Title: 鴨南蛮。
2011.09.29

ある人とはなしていて改めて気づかされたのだけど。

例えば、自分が怒りとか、悲しみとか、好きとか、そういう感情的な部分について考えるときには、怒ることをなんとか押さえようとか、悲しみを忘れようとか、好きになっていいんだとか悪いんだとか、そういう思考になっていないのだ。

よくもわるくも湧いたものはしょうがないと思ってるし、思考のスタートはそこからなのだ。

ある人(45才未婚そばや店主)が、彼女に別れ話を切り出されたから、好きな気持ちをなんとか抑えなきゃいけないし、今忘れようと努力をしているのですといっていて思ったのだ。

好きな気持ちって、頭で考えてどうにかなるもんなのかね。

振られたから、よしゃ切り替えてってできるものなのかね。きっとそうじゃないのもわかっているのにそうしないと、どうしょうもないから努力をする気持ちもわかるのだけど。あるラインまでならそれでいいけど、あるラインをこえたらそんなことは無理なのだと思う。

はっきりいって見当違いな努力なのじゃないかと思う。

これは好きだけじゃなく、悲しみも怒りも同じ。

思うに、その好きな気持ちが湧いた自分を理屈でねじ込もうとしたり、とりあえず目を背けたり、物理的なことで一時的に回避する努力は、その感情が湧くこと自体を否定しているような気がして、なおかつ、いうなればそれは感情と裏腹の行動をするということで、そんなことを繰り返していたら、本当に大事なときに素直な気持ちになれなくなりそうな気がするのだ。

そしてそれが心に歪みとかギャップをつくるのではないだろうかと思う。

子どもたちを見ていて思うのだけど、子どものもつすばらしさはそういう心に歪みが少ないことだ。

だからまっすぐで、そこから発せられるものには芯に心を打つものがあるのだと思う。

大人になるのは、自分で勝手にそういう心と裏腹の行動を課して、心に歪みをつくることを習慣として、その習慣の中で、頭でっかちになって、そのうちにいろんなところが鈍くなって、本当の気持ちがなんだったかすらわかんなくなった状態のことをいうんだきっと。

その人(45才未婚そばや店主)には、まあ、そんな必死に忘れようとしてもなかなか難しいでしょうし、簡単にできるわけではないし、ゆるりといけばいいんじゃないですかねといったのだけど。

思うに、自分の中に湧いてきた感情を断ち切ろうとか、目を背けたりするのではなく、まずそれはそれであきらめて、せめてどこにも行き場のないようなその感情で自分とか相手とか、それこそ関係ない誰か傷つけないようにするにはどうすればいいのか考えることにシフトして、前に足を出す努力をすればいいんだと思う、

つまりは尖った感情の切っ先を丸めるように、感情に飲み込まれてそれを振り回すことがないように努力すればいいのだ。その為の努力や習慣づけを仏教的にいえば行というのかもしれないけど、まずは自分の中にあるものを認めるという所に立つと言うことが大事なのだと思う。

なんて。

きっと今、この話を自力と他力にうまいこと絡めながら、最後にその答えはこの教典の中で親鸞さんがこう言っているだけどね・・・なんていえば、浄土真宗に勧誘できるのかもしれない・・・なんてことを妄想しつつ、やっぱ自分の思考の中にはけっこう仏教とか真宗っぽい考え方が染みついているのだなと思ったし、すぐにそういうところに結びつけようとする癖をなんとかしなきゃなと思うのだけど、これもまたどうにもならないのだ。

なんか感情に裏腹な行動をしなきゃ保てないものなんかいらないと、必ずしも言い切れることばかりではないけど、できるだけその摩擦を少なくして生きるということがなんだかんだ幸せになるコツなんではないかと思う今日この頃。


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Title: 2013:07:06
2011.09.24

ほんとのこといえば、夢と現実の境界線みたいなところで、もてっとしながら、食べて飲んで笑って、ゆるりとしながら、時々ぴりっとしたい時には、そうさせてくれる場所に顔出したりして生きていきたいなと思っている。好きな写真を撮って、好きな本を読んで、今日の1日をどう過ごすのかに想いを巡らせて過ごしたいのだ。

でも現実は、そうも甘くはない。

いま現実で生きなくてどうするんだどあほう、夢はいつでもみれるのだ。とも思うけど、でも本当にいつでも夢はみれるのか?とも思う。

習慣が人をつくるのであれば、自分の習慣よ、どうか夢を見るのを忘れさせてくれるな。

きっと大事なものや、大事なことや、大事な想いは、いつか突然降って湧いてくるものではなくて、間違いなく今の延長線上にあるのだ、そして今の自分の手の中には、その欠片が間違いなくある。

その欠片が時々きらりと夢をみさせるのだ。

今はがらくたのようなその欠片を取りこぼして、ぽろぽろと落としても気づかないような生き方だけはしまい。

それは言うなれば、真っ黒な空に、カメラを向けて目に見えない星を写真におさめられるような感性を日常の中で置き忘れないようにしたいということ。

ごっつあんです。

最近、もしかすると人間は忘れてもいいようなことは忘れないくせに、忘れてはいけないようなものこそ忘れていってしまう生き物なんじゃないかと思うことがあるのだ。

根拠はないのだが、それはたぶん、心に残るこびりつくような思い出は、いいものだけでなく、悪いものも含まれるから、脳は一定以上のゆさぶりをかけてきた思い出は、防衛手段として一纏めにして忘却することにしているんじゃなかろうかという仮説をたてたのだ。

