Title: せった。
2011.05.30

夏に向け雪駄を新調した。今年は細かく注文をだして願いをしたのだけど、思った以上の出来に感動。


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Title: はかたもん。
2011.05.30

スナフキンが「僕は自分の目で見たものしか信じない。けどこの目で見たものはどんなに馬鹿げたものでも信じるよ」と言っていて、昔旅をしている時には、この言葉をふと思い出すことがあったのだけど、それを久しく忘れていた。

今回2日ほど博多をふらふらとしていて、ふとこの言葉を思い出した。

結婚式とぐぐったところで、20年来の友達が結婚する時の気持ちはわからないし、誓いのキスを失敗した時のぐだぐだな感じも、両親への手紙で涙する気持ちも書いてない。

博多とかぐぐっても、屋台で隣のおじさんと乾杯するときの気持ちも、中州のとんでもない店でだまされて苦笑いする気持ちも、雨に打たれながらラーメンを食べるために並ぶときのわくわくも、博多弁に骨抜きになるどきどきも、お腹をかかえて笑うときの気持ちも載ってない。

この2日間を一言でいえば、友達の結婚式の為に博多に行ったということなのだけど。

その中には、自分の目で見て感じた時にしかわからないたくさんの気持ちが詰まっているのだ。

なんか。

年を追うごとに、友達っていいなとか、旅っていいなとか、あたりまえの言葉に血が通ってくるような気がして、結局はぐるっとまわって同じところへ立っているのだけど。

やっぱり、言葉とか知識とか情報とか、そういうものに長くさらされればさらされるほど、改めて行動とか、経験とか、痛い思いとか、笑えることとか、泣けることとか、感情の伴う生き方ということの大切さを感じるわけで、その感情の一つ一つに意識的なればなるほどに、人生の楽しみはこんなところにあるのだろうと思う。

そしてそれを伴に共有できる人がいるということはありがたいことなのだと思う。

昔はわからなかったけど、結婚式のよさってでればでるほどにわかってくる気がする。

いい結婚式だった。

なんか飛行機は嫌いなのだけど、飛行機から見える景色は大好きで、昼間のフライトの時は、いつも窓側の席をとってひたすら雲海をながめながらいろんな事を考えるのだけど。

離陸をして、どんよりと厚い雲の中を、ひたすらに揺れながら飛び上がり、ふと雲をつきけたら、いままでの天気が嘘みたいに晴れ渡って、あんなに揺れていた機体が安定して、そこにはどこまでも広がる雲海があって。

なんか、人生とかもこんなものなのかもしれないなと思った。

そして、この2日で一番笑ったのは、帰りの飛行機で隣で爆睡する友人の腕に、週刊誌の袋とじを開いて、全開にしたまま抱えさせておいて、その友人が目を覚ましてもそれに気づかず、大事そうにその袋とじを抱えたまま、笑顔でスチュワーデスさんと談笑している姿を横から眺めているときだったのである。

いいおっさんがエロ本抱えて、笑顔でジュースをもらっている姿のシュールなことシュールなこと。

そしてその光景が今回の旅のすべてを集約しているような気がしたのです。

いい旅だった。

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Title: fromBR
2011.05.21

夜風がぬるりとしてきて、気持ちを強く持たないと休肝日をつくれない駄目な大人です。

そんな駄目な大人は、ゴルゴンゾーラのチーズがすごい好きです。最近ゴルゴンゾーラに蜂蜜をかけるとあんなにうまいのだということを知りました。

そして、ゴルゴンゾーラの匂いをかいだときに、うわっうんこみたいな匂いがするとかいうことはいわずに、おおいい匂いだなとかいいます。

でも、きっとうんこの匂いとゴルゴンゾーラの匂いは数値にしたらすごく近いものがあるのだと思います。

きっと子どもをそこに連れて行ったら大きな声で、うわっうんこみたいな匂いがするって言うと思います。そしたら、自分は、こらっ大きい声でそういうこと言うんじゃない!というと思いますが、あとでこっそり、うんこみたいな匂いがするねといえるような大人でいたいと思っています。

子どもに戻りたいとか、子どもはすばらしいとか、そんなナンセンスなことをいいたいのではなくて、うんこみたいな匂いをうんこみたいな匂いだと感じる気持ちに嘘をつくのは本当はかっこよくないということを忘れないようにしたいからです。

