Title: 小石川植物園
2011.11.23 小石川植物園。

| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: 被災地支援について
2011.11.22

例えば。

被災地の人たちがこういっていた、といって被災者の言葉を紹介する人の話をきいていて、被災地に限ったことではないけど、自分がこれはいい話だ!これはだれかに紹介したい!この想いを誰かに届けたい!っていう気持ちはとても大事なことなのだけど、それはあくまで自分のフィルタを通した断面的なものであるということを知っておくって大事じゃないかと思う。

特に、ここ数ヶ月実際何度も足を運んだり、被災地支援をされている人たちがたくさんいて、そういう人たちの話を聞いていると特にそう感じる。

被災地に行けば行くほど、感情移入して、自分の関わった人たちを何とかしたいという想いが生まれて当然なのだけど、それがだれにとっても当然かと言えばそうじゃない。

嫌な言い方をするようだけど、震災からこれだけの時間が経ち、少なくとも関東においても、支援や、被災地へ想いを馳せるという機会は減ってきたように思う、いうなればブームが去ったみたいに、一時期の支援ブームは去ったのだ。

被災地でもきっと当初のような物資や食料と言った支援というよりももっと様々な形(雇用や教育、健康など)での支援が必要になってきているのだと思う。

それなのにまだ、がんばろうだの、1つになろうだの、被災地での美談や、悲談ばかりを話して、自分の主観で感じたままを伝えれば、それだけで、人を動かせるかと言えばそうじゃない。

このフェーズにおいて大切なのは、被災者と非被災者の間にはいって活動をしている団体やボランティアの人たちが、支援を広く広げていくためには、よりわかりやすく、非被災者が支援できる形を構築する事じゃないかと思う。

だから、自分がこう思うのだし、被災しているのだから、みんなも当然そう感じるだろうみたいなのはちょっと違うと思うのだ。ちょっと違うというよりもそういうフェーズから少しみんなの空気感がシフトしてきたように感じる。

今だからこそもしかしたら自分の想いが、必ずしもそのまんまみんなも共有できない可能性があるということも想定して、情報を発信したり、支援を求めていくやりかたを考えないといけないのだろうなと思う。

具体的に言えば、残念な話だけど、がんばろう日本とか、1つになろうとかそういう類のフレーズではもうなにも伝えられないし、こちらはなにをどうがんばればいいかわからないのだ。

そういうキャッチーな言葉や美談やちょっといいはなし程度で人を動かせるフェーズじゃない、ここから先に支援をつなげるには、わかりやすい形で、わかりやすい支援の形を非被災者の人たちに伝えていく努力を現場にいる人たちがしてくれたらいいなと思う。

最近仕事をして思うのだけど。

いい仕事がでいている時って言うのは、チームで動いていれば、みんなが情報の共有ができていて、今自分がなんの為に動けばいいかが明確になっているときなのだと思う。その為には、全体を一番把握している人間が、かみ砕いて細かく、一人一人に何をすればいいか指示を出さなければいけないのだと思う。

みんながんばろうとか、みんなで気をつけようとか、気を引き締めようとか、そういうありきたりな言葉だけではなにも変えられない時がある。誰がどうがんばろうとか、どことどこをどういう風に気をつけようとか、気を引き締めるためには、毎日鏡に向かって服装を整えようとか、具体的な指示がなければいけないのだと思う。

例えば会社が傾くような危機的状況においては、リーダーが細かく指示を出さなくても、みんなそれぞれ何をすればいいかくらいわかるけど、それが見えにくくなったときにこそ、だれかがそれをやらなきゃいけないのだと思う。

いま現場で被災者の為に一生懸命働いて、ボランティアにいっている人達は本当にすごいと思う。自分は一度も被災地には足を運んでいないし、直接なにか被災地の力になれたかなんてことはわからない。