そう考えるとあちらこちらに思い当たる節があるのだ。

ぼけた老人が、自分が子どもだった頃の何気ない日常を鮮明に覚えているのに、我が子の名前も、家族の名前も、もっといえば、きっと心が打ち震えたであろう言葉や、出来事のことなんかちっとも覚えていやしないのだ。

自分を振り返ってもそうだ。

いままで過去にこれだけは忘れまいと思ったことや、感動や感激で打ち震えたことはたくさんあるのに、その時の感情を呼び起こしたりすることなんてできないのだ。それなのにくだらない思い出は簡単に呼び起こせる。

そうだとしたらちょっとこわいなと思ったのだけど、よくよく考えたらその方がいいのかもしれない。

忘れるからまた同じ感動を求めようと意欲的になるのかもしれないし、忘れるからこそ、また足を前に出すきっかけになっているのかもしれない、忘れるからこそ、人間はその一瞬の感動や心揺さぶる経験に打ち震えることができるのかもしれないのだ。

なんて。

最近考えて考えて考えても。

結局の所、その事実というか現実に、これでいいのだ。ではなく、これだからこそいいのだ。と思うことが増えた。

すべてのものがこれだからこそいいのだ。

そう思えばこんな世界でもすこしは愛おしく思える。


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Title: たからかに。
2011.09.20

やっぱり、大事な事は言葉ではない。

宣言や決意をして自分を奮い立たせたり、なにか勝手に節目をつくって声を高らかにあげたとしても、足を動かさなければ何も変わらないのだ。

足さえ動かせば、大義名分も高らかな宣言も、突拍子もないような自己完結もしなくていいのだ。

そんで自分がいるべき場所へちゃんと押しだされるだけなのだ。

自分はどこへ向かうのだ!自分はどこへ行きたいのだ!声高に叫ぶのはもういい。

粛々と淡々と歩を進めよう。

自己満足でいいのだ。

自分の人生は自分を満足させることにある、そして自分が満足できない人生になんのパワーもないのだ。

ここ数ヶ月に起きた、悲しいこと嬉しいこと、ウキウキしたことドキドキしたことの全部が一つにつながった気がするのだけど、でも思うにいままでの過去を振り返ってみれば、その気になればつなげられないことなんかないのだ。

こだわるなつかまるなもっとしんぷるに。

そしてもっともっとどん欲に。

そこに伴う痛みなんか味付けに少々だ。





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Title: ツイート備忘。
2011.09.19

どんなに幸せに安定した日々を送っていても、ほんの些細なことで自分の気分なんて有頂天からどん底まで落ち込むようなもので、日々綱渡りのようなものなんだということをしみじみ感じた。なにごともないってすばらしいのだ。

*

ここ数日を集約すると。人間どんなに自己を見つめたとしても、メンタルなんてものは外的要因で簡単に右往左往するということと、車はMTよりもATのほうがウキウキできることが多いよっていうことと、ヤプーはすごいってことなのだ。

*

エアコンを消してあちぃあちぃといいながら一日テレビを見て、自分ってば節電してると思っても、実際はエアコン付けてテレビ消したほうが節電になるらしい。ということを絡めてお彼岸の法話には軽く悪人正機に触れようか。

*

なんかここ数日自分をみていて、改めて人間のどうしょうもなさとか、どうしょうもないけど、どうにもならないこととか、どうにもならないのにどうにかしようとするのとか、そういうのがよく見えた。それを凡夫という言葉を使わずに説明できる?といわれてはっとしたのだが、凡夫ってすごい単語なのだ。

*

凡夫だからなにをしてもいいといってしまえば本願ぼこりなのだ。そうではなくどんなに安穏と生きようとも外的内的要因で常にそうはいられないのが人間なのだという自覚を持って、自分の中に湧いた感情を冷静に法にあてはめてやり過ごす術を身につけていくというのが、真宗的な生き方なのかもしれない。

*

でもそう考えると真宗において、苦をどううけとめるかということがポイントで、克服するでも、忘れるでも、他の何かに置き換えるでもなく、それと同居していく覚悟というか、嫌でも同居せねばならないのが既存設定だという自覚とあきらめみたいなものが結局のところ彼岸への鍵になっていくのだろうに。

*

なんかお彼岸やお盆が近づくと法話を考えねばならないという深層心理からなのか、ついつい現実と仏教を結びつけてしまいがちなのだ。それもある種のとらわれみたいなもので、そういうことを続けていると簡単に凡夫とかいう言葉ですべてを片付けてしまいそうになるから気をつけねば。

*

なんか改めて考えると、凡夫とか本願とか、阿弥陀としか表現できないものを簡単にそこに括ってしまうのは、それはそれで大事なのことなのだけど、それが慢性化すると、それが何であったのかという本質が失われてしまう気がする
し、

そうすると親鸞聖人が山から下りたという根本的な意義まで薄れてしまうような気がした。社会の中に生活があり、生活の中に人は生きていて、人の生きているところにこそ苦しみがあるのだ、凡夫を救おうとする阿弥陀の本願によってあなたは救われる。なんて言葉をキレイに吐いても誰も救えないのだ。

そこにもっと実感を伴わせて、血の通った凡夫であり、血の通った阿弥陀の本願を、血の通った言葉で表現できるようになりたいものだ。


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Title: コクリコ。
2011.09.16

先日コクリコ坂をみたのだけど。

すごくいい映画だった。

おもしろい!とか。考えさせられた!とか。

そういうのは一切なくて、見終わったときに、しみじみと、いい映画だったなと思えたのだ。

一番感じたのは、不完全なものや未成熟なものが、未完成だからこそ持ちうるメリット、未完成だからこそある美学みたいなものがうまく描かれていたと思う。

戦後の混乱、動き出したばかりの社会や教育、そして思春期の人間関係。そのどこにもグレーな部分が蔓延していて、そのグレーな部分をみんなが享受しながら、そこにしかないメリットを堪能している感じがすごく生き生きしていたし、古き良きなんてノスタルジックな言葉は使いたくないけど、あの映画の中に描かれる日本をみていると、行き詰まった現代が、なんで行き詰まっているのか、その訳がわかるような気がした。