それにそういうところで嘘をつき続けると、本当に大事なときにも自分に嘘をつくことに屁でもなくなりそうだからです。

でも人が食事をしているのに、うんこを連想させるのはマナー違反だからそれはやめようという話です。

最近は、というか最近も、パトロールと称して、神楽坂を無駄に徘徊をしたりしているのですが、あの街もだいぶ変わりました。一言で言うと、年齢層が下がったのだと思います。そしてそれに街が適応してきているのだと思います。

たぶん、いままで住んでる街以外に、こんなに一つの街に執着したことはなく、こんなに意識的に変化を見てきた街はないのだと思います。

なんか神楽坂に足繁く通うようになって、お店の入れ替わりや、客層の変化とか、店の衰退とか、味の変化とか。そういうのをみて、ああ街っていうのは生きているんだなとか、時間は流れているんだなとか、諸行無常だなとか思うことがよくあります。大概この街を歩くときには、初めから終わりまでしらふと言うことはないので、それだけにいろんな事を思うわけです。

そんで最近ほろよいであの街を歩いていると、なぜか頭の中にアンジェラアキの「手紙~拝啓十五の君へ」が流れてきます。

最後の、今をいきてゆこう~というところをうわごとのようにつぶやきながら、15歳の時の自分を思い返してみたりして、もし自分に手紙を書くとしたら、どんなことを書こうかと考えました。

あまり長い文章を書いたら、きっとあの頃の自分は、煙たがってちゃんと読まないだろうし、抹香臭いことをいおうものなら、あんな大人にはなりたくはないとかほざいて、おれは別に明日死んでもいいんだ、幸せとか平和とか、そういう響きを口するような大人には絶対ならないとか、とてもとげとげしくてとてもまぶい言葉をぶつけてくるのだろうから、できるだけ短く、できるだけシンプルに伝えなきゃいけないと思って、いろいろ試行錯誤したあげく。

15歳の自分へ。

いま自分は31歳ですが。

楽しいです。

ということを書くことに決まりました。

きっと15歳の時の自分はそれを読んで、鼻で笑うかもしれませんが、それでもそれがその後の15年間のすべてを集約する言葉なのだと自信を持っていたいです。

こないだ健康診断でたくさん血を採られたからなのか、それとも抜き身の刀にかすっていたか、なにかここ数日身体の中に新しい血ができてくるような感覚がしています。なんかどくどくと。

人間は1日5000億個の細胞が死んで、1日に5000億個の細胞を作り出しているそうです。

身体をつくる成分は、昨日も今日もほとんどが別物で、たぶん15年前の自分は身体も心も全く別物だし、いうなればあの頃の自分なんてものは、記憶と想像の中にしかいないはずなのに、それでも今の自分とまっすぐに繋がっているということを、信じて疑わない自分に、ほんとつくづく同じところを行ったり来たりして駄目な奴だなとか思いますが、でもあわよくばいつまでもそれを信じて疑わない駄目な奴でいたいと思っています。

いってることと、やってることと、目指しているところと、今歩いてる場所に、一貫性をとりたいと思いながらも、一貫性がとれてる自分は嫌いだと思います。

なんかいつも心にそういう不安定なものを抱えていたいと願望が巣くっているのだと思います。

本当に自分はどうしょうもないへそまがりのあまのじゃくで、そんな自分をちょっとうれしく思ったりしてる救いようのない人間だとかいいながら、でも頭のどこかで自分は救われるとか思ってるずるい大人です。

拝啓この手紙を読んでいるあなたが幸せなことを願います。

なんてかっこいいことをさらりといえる大人になりたいものです。

いつかは。


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Title: 鶏想
2011.05.20

昨日の続きなのだけど。

たぶん自分の中のベースにあるのは、自分に責任持てないとだれかに責任なんか持てないし、自分を掴んでおけなければ、だれかを掴んでおくことなんてできないし、自分がわからなければ、誰かをわかることはできないと思ってるし、自分を許せなければ誰かを許せないし、自分に優しくなければ人にも優しくできないと思っているということ。そんで救うとかいうとだいそれているけど、自分がどこかでことつきたら、手の届くところにいる人も救えないと思っている。

