短でできるこではないし、時間の少ない旅行者にとって短い時間でそれを得るというのはかなりハイレベルのことなのだと思うし、すべてにオープンマインドで、こちらから距離をつめていけばいいと言うものでもない、むしろそういう一方的にフラットを築けていると思い込んでいる人ほどカモになりやすいとも言えると思う。

(インドの危険な体験を語る多くの人は、なにも聞いていないのに自分からそれを語るくらいのスピードで距離を詰めてこようとしたりする人が多い)

どこで誰にどうやって心を開いていくかいう判断と、その判断を実践に移せるだけの技量が言うなれば、旅人の資質みたいなものなのだろうと思う。インドには目を見張るくらい旅のうまい人も、イガイガするくらい下手な人もいる。それが顕著に見えたし、自分の小ささも駄目さもよく見えて、本当に勉強になった。

これはもう言葉では説明できないのだけど、郷には入っては郷に従えという例えになぞらえるのなら、インドの郷に従うのなら、そこに住む人間をよく見て、よくよく見て感じて、目を見て話をすることなのだと思う。

(目を見て話していれば薬でとんでるかどうかくらいの判別もつくし)

今回、本当にその距離感と言うことを自分の中で実感を伴って学んだ気がした。

インドという国の人間は本当に面白い。

インドという国は、清濁併せ持った実に人間くさい、むきだしの国なのだ。

だからすごく好きにもなれるし、すごく嫌いにもなれるのだ。

今回はめずらしく結構感情的にインド人に怒ったりとかしちゃって自分もまだまだだなと反省。

ビバナマステ。

これから少しづつ旅のメモをまとめて、時間軸にそって感じたことをまとめていこうと思う。でもこの経験や体験は、文章にするより口伝で伝えたほうがエキサイトで楽しいような気もするのだけどね。

さて。

まだ夏が終わったわけではないので、まだまだいきますよ。夏満喫月間ですよ。

とりあえず神楽坂に帰ってきたよっていいにいかなきゃ。


| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: ぢ。
2011.08.05

自分の家が寺だからとか、そういうのが無意識にあったのかなかったのかは今となってはわからないのだけど、でもなぜだか昔からチベットとインドだけには行かねばならないと思っていたのだ。

何事も空気感を肌で感じないとわかんないこともあるかもしれないと思っているので、できれば35才までになんて、ちょっと洒落たことをいってみたりして。

別に自分を探しにいくわけでもなし、なにか逃避したいものがあるわけでもなし、なにか高尚な動機付けがあるかといえば、そんなことは全然ない。むしろインドについてから、ずっとビール飲みっぱなしで、いろんなもんが緩みっぱなしの、垂れ流しで、いきあたりばったりの旅になるのだろうし、りっぱなことなんて1つもしてこないのだ。

それに自分の好きなことを周りに迷惑をかけてまで押し通すのに、高尚な理由を付けるのもなにか後ろめたい気がするので。

なんか。

ただなんとなくインドへいくのだ。

そしていつかインドに行く前に、どうしても言いたいことがあったのだ。

なんとなく、なんとなく、インドへ行きたい気分なんで。ちょっとの間、消えます。

アイアムソーリーヒゲソーリー。

んだば。いってきます。






| コメントを書く (0) | Trackback (0)