あの時代にあって、現代に欠けてしまっているものの1つに、「無粋」を感じる心というものがあるのだと思う。それは無粋だぜ。いう共通感覚みたいなものがあの時代に生きている人たちにはあったのだろうと思う。

グレーなものをグレーのまま丸ごと受け入れる心。

現代は、権利や資本や合理性を掲げて、味とかわびさびというような、感覚的な配慮や思いやり、なにかを慮る心というものの、価値や存在自体がナンセンスだという波に押しやられてしまっているのだ。

印象に残ったのは、生徒会長が2人の間に流れる不思議な空気を感じ取っても、そこにはあえて触れないで、無言でやり過ごすシーン。その描写にぐっときた。

あの映画を見ていて、自分は無粋な人にはなるまいと思いながら、映画館を後にしたのだ。

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Title: 903。
2011.09.16

暑い。じりじりと暑い。

暑さ寒さもなんとやら、お彼岸でこの暑さも終わりかと思うと、最後のこのじりじりした日差しも名残おしい。

名残おしいと言えば。

名残惜しい時に湧いてくる気持ちは、とてもリアルだ。

名残惜しさの中にある、消えていくことを受け入れる気持ちと、そこに抗おうとする気持ちのせめぎあいみたいな。そういう拮抗した反比例するものが一緒に湧いてきたときの自分の中に起きている感情はなににも代え難い。

そういう時に自分の中で起きる化学反応みたいなものを、じっくりと味わうのが好きだったりする。

自分の中で起きる化学反応と言えば。

自分は昔から木登りが得意だったのだ。だからよく猿みたいだといわれていた。

もちろん今でも木登りは得意だ。そして自分の幼少期に木登りが得意というアイデンティティは人格形成に大きく関わっているのだと思うし、いまだに、サイトの名前や、携帯のアドレスにmonkeyという単語を入れたくなるのもそういうところからきているのだろうと思う。

こないだふと、木登りをしていて、この感覚を捕まえておこうと思ったのだけど。

ものすごく高い木に登った時に、てっぺんから見える景色は格別で、それに木の上っていうのは日常とは隔離された特別な時間が流れているのだ、それを独り占めするような感覚がたまらなく気持ちいいのだ。

この時に自分の脳みそのハードルはこの快感をしっかりとインプットしたのだろうと思う。

ちなみに、木のてっぺんで感じる気持ちと、休日や深夜の誰もいない街、特にビジネス街の空気はとても似ている。

それともう一つ。

木の上で感じることの1つに、このまま手を離したら死ぬな。と感じられることがある。子どもながらにその恐怖を感じたり、でも枝を握るその手に、いま自分は命を握っているのだというリアリティがこもっていて、その時に感じるドキドキ感とか、そこで得た高揚感のようなものも自分の人格形成の根源的なところに根付いているのだと思う。

これは旅をしているときに感じる高揚感ともすこし似ている。

破滅願望とか、破壊衝動とかそういうのとは違う、命という目に見えないものを、しっかりと手に握るような、言葉で表すには難しい感覚的なもの。

例えば、自分が今木に登って、木の上でぶら下がって、落ちるか落ちないかのところでぶらぶらしてたら、あいつ、ついに気が触れたんじゃないかと思われるだろうし、それは多くの人の目には狂気にうつるだろうから、保守的な自分は決してそんなことはしないけど、その狂気みたいな行動で得られるであろう、感覚とか気持ちよさがあるということは、しっかりと脳にインプットされていているし、その行動は自分の目には狂気でも何でもないし、むしろそこの感覚に意識を向けるという点では高尚な事だと思ってる。

これは単に木登りの話だけを指すのではなくて。

狂気といえば。

結局のところ、狂気はマイノリティであり、マイノリティは切り捨てられるのが世の常なのだけど。狂気を切り捨てるということはきっと、自己への探求を放棄することでもあるんだろうと思う。

深い部分で人間はすべてつながっているのだと思う。

生と死という大前提を共有している同じ種なのだから、あいつは自分であり、自分はあいつなのだ。

あいつは狂っているというのは簡単なのだが、その種は間違いなく自分の中にあるし、その狂人が感じているであろう感覚的なものや、高揚感を得た自分を、深い部分でロールプレイしてみたら、否定しきれるはずがないのだ。

その否定しきれない感覚をもつからこそ、人間は人間でいられるのだ。

アートのことはなにもしらないし、芸術的な感性なんて微塵もないのだけど、人の心を捕まえる作品というのは、その狂気にも似たむき出しの共通感覚を、否定しきれない深層心理にたたきつけるようなものなのかもしれないと思う。

そういう意味では死こそも美だとうけとることもできるのかもしれない。

なんか。

昨晩、今までよりも一歩踏み込んだ行動をして、湧いてきた気持ちは、保守的な心の核の部分と、それを否定する自分とのせめぎ合いであり、なにか1つを開き直って自分を否定して箍を外したら、自分の中でいままで自己防衛しながら、こつこつと納得させてできあがってきたものが、音をたてて崩れるのではないかという恐怖だったのだろうと思う。