だから逃げるときは逃げるし、無理もしない。自分の不相応になにかを背負おうとも思わない。

だからただ受け入れるし、受け流すこともよくある。

結果として周りの気持ちも考えずに誰かを傷つけることもあるし、いままでさんざんにいろんな人を振り回してきたと思う。

それでも、ペースを変えずに歩き続けることが大事だと思ってる。

淡々と自分のペースで足を進めていけばいいと思ってる。

そんで少しでも自分の扱いにうまくなってやろうと思っている。

実際できているかどうかは別だけど、そういう思いが自分の芯にある。

なんでそう考えるようになったかを掘り下げて考えてみると。

自分はいままで育ってくる中で、無力感に敏感だったのだろうと思う。このあいだ抜き身の刀をぶらさげた友達と話をしたけど、小学校の頃の自分は、足が速いことをとったらなにも残らないような子どもだったから、足が速いことだけが自分の自己肯定の理由だったんだと思う。でも、大きな大会にでるようになって、自分が絶対に追いつけない人間がたくさんいるのがわかったし、特に走ると言うことは、リアルにだれのせいにもできないから、自分の能力があきらかに劣っていることと、もっといえば身体の違いで追いつけるところと追いつけないところがあるということもよくわかった。

たぶん、それが自分は人生ではじめて感じた決定的な埋められない差と、その前での無力感だったんだろうと思う。

そんで陸上をやめて、ラグビーをやり始めた。

ラグビーをやりはじめても、高校の時に熊谷工業と試合をして、自分がいつもすごいな思っている先輩たちが、ぼろぼろになって、病院に運ばれたり、自分がどんなに走っても、どんなにぶつかっても全然だめで、すごい大差をつけられて負けた時にも、自分のやってる世界でのラグビーなんてこんな程度のものだったんだなと思った。

ラグビーはチームスポーツだから、いくらでも誰かのせいにできるけど。でも誰かのせいにできるくらいの、拮抗したものならいいけど、チームとして何一つ勝てるところなんて無かったということに、自分の環境までも含めて圧倒的な無力感があった。

それでも、自分の力がどこまでいけるか試したかったし、何度も家出まがいのことをしてきて、そのたびに、社会の中で高校生というものがこんなに無力だったんだということをまざまざ感じさせられた。

いまでも覚えているのが、はじめて自分が給料というのをもらったのは、家出の最中に年をごまかして引っ越し屋で働いて、2日間でもらった14000円。そんで日払いでその給料もらって3日目に逃げた。

年をごまかしてるのをわかってて雇ってくれたり、いろいろ話を聞いてくれた人たちに、お礼も言わずに逃げた。一人で北海道まで行ったときだって、結局途中でお金が無くなって、親に送金してもらわなきゃ帰ってこれなかったし。

大学生になってからは、アジアを旅することが増えて、いろんな国にいって、そこでまた自分の世界の小ささとか、自分のしらない経済価値とか社会とかがあることも知ったし、圧倒的に自分よりも選択肢の少ない人たちがいることを頭じゃなくてお腹で感じた。

初めは、思い悩んだり、悲しんだり、気持ちが落ちたりもしたし、なんとかしたいぜ。とか思ったけど、それが自分の力ででどうにかなるようなものじゃないことと、自分がそこまでそこになにかを賭けられるほど人間ができてないこともよく理解した。

口ではりっぱで、格好のいいことや、見栄えのいいフレーズをいくらでも吐けるようになればなるほど、最後に逃げ出すときの惨めな気持ちが頭をよぎるし、それでも逃げるであろう自分に失望したくもなったりする。

お寺で育ってると言うことも、無力感を感じることに敏感になったことに大きく影響していて、大好きな人もどんどん死んでいくし、生きたい人だって、どんどん死んでいくし、そこに情状酌量もお情けもなにもない。無情にも死ぬだけだ。自分がいくらがんばれとか、なにを話したところで、みんな最後は死にたくないといって死んでいくし、自分の存在なんてほんと無力だなということはいまでも思う。

自分がなんでここまで無力感を感じるのかといえば、たぶん、いままで何不自由なく育っていて、大学も就職も、完全に敷かれたレールの上を歩いてきているから、そこにあるコンプレックスが、自分を突き動かす根源にあって、その行動の結果として無力感にもスポットがあたったのだろうと思う。

もういいやとか何度も思ったし、無力感を感じる度に、おらもうだめだ、生きてても無駄だとか、存在価値とかないんだとかいいながら、誰かにくだまいて、時にそんな自分に酔って、それがかっこいいことであるかのように纏ったりしたりして、だれかを傷つけたり、たくさん嘘をついたりもした。いっそのこと、そんな失望感と無力感を纏った自分みたいなものを個性としてしまおうかなんて思ったりもした。

でもいまこうやって、なんだかんだと生きているのは、きっと失望感や無力感を感じるまでのプロセスの中には、ドキがムネムネみたいな感情とか、打ちのめされた時に、確実に自分の中に血肉になるものがあるという実感があるからなんだろうと思う。