でもそれでもなにかできることがあるなら、身近にいる人たちや、被災をされた方や、被災地に関わる人たちの為になにかしたいと思っているし、その思いは消えていない。きっとそう思っている人たちはたくさんいると思う。だからこそ、今明確に動ける形を現場にいる人たちが先頭に立ち提言してくれたらいいのにと感じる。


| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: 部屋とパソコンと私。
2011.11.20

昔、はじめてパソコンを手にして、夜11時になるのを待ってテレホーダイの時間にダイアルアップで回線をつないでいた頃、パソコンやネットから自分に流れ込んでくる情報や知識は、どれも先進的で斬新で新しい世界が開けたように感じていた。

はじめてCHATというものを知ったり、右往左往しながらHTMLを書いたり、夜な夜な東風荘で麻雀をしたり、それこそはじめてネットの中でできた友人の存在というのがどこか特別な感じがしてウキウキしたりして。思えばmixiもgreeもサービスすらスタートしてなくて、2chも今みたいに有名なものではなかったと思う。

サイトというものすら、本当にできはじめたばかりで、ネットサーフィンなんて言葉にうかれて、あちこちサイトを飛び回ったところで、今とは雲泥の差でたいしたサイトなんてなかったのだ。

回線速度も昔とは比べものにならなくて、ちょっとゲスイ画像が上の方からじわじわとでてきて、1枚の画像が全部表示されるまでに数分かかることなんてざらだったのだ。その時間のもどかしいこともどかしいこと。動画なんか落とすのに一晩かかったもんだ。

今思えば、初めてファミコンでスーパーマリオブラザーズをやった時の感動みたいなものなんだろうと思う。PS3の世代には理解できないだろうが、当時ファミコンが出たときの感動なんて、いま最先端のゲームが出たときの比じゃなかったんだ。

今となったら、たいしたことないものでも、当時の自分からしたら、いままで知らなかったことがどんどん流れ込んでくるようで、楽しくてしょうがなかったし、楽しいからこそどんどんいろんなことを吸収していたのだろうと思う。

あの頃パソコンやネットで広がった世界は、確実に今自分の生活の中に根付いている。遠くにいる友人と簡単につながれたり、新しい出会いがあったり、それこそ、その出会いは今の自分の人生にがっつりかかわる出会いであったりもしているのだ。

こうやって文章をサイトに書き始めたのだって、あの頃からずっと続けていることの1つで。

はじめてHTMLを書いて、くそみたいなサイトをつくって、でもそれははじめて自分がネットの世界に住所を持てたみたいな気持ちになれて、自分の城をもったような気持ちがして、嬉しくて嬉しくて、むだにアクセスカウンターをまわしたりしながら、なんとなく文章を書き始めたら、思いの外いろんな人からおもしろいとか言われて、その気になって。んでその気になって続けているうちに、いつのまにかライフワークみたいになって、書き続けたことでおぼろげにも自分の中にあったものが、はっきりと輪郭をもつようになって、自分をつくる大事な要素になってきたのだ。

なんでこんなことを書き始めたかと言えば。

当時自分にとって、パソコンやネットというのは、未知への扉であり、知識や情報や、興味や好奇心を満たしてくれる入り口だったのだ。いうなれば、すんごいおもちゃ箱のようなものだったのだ。

でも最近はそうじゃない。

もちろんパソコンを使うのが、遊びだけじゃなくなったというのは一番大きくて、自分の仕事の半分はパソコンがなきゃできないようなものばかりだからだというのもあるのだけど、今はパソコンを開けたくないなと思う日もあるし、パソコンを開けば、返さなければいけないメールがだだだっときて、それを書くだけで力尽きてパソコンを閉じることもあるし、みたくない情報にさらされたり、無駄なしがらみにめんどくさくなったり。

なんか習慣みたいにパソコン開いたり、ネットを徘徊したりするけど、あの頃みたいなウキウキはなくて、世の中のことや社会のことをざざっと斜め読みして、いろんなSNSで友人の動向を知ったりして、それはそれなりに面白いのだけど、なんか自分の頭の中がぐぐっと広げられる感じがしないのだ。