そして、そこにもっとシンプル感情的な部分も折り混ざって。その拮抗具合が絶妙だったのだきっと。

その綱渡りのような感覚が無意識に自分に与える影響というのは侮れないもので、昨日は全くお腹空かなかったし、眠くもならなかったし、いろんなことが思い通りにいかなかったのだ。

いまだその余韻も。

完全なカロリーと睡眠不足。

でもこうやって感じる日常のコントラストと、どうにもならない気持ちを抱える経験であがったハードルはたぶん、他のなにかに置き換えることはできないのかもしれないと思う。

くわばらくわばら。


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Title: 月影の。
2011.09.13

昨日月をみていて、なんかいろんな事がこみ上げてきた理由を考えた。

昼間に911の追悼の様子をテレビでみていたからかもしれないし、被災地の現状をきいて、被災直後よりも根深い問題でたくさんの人が苦しんでいる話をきいたからなのかもしれない。

そういうニュースをみながら、911にスポットがあたっている時にもどこか遠い国で苦しんでる人もいるし、震災にスポットがあたっている時にも、自分のすぐ近く、手の届くような距離で絶望を感じてる人だっているかもしれないのだなんてことを感じたりして、世界には自分の手に負えないことにあふれているし、自分の一生でできることなんて本当に焼け石に水をかけるよりももっと些細なことだと感じたからかもしれない。

それでも四の五の言わず水をかけられるような人になりたいし、自分のまわりのいる、そういう熱い人たちと自分とのコントラストに、無意識にも、どうしょうもできない無力感を感じていたからかもしれない。

それに人間は何度同じ事を繰り返しても己に勝つことなんてできないのだ、世界がそれを証明しているじゃないかとか思ったからかもしれない。

自分のやるべきことは、今自分の持っているものの精度をもっともっと深めることだと信じているし、昔のようになんでもかんでも首をつっこんで中途半端なことはしないと思っている。でもなにも顧みずに飛び出していた昔の自分を心のどこかで忘れたくないとおもっているからなのかもしれない。

でも正直言うとそんな大義は、全部後付けで。

月を眺めているときに、いまから海でもいくか。と言われた一言に、いますぐ飛び出したい気持ちと、同時に二の足を踏んだ自分がいて、それを悟られまいとした自分が嫌だっただけなのかもしれないのだ。


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Title: ツイート備忘。
2011.09.13
なんか突き詰めていくと、究極の所、守りたいと思う欲求と、壊したいと思う欲求は同じなのだと思う。つまりは守って満たされる部分と、破壊して満たされる部分は同じ所なのだと思う。

*

人間は本当にどうしょうもない思い込みと、バイアスのかかった世界をすべてだと思い込んでいるのにも関わらず、平気で正義を振りかざしたり、自分はいいことしているんだと思い込んで生きるのだ。

*

人間に対して、自分に対して、ホント泣きたいくらいどうしょうもない生き物だなんて、悪態をつくたびに自分には仏教があって本当によかったと思う。言葉だけのきれい事だとしても、誓願にも慈悲にも血が通うのだ。

*

911から10年経っても、震災から半年経っても、人間はちっとも変わりはしないし、社会なんてそんなちっとも変わらない人間の中のたった一握りの思惑で右往左往して一瞬でどうにもなるくらいなものなんだ。

*

出家するということは、生きることにそういう制約と生活しなければならないことで無意識にかかるバイアスを意識的に取り払うことであるし、そこには生きて死すということを、自分の手中におさめて思い通りにしてやるという自由への渇望も含まれているのだ。

*

それは、言い換えれば、おらもうなにかに振り回されるのはごめんだぜってことでもあるのかもしれない。じゃなきゃ子どもにラゴラなんて名付けないだろう。

*

苦しみは思い通りにならないことである。というのはつまりのところそういうことなのだ。生きていくということは何時だって思い通りにならない外的要因と内的要因にふりまわされつづけることなのだ。

昔はそういうことを感じるために明日消えてもいいし、明日世界が爆発してもいいなんてことを思ってたのだけど、不思議と今はそんなことは思わないのだけど、それはもしかするとどんなに願ってもかき消えることはできないし、世界も爆発しないことが嫌と言うほどわかったからなのかもしれない。

*

月影のいたらぬ里はなかれども、ながむる人の心にぞ住む・・・か。

*

自分は。自分以外のために仏教を学んだ事なんて一度もない。

身勝手であるまじき発言だと思われるかもしれないが、仏教で誰かを救おうなんて思ったこともないし、誰かの為に生きようとか、自分が誰かを支えてあげなきゃとかも思ったことないから、そういうことを軽々しく言う人をみると違和感を感じる。

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Title: 夏の終わり:02
2011.09.11


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Title: 夏の終わり:01
2011.09.11


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Title: インド旅 ナーランダ編
2011.09.08

霊鷲山を後にした後はビンビサーラ王の幽閉跡地と竹林精舎へ。

幽閉跡地は今はもうほぼ野原のような場所で、わずかに石積みの跡があるだけで、そこに悠々と牛が闊歩しているだけの所なのだけど。ここで幽閉されていたのか、ここで阿闍世が・・・ここでお后が身体に蜂蜜を・・・とか妄想(ちなみに妄想はいつも手塚治虫のブッダのシーン)しながら思いを馳せる。そして竹林精舎へいったのだが、ここは特筆して書くこともそんなにないので割愛。


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【幽閉跡地、悠々と牛が闊歩する】

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【竹林精舎の池、仏陀が水浴びしたそうだ】

そして足早にナーランダへ向かう。

ナーランダにつくと、インドに来てから初めてではないかというくらいの快晴、ぎらぎらと照りつける太陽。そして観光客もいなくて、ほぼ貸し切り状態のナーランダ僧院は妙な静けさに包まれていて、なんかその雰囲気が、この遺跡の存在をとても印象深いものにした。