このたかだか30年くらいの人生をベースに、いまの自分を見れば、確実に一つ一つのプロセスの自己肯定の結果であるし、コンプレックスの裏返しでもあると思う。

誰にもわからないけど、自分にはそれがはっきりわかる。

そんで初めに戻るのだけど。

こうやって無力感を感じて、それを自己肯定して確立されたものは、自分の力なんてたかがしれてる。誤解を招くような言い方かもしれないけど、がんばってもがんばんなくても結果に大きく作用はしないということである。

それが昨日の刀の話なのだと思う。

そしてそれは、きれいにいえば、縁の中だということだし、おかげさま、だとかいうことになるのだと思う。でも自分がいいたいのはそんなきれいなことじゃなくて、結局人間とか自分なんてもんはそんな程度の生き物なんだということだということだ。

そんでいま思うのは、自分にできるのは少なくとも自分が感情的になって誰かを傷つけないようにすることで、自分の偏った思い込みで、誰かを踏みにじらないようにしようということだ。

自覚的にそして自分の歩く道を散らかさないようにするくらいなもんだ。

抜き身の友達と話していて、ボタンを掛け違えたような気がしたのは、たぶんコンプレックスとか、動機付けの部分は、同じではないにしても、近いものがあるのだと思う。でもその処理の仕方と、足を出すときの理由付けの違いなのだ。

つまるところ認めるか認めないかの違いというのは、自分は無力だけど、それでも無力なりにがんばるのか、無力だからがんばらないかの違いなんだ。

でも本当のところは、どちらも結局のところ、同じ事をするのだし、同じ事をいうのだ、がんばろうとおもっても、逃げるだろうし、がんばらないといっても自分は感情的にもなるし我を張るのだと思う。きっと言ってることとやってることの一貫性なんか一生とれないと思う。

でも自分は、がんばらないということを芯に持ってくることが大事だと思っていて、がんばらないというのも、れっきとした一つの行動だと思ってる。そんで淡々とへらへらと生きつづけるということが、自分の投げられる一石だと思ってる。








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Title: 刀身
2011.05.19

昨日、ひさびさに抜き身の刀をぶらさげてるような友達と話をした。

なんか、いろいろなことを話して、家までの帰り道、話し終わった後の自分の中にあるもやもやしたような、なにかを掛け違えたかのような感じが気になっていたのだけど。

それがなんなのか考えた。

きっとそれは、いい年して思春期みたいなこといって、自覚的に抜き身で刀をぶら下げてるような姿勢に対して、その感覚が自分の中にもあったであろうという回顧と、それを反芻しつつもいまの自分の中には、もうそれがないという喪失感みたいなものと、その喪失感を自己肯定した今自分の中にある確固たるもののせめぎ合いみたいなものなんじゃないかと思った。

だから否定もできないし肯定もできない。

自分の中のプロセスを思い返してみるに、それを侍に例えるなら、抜き身で刀をぶら下げて生きていると、結果どこかで自分はこときれるだろうなという体感があって、刀は大事なときだけに抜けばいいんだと思って、刀を鞘にしまって腰にぶらさげることにした。でも手は柄にかかったままだったんだろうと思う。

でもある時に、例えばそれが身を守るためでも、なにかを得るためだとしても、刀でなにかを解決しようとして、それがうまくいっても、うまくいかなくても、その結果に自分の技量も業も経験も、もっといえば、その刀が業物だろうとナマクラだろうとそんなに関係ないのだと思った。

研ぎ澄まされた業物を持っていればなにかを守れて、なにかを得られるかと言えばそうじゃない。

100人切れることもあるかもしれないが、ただの一人もきれないときもある。

最後は木の枝でも箸でも同じだきっと。

そう思ったら、腰にぶら下げてても邪魔くさいからどこかにおいておこうと思った。

でも今それはどこにおいてあるかもわかってるし、いつでも取り出せるようになってるし、実は時々出してきて、手入れをしたりもする。

もしかしたらいつか、どこにしまったかも忘れるかもしれないし、そうなったら理想的だなと思う。

なんて言葉できれいにまとめようと思えばそういうことなのだけど。

でも正直言うと、気づいたら時々押し入れから刀を出してきて、辻斬りのようにだれかをぶった切りたくもなる。そんで自分の刀をみせびらかして、誰かにその刃紋きれいですねとか、その鍔しぶいとか言われたい。