つまりは、パソコンやネットに対する愛が薄れていることにはっと気づかされたのだ。

なんであの頃みたいに未知の扉を開いてる気もしないのか、なんで愛が薄れたのか考えたのだけど。

あの頃の扉は一方通行で、こちらからしか開けなかったし、自分専用のどこでもドアみたいなもので、扉をあけるときに今日はどこへいこうか、どこかに誰かがいるだろうかなんて、期待をしながら扉をあけていたもんだけど、今はあちこちに入り口が増えすぎたのと、ドアが便利になりすぎて、開けてもいないドアから、勝手にいろんなものが入ってくるし、開けた瞬間にあちらこちらに矢印の書かれた看板が乱立されているようで、さあ今日はどこへいこうか!なんて思わなくても扉の前にはいつも誰かが立っていて、なんとなく思考を麻痺させられて、思考停止状態のまま、とにかく矢印の進むままに徘徊したりするようなもんで、急にわくわく感が失われたのだろうな。

なんか、自分の足で歩いている感が薄れて、動かされている感と、予定調和感がぬぐい去れないのだ。

なんかゴールとルールのきまったRPGをひたすらやり続けるみたいに、どんなに歩いても誰かのかいた地図に上からでられないみたいな感覚。

だからもういいやって思っちゃう日が増えたのかもしれない。

まあはやいはなしが、社会人になって学生の時よりも自由に使えるお金が増えて、しかもその状態で同棲し始めたら、お互いの距離感に微妙の違和感が生まれたというようなものだ。

でも、自分の側にも大きな原因があるとは思ってて、たぶん自分の性格的に開拓したり、余白の多いものに興味を惹かれるからかもしれないし、ほんとは余白は自分で作り出さなければいけないようなものなんだろうけど、そこはきっと根っからのめんどくさがりなのが災いしたのと、今の環境の中で自分の感覚も麻痺しちゃって、新しいことに挑戦しようとしなくなったり、あたらしい知識を自分の中に落とそうとしなくなったというのもあるのだ。

なんにせよ。

人でも物でも、パソコンでもネットでも、街でもなんでも、つきあいかたにはフェーズというものがあるのだろうな。

そのフェーズを自分の中でどうやりすごして、どう変化させていくのかというが大事で、どのフェーズでも、そのままありのままを、のほほんと楽しめるくらいの余裕がある人生でありたいし、またわくわくできるようなつきあいかたを自分で編み出して愛を再燃させられるような術を身につけたいものだ。

これといってなにかを主張したいわけでもなんでもないただのこんな文章なのだけど、こういうことを書いて、なんかすっきりすることができるのもパソコンとネットがあってからこそなのだしね。

なんてまだ完全に消えてない愛の灯で自分を暖められるうちは大丈夫か。

まあ何が言いたいのかよくわからないし、落としどころもないのけど満足したので大塚愛を聞きながら寝る。

おやすみなさい。










| コメントを書く (3) | Trackback (0)
Title: 天上大風
2011.11.18

外で子どもたちが遊んでいるのをみていて。

子どもたちの遊びを大人におき換えたら、ほぼ間違いなく、おいおまえ大丈夫か?いっぺん医者に診てもらった方がいいんじゃないか?きっと疲れているのだよ。と言われるようなことばかりなのだ。サラリーマンならなにか心に問題を抱えてしまったか、老人であれば完全に呆けたと思われてもおかしくないようなものばかりなのだ。

例えば、ひたすらに穴を掘るとか、三輪車を爆走するとか、ひたすら線の上をぐるぐるまわるとか、網もって虫をおいかけたり、それこそ一心不乱に逆上がりをしたり、ぼけっとブランコにのるのでさえ、大人に置き換えると少しおかしな事になるのだ。

それはなんでだろうか考えたのだけど、思うにきっとそれは自分でそれが似合わなくなるように成長してきた結果だと思う。

子どもから大人になる過程で、背伸びしたり、一人前に見られたいが故に、子どもの似合うことを、似合わないように似合わないようにと、遠ざけてきたのは紛れもない自分自身なのだ。だからおかしな風に見えるのは当然であり、おかしな風に見えるということが、大人になれたなによりの証拠なのだと思う。

なのにそんな過程を忘れてしまって、子どもって無邪気でイイネ!あの頃に戻りたいねなんていうのだ。

でも本当にあの頃に戻りたい、もしくはあの頃の感性を取り戻したいのであれば、あくまで今の自分は自分自身がつくりあげたのだということを認めるところから始めなければならないのだろうと思う。