インドに行く前には、ここにそこまで感情移入するほど思い入れも知識もはなかったのだけど、ここにきた瞬間に心にぐっとくるものがあったのだ。

正直言うと、今回見た仏跡の中では一番よかったといってもいいかもしれない。


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【インド初の抜けるような青空】


ここの遺跡の造りをみながら、ここで当時何千人もの学僧が勉強していて、あちらこちらで議論をしたり、講義が行われたのだと思ったら、心の底からこみ上げてくるものがあって、その息づかいまでもが遺跡のあちらこちらから聞こえてくるような気すらしたのだ。

ここで仏陀や龍樹菩薩が講義をして、舎利佛尊者や西遊記にでてくる三蔵法師が勉強していたのだ。それだけではない、アジア中から、熱く熱を帯びた僧侶が集まってきたのだ、それを想像しただけでドキドキする。

そして当時ここの書庫には、膨大な書物と原典があり、それがしっかりとカテゴリー分けされて、部屋ごとに分けられていたそうだ。そして大きな食堂があり、寮のような部屋もある。仏教を学ぶ為の環境がすべて整っている。

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【書庫跡】


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【ここで色々な講義がされたそうだ】

遺跡を見ながら、ふと当時のことを想像していたら、いつのまにかその空気を共有した気になってきて、自分もそこの角を曲がりながら、午後の龍樹の講義だるいね・・・なんていいながら、木陰で授業をさぼったりしたかったなとか思ってしまうのだ。

しかし今、自分の目の前に広がっている風景は、破壊され、わずかに土台の残るこの姿なのだ。当時最盛を誇っていたナーランダ僧院も、歴史の中で破壊され、このような姿になってしまっていることに、まさに諸行無常を感じた。

ふと、夏草や兵どもが夢のあとなんて句を思い出す。

でも、ここがこういう姿で廃れてしまっていても、ここで説かれた教えは多かれ少なかれ形を変えてでも、間違いなく自分の所まで届いているのだ。

その事実に改めて教えとか、法とか、そういうものの持つ力の大きさを感じたのだ、外からどんなに弾圧されようと、破壊の限りをつくされようと、膨大な書物が燃やされようと、いま間違いなく仏教は生きている。それは大事に守られて生かされてきたからではないと思う。仏教の教えそのものの持つ力なのだ。

歴史の中で、必要のないものであればとうに消え去っているであろうものが、何千年たった今も、自分の手の中にあるというこの事実は、自分がこの先に進もうとするときにきっと背中を押してくれるのだろうと思う。

そして、今の自分なんて仏教の表面をなぞったぐらいにしか学んでいないし、表面をなぞっただけなのにわかったような顔をして、えらそうに法話なんかしていて、そんな自分が浮き彫りにされたような気がした。

きっと、目の前に広がる風景は、荒涼としたただの遺跡なのだけど、ここにあったであろう熱の欠片はまだ、この遺跡のあちらこちらに染みこんでいるのかもしれない、その残り香のようなものが自分をそういう気持ちにさせたのかもしれない。

この空気を感じられてよかった。

普段、当たり前のように仏教を扱っていて、教典を粗末に扱っているわけではないけど、つい大事にすることを忘れてしまったりするときもあるし、もっともらしくうまいことを言えるようになると、そこにかまけて自分自身学んだり、感じたりすることもおろそかになったりするし、なによりもたくさんの先人とか歴史があってはじめて、いま自分の手の中にこの教えがあるのだということを忘れてしまう。

それと、仏教は決して妄信的なものではない、たくさんの人が苦しみとは何であるかを突き詰めて考えて、その正体を明かして、その対処の方法を考えた結果の上にあるものなのだ。そしていつの時代でも人間の持つ根源的な苦しみは同じであるからこそ、今も仏教は死んでないのだ。

当たり前なんだけどでも、そういうことを忘れないようにしようと思った。

なんて。そんなことをこの遺跡を見ていて感じたのだった。


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Title: 火葬場。
2011.09.06

火葬場がずっと嫌いだった。

身内が死んで火葬場にいくのも嫌だし、自分が釜前でお経をあげるのも、取り乱す人を見るのも嫌だし、お別れですといって、あのほの暗い釜の中に入れられて、ごうごうと鳴り響く音を聞くのがたまらなく嫌だったのだ。それにあの火葬場のお香の匂いまでも受け付けないような時期もあったのだ。

でも嫌でもなんでも、火葬場にいかなければならないし、取り乱す人も見なければならないし、若くても年老いていても、こうやって最後は釜に入れられて骨になるだけなのだということをまざまざと見てくる中で、ある時、おじさんたちが立て続けに亡くなって、釜に入れられるときに、ふと、ああ、あのほの暗い扉の先はもう浄土なのだと、唐突にその言葉と体感が湧いてきたのだ。

お棺によりそって泣きくれる親族の真ん中で、あまりに安らかな顔で亡くなったおじさんの顔をみていたら、ああなるほど、死んだ人を仏さんというのはなんでかわかったような気がしたのだ。

残された自分たちは悲しみに暮れて、まだまだ苦しんで生きていくのだ。でもおじさんはもう痛くもないし、苦しむこともないし、なんてこたない安穏としたところにいくのだと思ったのだ。

そして、その時に、あの世とこの世は完全に隔絶されてるのだなということに実感が湧いたのだ。

そして金子大栄先生の法話の中で、この世とあの世は隔絶されたところにある、そんな当たり前のことをまずわからなければ、浄土教の意義は失われるというのを聞いて、その時にはよくわからなかったのだけど、それがなんとなく自分の中で了解できた気がしたのだ。