でも
そういう衝動と、そこから生じるひずみみたいなものををうまく処理できるようになったということが、きっと今自分が思春期ではない証拠なんだろうと思う。もっと正確に言うと、その処理というのは、自己肯定でもあり、一時的な逃避でもあり、きっとこうして書くことも含まれる。

思春期の定義なんてものはしらないが、昨日おもったのは、思春期ってのは、自分の取扱説明書の初版をつくっているような時期なのだろうと思う。人間自分のことに力を使うということが一番脳が喜ぶから、そういう状態の時は、いろんなことを体験して自分の視野を広げようということに大半の力をそそぐわけで、そういう時は往々にして人を傷つけても屁でもなかったりするのだろうと思う。反抗期がいい例だ。

自分の取り扱い説明書の初版を、荒削りにつくったら、それを少しずつ活用しながら、角をとったり、頁に付箋を付けたり、新しく書き込んだり、書き換えたり、そんなことを死ぬまで続けていけるような生き方をしたいものだと思った。

できれば、というか、あわよくば、あまり人を傷つけずに。

昨日話をしてて、片足こっち側でしょうと言われたが。

たぶん。

いやたぶんというか。

いまこうやって冷静に考えれば考えるほど、自分はそうじゃないぜとか思いたくとも、きっと片足どころかもっと大部分そちら側なのだろうと思う。

それを認めるか認めないかの違いなのだきっと。

と、まあここまで考えて、頭の中が堂々巡りしそうになって、最後に行き着いたのは、結局のところ、何事もカテゴライズして、言葉に変換して考えるという行為は、実は本質から一番遠ざかる行為なんじゃないかと思って考えるのやめた。

はいエポケー。

行動や言動や立ち位置や生き方も、結局はその動機付けなんて、決して単一的なものでなく、きっと自分の思いつくすべてであるし、おもいつきもしないすべてなんだ。

だから。

また、岩手産のおいしい椎茸を食べながら、おいしいビールがのめたらそれでいいや。

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Title: 見える化。
2011.05.16

期限の決まっている仕事を2,3抱えると、頭のメモリーが一杯になるくらいの性能の脳みそをそろそろアップグレードしたい。

インテルはいってない。

でもそんな仕事の合間に、去年子どもたちと植えた、サヤエンドウとほうれんそうが収穫を迎えた。サヤエンドウの花を見て、サヤエンドウってこんな不思議な花をつけるんだということをはじめて知った。

収穫したサヤエンドウとほうれん草をどうやってたべようかと、子どもたちに聞いたところ圧倒的な多数決で味噌汁に決まったので、みんなでお弁当のときに味噌汁をつくってのみましたとさ。

自分たちで育てて収穫した野菜はうまいだろう。

スーパーでパックにはいってるサヤエンドウからはこれだけのことを学べないんだぞ。

そしてじゃがいもがもうすぐ収穫を迎える。

なにして食べてやろうか、フライドポテトにでもしてやろうか。こういうときに食材を調理するレパートリーをたくさん持っている人がうらやましい。

ただ1つだけ、サヤエンドウもほうれん草も、じゃがいもも自分で収穫したものを、ビールと一緒につまんだら最高だろうなと思いながらも、さすがに幼稚園でそれはかなわず、それだけが心残りなのだけど・・・でもそれはいつか自分の農園を持った時にかなえることにする。

さて、この次は子どもたちと相談して、夏に向けてスイカとひまわり畑をつくることにした。

さんさんとした太陽の下、背丈をこえるひまわり畑で、スイカをたべる。なんて絵を妄想して楽しみにしているわけです。

最近では幼保一元化ということで、保育園と幼稚園の統合を図ったり、国の政策で保育所がたくさんできていたりして、正直私立の幼稚園からしたら死活問題だし、実際幼稚園をやめようかという人の話を聞くと、これからは明確に保育園と幼稚園の棲み分けをしていかなければ生き残れないし、きっと今まで以上にビジョンを定めて周知していかないと駄目なんだろうと思う。今は今後の園としての姿勢と方向性をきめる岐路なんだろうと思う。

いま自分のつくりたい幼稚園は、実感と体感の伴う保育ができる幼稚園。

例えば、それは夏に泥だらけになって遊んで、木陰でみんなで育てたひまわり畑をみながら、みんなで育てたスイカを食べたいと言うことであって、その体験を通して「夏」ということを強烈に身体に刻んでほしいし、一つ一つの季節や空気やにおいを、ちゃんと心に直結させられるような保育がしたいということである。