その過程でなんで自分は大人になりたかったのか、なんで背伸びをしたかったのか、背伸びしてまでなにがほしかったのだ。子どもにみられなくなることで得たものはなんなのだ。そこに答えをだせて初めて、大人のバイアスを取り払うことができるのだと思う。

大人のバイアスを取り払うということは、つまりはとらわれずに生きると言うことなのだ。

きっとそうやって生きていくと、いつのまにか、いくつになっても、穴を掘っていたり、ブランコに乗ったり、虫をおいかけてても、ひたすらに走り回ったり、逆上がりをしていたって、周りから見てなんの違和感もなくなって、なにして遊んでいたっておかしいと思われることもなく、それがその人らしさになっていくのだろうと思う。

良寛さんみたいに。

そうやって生きていけたらいいなと思う。










| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: 癒。
2011.11.17

僧侶が癒しを与えてくれる存在だと思っている人がいるようなのだけどそれは違う。

僧侶は癒しなんて言葉を使わないし、むしろその言葉を懐疑的に受け止めていてもいいのじゃないかと思う。

癒しって、そもそも何によって消耗した何を癒しているのだ。

癒し癒しだといっていうる人ほど、自分が消耗する原因を外的な要因の性にして、それをまた外的な要因で回復させようとする。でもそんなことを繰り返していても目の前の現実をしっかりと受け止めて乗り越えない限り、自分の中に平穏なんて訪れるわけないのだ。

こういうと弊害があるかもしれないけど、今回の震災で被災された人たちに、いつまでも癒しをとか、癒されてほしいとかいう人をみると、ちょっと違うのになと思う。

いま被災した人たちに必要なのは、悲しみや苦しみから目を背けたり、考えなくてすむようになることではなくて、現実をしっかり受け止めて、そこから復興に向かって手を取り合って、一緒にその苦しみを乗り越えてくれる存在なのだと思う。

でもその苦しみや悲しみがあまりにも大きすぎて、一時的に応急処置として、絆創膏の役目を癒しで補うのはいいと思うんだ。でもいつまでも絆創膏をはっていても傷は治らないし、そこは化膿して、いつまでも傷がじゅくじゅくしたままになるだけなのだと思う。

大事な人を失った悲しみや苦しみも同じだ。

癒されて乗り越えられるなら、宗教なんていらないのだ。癒されても乗り越えられないものがあるから宗教があるのだ。

そこを勘違いして、宗教は癒しだなんて人がいるけどそれは違う。特に仏教は、癒しを与えてくれるようなものではないし、そういう勘違いした人からしたら厳しい宗教だと思う。

いつも自分の考えが正しくて、無意識にも自分本位なことを思う自分に、冷や水を浴びせかけてくれて、頭をトンカチで殴ってくれるようなものが仏教なのだ、それが見せかけではない本当の優しさなのだと思う。そしてそれは慈悲という言葉に「悲」という文字がくっついている理由じゃなかろうかと思う。

わかった顔して仏教ってさ。とかいうのも同じなのだ。

そういう自分に対してもつねに、おまえ調子にのるなよというのが仏法なのだ。

そんなことを思っていたら、求道ってあるラインまできたら、急速に指示を失い孤独になっていくのではないかと思う。

だって、ほんとのこといえば、あんた自分を棚に上げてるけど、原因は全部あんたの中にあるよ。ペテン師はよく人の間違いを大げさに騒ぎ立てて、自分の間違いから目を背けさせるのだけど、あんたのやってるのはまさにそれじゃないか。

それに、がんばれだの癒しだの言ってるけど、そういうあんたの自分本位な思い込みや気持ちで誰かを傷つけたり踏みにじっている可能性は0%なのかい?