なんか教義の上では、亡くなったら即往生だから、死んだ瞬間にもう浄土なのだけど、でも自分には素直にそうは思えなくて、肉体が残っているうちは別離の情去り難しなのだ。

だけど火葬場で最後のお別れをする時に、あの扉の向こうにいく時には、自分はまだまだ縁があって、もがいて苦しいところで生きていきますので、お先にどうぞ、まあいつか行きますので、その時はお茶でものみましょうと思えるようになったのだ。

そしたら火葬場がそんなに嫌いじゃなくなったのだ。

ただそれは悲しくなったり、涙がでないようになったのではなくて、いまでも誰かが亡くなるのは悲しいし、時に感情移入してどうしょうもないこともあるのだけど、なんか、そうやって自分の感情が揺り動かされる度に、ここが此岸で、仏さんのいるところが彼岸なのだと、そのコントラストをはっきりと感じるできるような気がするのだ。

もしかするとそれは、自己防衛の一種なのかもしれない、月に何度も火葬場に行ったり、そういう場面に立ち会う自分を正当化して、こころの折り合いを付けるために身についたものなのかもしれないけど。

それでもいいと思ってる。

教義がうんぬんとかではない、自分の中では血の通った言葉と体感がなによりも大事なのだ。

先日、午前中葬儀に参列し、午後からは自分の勤めた葬儀で半日くらい火葬場にいて、改めて感じたこの気持ちを言葉に残しておこうと思ったのだ。


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Title: 熱量。
2011.09.06

すべては熱量だ。

自分の中から熱を自家発電して、その温度を保ったまま、いかに冷まさないで表に出すか。

その熱量をいかに自分の中で作り出すか、そこに苦悩したり試行錯誤して、自分の中でなにに熱が上がり、どういう時に熱が下がるのかを熟知して生きていくことが自分の中の命題だ。

熱量がなきゃそんなものは全部付け焼き刃だ。

話すことだけでない、書くことも、きっと撮ることも、歌うことも、なんでもいい。

自分の中にあるものを表現すると言うことは、そのプロセスに右往左往して、自分と向き合うことと切っても切り離せないところにあるんだろうと思う。

そのプロセスに腰すえて覚悟できるかが、一握りにはいれるかどうかの分かれ目なのかもしれない。

んで、プロセスにはたくさんのリスクも伴うし、時に、擦り傷ができることもあるかもしれないし、もしかしたら骨折することもあるかもしれないし、最悪入院して、立ち直るのに時間がかかることだってあるかもしれない。

年取ってカサブタができなくなって、大きな怪我しなくなるのは、成長したからじゃない、挑戦しなくなったからだ。

これは幼稚園で学んだことの一つ。

この年になると、いろんなしがらみや、仕事や、いろんな物理的な要因がたくさんあって、自分の熱量をあげられないことにも簡単に言い訳が見つかるし、その言い訳にもっともらしい理由をつけられるようになる。

若くないしとか、いまの自分もきらいじゃないよとか、いまそれなりに幸せだし居心地いいしとかいって、リスクを負わないように、無難にいきようとして得られる安穏だってそりゃすばらしいし、そこで生きていけることこそ幸せなのかもしれないけど、そんなのはもうすこし年をとってからでも手に入るんじゃなかろうか。

今は、今しかないのだ。

怪我しても致命傷にならないくらいの若さを持っているうちに脛に傷の一つでもつくればいいのだ。

先のことを見越してなにかを得ようとしてたら、きっとその時になっても手の中にはなにもないのだ、ばかやろうとか青臭いことを言い放つ。

守るなと言いたいのじゃない。守ることに最もらしい言い訳をつけてると、逃げてるときにも自分を簡単に許してしまうぞばかやろう。と言いたいのだ。

リスクのないところから、自分の手を汚さず、手を下さす、腕を組んで汗もかかずに、なにを得ようだなんて虫がいい話なのだ。

おい自分よ。






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Title: インド旅 ラージギル:霊鷲山編
2011.09.02

この日は朝からゲストハウスを移動。

そしてラージギルへ、朝から雨がしとしと降っていたのだが、まあそのうち止むだろうと高をくくって出発。途中いくつか村に止まり、一路ラージギルへ。

まずは霊鷲山(ブッダがたくさんの説法をした場所、法華経、無量寿教、観無量寿教もここで説かれたと言われている)霊鷲山は山の頂にあるのだけど、そこまでいく方法は2つ、山道をゆったりと登っていくか、ロープーウェイにのるか。

初めはゆったりと山道を歩こうとしていたのだけど、ロープーウェイと呼ばれるものを見た瞬間に、ドキがムネムネ。これにのるべきだなと決意したのだ。

そこにあったのは、ロープーウェイとは名ばかりの、今にも落ちそうなさび付いた、ゲレンデのリフトのようなものがぶらさがっていたのだ。そしてそれで山頂を目指すことに、なにげに、ラカンが若干びびり気味で、歩いた方がいいよ・・・と言っていたのだけど、強行突破。


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【ある意味絶叫マシン】

乗ってみるとさすがにちょっとこわい。インド人はすごいな、これでも平気な顔しているんだもんな・・・と思ったら、向かい側から下りに乗っているインド人の顔も心なしかひきつっていたので、なんか妙に安心した。

気持ちはみんな一緒なのだ。

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【不安げなインド人】

そして山頂にある日本のお寺(南無妙法蓮華経と書かれていたのでおそらく日蓮宗のものと思われる)を参拝して、いよいよ霊鷲山の頂へ。

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【ここには日本人僧が常駐しているそうだ】

舗装された道とはいえ、のらりくらりとあるくと20~30分はかかる。

のんびりと景色を眺めながら山頂へいく途中ラカンは茂みに入っていっておしっこをしていた。ラカンのおしっこのタイミングはどうにも間が悪い。

そしていよいよ山頂。

途中スリランカの巡礼の団体があちらこちらにいたので、山頂が混んでるかと思ったのだけど、ちょうどタイミングよく誰もいなくて、貸し切りでお参りをすることができた。

そこで「嘆仏偈」と「三誓偈」をあげる。


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【貸し切りの山頂で存分に声明】

なんか山の頂から、いろんなことを想いながらあげるお経はとてもすがすがしいの同時に、ここでこのお経を上げたことで、ここで説かれたものが、シルクロードを越えて、中国渡り、海を越えて日本に入り、長い時間と歴史を越えて、いま自分の中にあるというこの事実が、いままで頭ではわかっていたようだけど、その重みみたいなものがずしんとくるような気がして、本当にここにきてよかったと思った。

そしてお経を終えて頭を下げると、そこを管理してるおじさんが、これと同じものを置いてくれ、といって祭壇を指さすと、そこには茶ばんだ一万円札が置いてあったのだ・・・無論そんなお金のない自分は、ポケットの20ルピーだけおいたのだけど。

そして、ぼけっと眼下に広がる森を眺めながら、きっとこの景色はきっと何千年も変わっていないのだろうな、もしかすると仏陀もこの景色を眺めていたのかもしれないと思ったのだ。


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【眼下に広がる森】

そんな妄想に浸りながら、色々と考えているときに、なんか突然、仏陀が自分の子どもに羅睺羅 :ラーフラ(障害をなすもの)と名前をつけたエピソードが思い起こされて、なんかふともしかすると、羅睺羅というのは、自分にとっての障害という意味ではなく、生きとし生けるものすべて自分の子どもを持つという現実は、それだけで切りがたく離れがたい執着を得ることになるのだ。それを瞬時に悟った仏陀は、その目の前の子どもに羅睺羅と名付けたのかもしれないと思った。

言うなれば、自分の邪魔になるから羅睺羅と付けたのではなく、自分に子どもができた瞬間に、人間の根源的な執着に気づいたのではないだろうか、そして羅睺羅は自分の羅睺羅ではなく、人間の羅睺羅だったのかもしれないと思ったのだ。

そう思ったら、なんかいままで、なんて身勝手な親なんだろう、というよりも自分の子どもに障害なんて名前をつける親なんてどうかしてるぜ、なんて思っていたのだけど、仏陀の見ていたものは、もっと大きなもので、自分の道や、自分の生き方というのは、同時にそれは人間の悩みであり、根源的なものであることを知っていたのかもしれないし、同時に、自分の子どもに羅睺羅と付けた行為は、反骨的なものでも苦しみの中からでてきたものでもなく、人の根源的なものに対するいい意味での諦めと、それを何とかするという強い覚悟によってなされた行為であり、そこにはもしかすると後に慈悲と呼ばれる気持ちのきっかけがあったのではなかろうかとすら思ったのだ。

これは簡単に文章にまとめてしまったけど、自分の中ではすごい思考の変化であり、それを霊鷲山の上で思いついたということは自分の中で得難い経験だったのだ。

なんでこのタイミングで、なんでここでそれを思ったのか考えたら、少し高いところからどこまでも広がる景色をみていたら、なんか鳥の目というか、大きな目で物事を捉えられたからなのかもしれない。

仏陀の修行していた所には、高いところや見晴らしの多いところが多い(苦行をしていた前正覚山なども)それはもしかすると、視覚や環境が思考に与える影響を無意識にでも感じていたからなのかもしれないと思った。

そして同時にそりゃ毎日ここにいれば、もっといろんなこと思いつくかもしれないし、雑多なるつぼでは思いもつかないような思考の広がりを感じることもできるかもしれない。

でも自分は、自分だけでない、ここに巡礼に来ている多くの人は、山を下りたら自分の国に帰り、社会の中で生きていかなければいけないのだ。いつだって山に籠もっていられるわけではない。

なんて思った瞬間に、だから真宗があるのだ。この大きな流れの先に、間違いなく真宗があるのだという気持ちがむくむくと湧いてきて、なんか仏教が自分の手の中にくるまでに通ってきたであろうものが、ただ単に時間だけではなく、間違いなくそこに生きたであろう時代や息づかいとか、苦しみとかいろんなものがしっかりと根付いているのだという気がしたのだ。

なんかここに来て、自分の中にいろんなものがどくどく流れてくるような、いままで死に体だったものに血が通うような、大げさな言い方かもしれないけど、まさに画竜点睛のような経験だったのだ。


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【物思いに耽ったり】

なんかそんなことを一人で考えながらほくほくして、いつまでもそこにいたい気持ちがしたのだけど、ちょうどスリランカからの巡礼団が山頂に到着したので、場所を譲り下山することに。

帰り際にスリランカからの巡礼者を横目にみたら、ゆうに70~80才くらいの人たちも何人かいる。その人たちが文句も言わずにこの山道を杖をつきながら登ってきたのだと思ったら、想いというものの力のすごさは強いなと想った。ここがただの日本の観光地であったなら、もしかしたら手すりをつけろだの、車いすでもいけるように自治体が動けだの声が寄せられるかもしれないななんてことを想ったりもした。