ってことなのだけどそんなこと言ったら嫌われそうだし、そういう自分だってまさに渦中の人ってなもんで。

それこそまさに犀の角のようにただ独り歩めということなのだろうか。

なんて。


| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: 神楽坂。
2011.11.10

きゅっと冷えるな。

冬め。

熱燗がうまいじゃないかこのやろう。

白子の天ぷら・あん肝・あじのたたき・鳥鍋

熱燗をほっこり飲んだ後に、冷でしめる。

軽くあぶった葱の香りに後ろ髪を引かれながらも、しんしんと冷えた軽子坂を千鳥足でくだる。

至福だな。

やっぱりこの街がすきだ。

実は。

神楽坂に恋してからはや数年。

ここのところ、ちょっと恋心が停滞気味だったのです。長年連れ添った二人みたいに、少しマンネリ化してしまって、昔みたいにドキドキしたりわくわくしたりできなくなって、デートも近場ですませてしまうなんてなもんで、そんな状態で一緒にいてもしょうがないねなんつって、よくよく話し合って、ここの所、神楽坂と少し距離をあけていたのです。

これから先も一緒にいたいからこそ、この時間は大事なのだなんて自分に言い聞かせて、会いたくなっても、連絡したくなっても少し我慢したりしていたのです。時に寂しさを紛らわせるように、神楽坂のことを考えないように、あえて池袋や上野で飲んだりもしたりして。

でも気温がぐっとさがって、ぴりっと冷えてきたら、どうしてもいてもたってもいられずに、会いに行ったわけです。

んで。

なじみの店できゅっとやってほっとして。

はしごしたあげくに、ほろよい千鳥足で、軽子坂を下りながら、きんきんと冷えた夜風が寒くてしょうがないのに、心がぽっと温かくなったような気がして、なんかじんわりと愛を再確認したのです。

そんで家に帰ってよく眠りましたとさ。


| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: 慈心。
2011.11.08

11月だというのにこの気候。

身体もどのタイミングで冬眠すればいいのか考えあぐねているのだ。

今日身近な人を見送った。

久しぶりに親戚一同集まって思い出に花を咲かせたりして、いつまでもあの時代の話をしてた。

うちは親戚が多くて近いから、ことある事に親戚がみんな集まって、子どもたちは子どもたちでお寺の中を走り回ったり、写真やの親戚がくれた大量のフィルムケースの中で泳いだり、めずらしいカメラを見せてもらったり、メカニックのおじさんはいつも車の話をしてくれたり、山が好きなおじさんは山の話をしてくれたし、将棋も囲碁もみんなおじさん達から教わった。いつもわいわいああでもないこうでもないと話をしているのを横で聞いてるのが好きだった。

あの時代の自分は、いつまでもこれが続くのだと思っていた。

でもいつからだか、変化していくことを意識するようになって、変わっていくとはこういうことなのだなということを、自分は親戚たちから学んだ気がする。変化していくことがたまらなく嫌だったりもしたのだけど、最近は変化することを受け入れられるようになったのと同時に、いつのまにか自分も親戚の中で、ちゃんと「今」をつくる担い手みたいなものになっていくのだろうと漠然と感じるようになった。

こうやって身内を一人二人と見送っていくことで、気づかされたことや、大事な人を見送る人の気持ちもたくさん学ばせてもらったと思う。

通夜葬儀を自分でやるようになって、頭ではわかっているんだ。

自分が悲しくて寂しくて、つらければつらいほどに、ここが娑婆であって、兎角この世は苦しみにあふれている。でも亡くなった人の顔は、悲しむ自分たちをよそ目にとても安らかで、まさに仏さんみたいで、もう痛くもかゆくもないし、苦しいことなんか何もないし、間違いなく浄土へ還ったのだと思う。

間違いなくこの世とあの世は隔絶されているし、だからこそ、ここに救われるしかない自分たちがいるのもよくわかるし、そこに本願があることが本当に頼もしく思える。

だから暗い釜の中に送られるときも、お別れですの一言にも昔みたいに、どうにもならないくらいにモヤモヤしたりはしなくなったし、悲しみにも寂しさにもある程度納得できる自分ができたと思う。

今回も親戚が亡くなった日から、今日の葬儀まで時間があって、その間にいろいろなことを考えながらも、どちらかといえば晴れやかな気持ちでいたし、なんかお浄土も、親しかった人が増えてきて、だんだんいいところになってきたような気すらすしていたのだけど。

それなのに今日はいてもたってもいれないくらいに悲しくて寂しくて、そんな自分が垣間見えたときに、なんかいよいよ自力というものには限界があるのだと思った。昨日まで本当におどろくくらいに静かな気持ちだったのに。

こういう時に声をあげて泣けたらどんなにいいだろうと思った。

もう理屈じゃなくて、救われるしかないのだ。

人間は一人でなにかを乗り越えられることはできないのだと思う。

それと、もしかしたら「悟る」ということは、こういうときに声をあげて泣けることなのかもしれないと思った。まだまだ自分はなにかにしがみついてて、抗ってて、理屈をこねくり回してる。

それを手放さなきゃ見えるものも見えないのだろうな。

願わくば誰も死んでほしくないとすら思う。

でも、残された親戚の顔を見ながら、少なくともあとこれだけの数だけ自分は見送らなければならない可能性があるのだと思ったら、とてもつらいのだけど、でも同時にこれだけたくさんの縁に囲まれているのだということは本当にありがたいことなんだと思った。

それと、昔は誰かに名前をつけてもらうことが多かったのは、それは人間はだれかと共存して生きていくものだというのが当たり前だったから、だれか自分が大切だと思う人に名前をつけてもらうことで、その人との縁を子どもにつなげたいという想いもあったのかもしれない。それはつまりは、きっと今よりも縁と結びつきがつよかったということなのかもしれない。

縁なんだ。

全部。

生きるも死ぬも。病に伏せるのも老いるのも。

人と関わるのも関わらないのも。

涙を流すのも流さないのも。

いいこともわるいことも。

縁にいいも悪いもない。

縁なんだ全部。

縁は、願っても願わなくてもつながっていくものなんだ。



| コメントを書く (0) | Trackback (0)
Title: 輪。
2011.11.03

正直言うともうだれも身近な人が死なないでほしいとかむちゃなことを思うこともある。

ここ数日相次いで身近な人を送らなければならなくて、悲しいし、悔しいし、目を背けたくもなる。

でもそれがなによりも苦しみにあふれた娑婆にいることの証拠であり、これからももう少しここで生きていかなければならない証拠なのだ。この世はこうやって別れがあふれてて、悲しいこととか、寂しいこととか、苦しいことであふれていて、どんなに有頂天になっても、すぐにそこに捕まって地面にたたきつけられるのを繰り返す。

つらいとか悲しいとか思えば思うほどに、この世界は間違いなく娑婆なのだ。そしてだからこそ、この世とあの世は隔絶されてると認識できるわけで、亡くなった人は間違いなく自分のいる側でないところにいったと思えるのだ。その実感をもってはじめて救われるのだ。

そんなことを思いながら、亡くなった人の顔を見てたら、あまりにも静かでシンとしているもんで。

痛くもなく、寂しくも、悲しくもなく、苦しみが全くないところにいったのだな。まさに間違いなく仏になったのだなと思えた。

すべての人が必ずどこかのタイミングでこの世の縁尽きて、あちら側にいくのであって、遅かれ早かれなのだ。だから死というのは、ちょっとお先にお浄土へいくだけなのだな。

そしてその人が往生して浄土にいったかとどうかというのは、いつだってこの娑婆にまみれて生きている自分の頭の中にあることなのだ。

そして人が涙を流すのは、つまりは自分がさみしいからなのだと思う。

亡くなった人はもう自分なんかよりもずっといい世界にいるから心配ご無用で、むしろあっちからこっちをみて、もう少しそっちでがんばれよといってるんだきっと。

いままでずっと、あの暗い釜の中に、亡くなった人がいれられるのがたまらなく嫌だった。

でもこの世に縁尽きていくところは、安穏としたところなのだ。むしろよかったねと送り出していいのだと思うし、そして向こう側からこっち側を心配してくれる人が一人増えたことを喜ばなければいけないのかもしれないし、感謝しなければいけないのかもしれない。

またそちらであいましょう。

いつかこの世の縁尽きたら自分もいきますので。

その時はまた、車の話でもしましょう。


| コメントを書く (0) | Trackback (0)