途中阿難のいたという洞穴などもあり感動しつつも、とにかく雨が上がった空からは照りつける日差しが痛いほど降り注いできたので、足早に帰路につく。

他に下山はとくに特筆して書くこともなかろうか・・・と思いきや。どうしても歩いて降りると言い張るラカン(おそらくロープウェイにびびってる)に説得されしかたなく歩いていたのだけど。

ここでプチ事件がおきたのだ。

下山途中コーラを飲みながら意気揚々と歩いていると、目の前のラカンが牛のふんを踏んづけて派手に転んだのだ。周りの子どもも大爆笑、巡礼していた人たちも大笑い。

そして自分も大笑い・・・した瞬間にラカンがきれたのだ。

むっとした顔でさっそうと降りていくラカン・・・おいおい、そんな露骨に怒らなくても・・・そのあと車にのってもむっつりしたままのラカン・・・ふとみるとウンコまみれの足から血が出てる。

そこで消毒できるウェットテッシュと絆創膏を渡すしてキレイにしといたほうがいいよというと、それを受け取って傷をキレイにしたラカンはすこし機嫌がよくなったのだけど、それでもご機嫌斜め、結局、屋台で売っていた、ラージギル名物というお菓子のようなものを買ってあげるまで機嫌嫌が直ることはなかったのだ。


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【ラージギル名物というお菓子】

まあお菓子食べたらけろっと機嫌よくなってたけどね。子どもか・・・

そんなこんなで、その後は温泉と呼ばれる場所で入浴・・・の予定だったのだけど、びびりの日本人はまさかの温泉に入ることはできず・・・写真撮影だけにとどまったのだ。

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【入れと言われても入るスペースはなし】

そして、弾丸ツアーの一行はその後、竹林精舎、ビンビサーラ王の幽閉跡地などを訪れ一路ナーランダへ向かうのだった。

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Title: インド旅 ブッダガヤ:ラカンとチャイ編
2011.09.02

こんなペースで書いてたらいつまで経ってもインドの旅書き終わらないから、ブッダガヤ編をスピードアップで。

【ブッダガヤ初日の続き】

ラカンという青年についてチャイを飲みに行くことになったブッダガヤ初日、地元民のあつまる狭小店舗の一角でチャイをすすりながら、隣り合わせに座る、日本人旅行者と日本語を巧みに操るインド人ラカン・・・らかん・・・羅漢・・・羅漢って・・・これはなにかの思し召しなのだろうか・・・という気にすらなる。


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【地元屈指のフードコート】

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【そこでほっこりチャイタイム】

ラカンはチャイをすすりながら、なんでそんなにブッダガヤにくるのを楽しみにしてたのだ?と聞いてきた。

ってか話聞いてたんだ・・・おしっこの前の会話ちゃんとメモリーされてるじゃん。じゃあなんで無言でおしっこにいったのさ。そもそもめっちゃおしっこ我慢しながら話しかけてきたのなら、おしっこしてから話しかけてこいよ・・・とかいろいろつっこみたかったのだけど。

自分の家は寺だ。これでも一応日本ではブッディストモンクだ。プリーストだよというアピールをする。どうせ小汚い髪のはえた日本人のいう僧侶アピールなんか信じないだろうけど、仏教の勉強をしてるんだ。だからここは特別な場所なんだということを伝えると、そうか、それならブッダガヤは最高の場所だね。あなたの気持ちはよくわかった、邪魔してごめんねと素直に謝るラカン。

そして、つらつらとラカンは自分の仕事のことや家族の事を話し始める。そこで得たラカンスペック(28才:結婚して5年:娘は2才:仕事はガイド:オフシーズンはブッダガヤの実家で過ごしている:日本語はかなりうまい:仏跡のガイドの知識はなかなかのもの)

そんなこんでいろんな話をしているうちに、だいぶ打ち解けてきたものの、この時点ですべてをゆだねるほど自分は素直でもないので、2杯目のチャイを飲み終わると、じゃごちそうさま、おらマハボディ寺院にお参りにいくからまたね。と立ち上がったのだけど、雲行き怪しく通り雨が降り始めようとしていたのだ。

しかたなくゲストハウスに戻るといって店をでようとすると、ラカンが、今夜一緒にご飯たべようよといってくるので、いいよじゃあまたあとでということで、チャイの店を後にして、ぽつぽつと雨の降り始めたブッダガヤの街を足早にゲストハウスに戻ったのだ。

外は雨でなにもすることないので、そのまま雨が病むまで部屋で待機。

そして夕暮れ時にゲストハウスをでてぷらぷら歩いているとラカンに遭遇そのまま一緒に食事をすることになったのだ。

その日のメニューはOMレストランのチキンバターマサラ。


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【ブッダガヤでかなりお世話になったOMレストラン、ここは安くておいしい】

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【ここのチキンバターマサラとチャパティは格別】

これたぶんインドで食べたカレーの中では一番おいしかった。お皿なめたいくらいだった。

食事の最中にラージギルへいきたいことを告げると次の日に連れて行ってくれるというラカン。

はじめは安く抑えるためにバイクでいこうという話だったのだが、途中雨が降った場合最悪なので、車をチャーターすることに。値段交渉の末3000ルピーで車1台とガイドとドライバーを確保。

はじめこの値段高いと思ったのだが、途中のガソリンスタンドでガソリンの値段を見るとリッター50ルピー近く。ラージギルまでは片道でも100キロくらいあるので、往復200キロ、車の燃費が仮にリッター8キロだとしても、ガソリン代だけで1250ルピーはかかる計算なので、そんなにむちゃな金額でもないのかもと思った。

その後その日は雨がやまず食事をした後部屋に戻り就寝。

そして明日は一路ラージギルへ。



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