実体験といえば保育の基礎かもしれないけど、これを現場で実践していくということは本当に大変なことだということを実感する。

たかが、「ひまわり畑で、スイカをたべる」を叶えるために、実際に自分の思い描いた絵まで結びつける為にはどれだけの準備と時間が必要か、そしてそれを現場で気持ちをきらさずに継続させることがいかに大変か。

保育者だって、現場にいればつい楽な方に流れるし、子どもたちの自発的な発想を待つよりも、ある程度の選択肢を与えなければ時間内に保育を終わらせることが難しいときもあるし、つい大人の選択肢の中でまわしてしまうなんてことはよくある。でもそれをできるだけしないように、子どもたちが自分たちで発想して、実感と体感に結びつけて、自信をつけていけるような環境を整えたい。

簡単なようだけどこれが実際できてる幼稚園は全国でも数えるほどしかないんだろうと思う。

ビジョンを定めたら、そこに具体的に農業やビオトープだけでなく、園内環境の設定や、行事のありかたまでを目に見える形で保育に落とし込んで今まであったものを再構築する。

ビジョンだけを掲げるのがうまくても、具体的に現場に見える化しなければ絵に描いた餅だし、見える化していくときに、現場での気持ちをくみ取りつつ意思統一ができなければ一人空回りするだけで決して成功しなわけで、どれが欠けても自分の思い描くものはつくれないのだということを、言葉ではなく空気と肌で実感する。

なんか本当に、一つのことをやろうと思ったら、小さな歯車がたくさん。ほんとうにたくさん繋がっていて、それが全部うまく回っているか見ていかなければいけないし、動きが悪くなれば油をささなければいけないし、歯が欠けたら、修理するのか、新しいものに変えるのか考えなければいけないし、本当にひとつひとつの歯車が、自分の想像もしないところでかみ合っていたりするのだなと思う。

なんか時々ため息とかでるし、自分の能力のなさにとほほとなるけど。

でもなんか、なにもしなくても園児がきて、ぬるっと幼稚園を運営していた時よりも、いろいろと考えて動いて、いろんなことが見える化されてきて、きっとこういう状況のほうが自分には向いているのだろうなと思う。

やらなきゃいけないことは山ほどある。

でも、環境を整えることばかりに躍起になって、大人の事情にばかり詳しくならないようにしようと思う。いつまでも発想と実体験で子どもに負けたくはない。いくつになっても自分の引き出しで子どもたちをわくわくさせられるような大人でありたいものだ。

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Title: 太陽黄経45度
2011.05.07

自分の周りにあたりまえにあったものが刻々と変わっていく様を感じたここ数日、それが色恋の話だったり、仕事の事だったり、メールアドレスを変えた友達のことだったり、最近は会わなくなった友達のことだったり、その一つ一つは小さな歯車の一つなのかもしれないけど、そんな小さな変化が積み重なって大きなうねりになり、そのうねりは知らぬ間に自分をのみこんでいるんだろう。

昨日話してた友達が、あの地震の前と後では、やっぱりなにか意識の奥底の部分で変わった気がすると言った。

きっと直接支援に関われなかったり、積極的に動けているわけでもないけど、心の奥底で小さな変化をした人が日本中にたくさんいて、その小さな意識の変化は大きなうねりになり、これから先の日本に大きな変化をもたらしたんだと思う。

そんでもって、いつだってこの目に見えないおおきなうねりみたいなものの中に、人は流されて生きていているのだろう。

あらがってもさからっても、結局のところどこかでは力尽きるのだ。

それなら、前だけみながら、必死の形相で力尽きる寸前まで泳ぎ続けるよりも、流れに逆らわず、うまいことぷかぷかと浮かびながら空を見上げていたい。

だからいま自分の身につけたいことは、うまく泳ぐことよりも、うまく浮かぶこと。

*

【武田三代】を読み終えて感じたこと。

最後まで鉄砲を導入せずに、騎馬にこだわって戦い滅びていった武田家は、本当に敗者なのだろうか。

やはり歴史物を読んで、時代錯誤で野蛮だと言われるかもしれないし、世界的に見ても理解されない風習(切腹も含め)の一つ一つをみても、古き日本にあった命以上に大切にされていたもの、命以上に重んじられていたものの価値観と、その文化を構築させた日本人は底知れない。もちろんそこで日に当たらない黒歴史がたくさんあるし、実際美談だけではないのは容易に想像されるけど、その影までも含めて日本人の個性なのだと思う。

どんなときだって個性というのは表側だけで構築されるものではない。

そして、死を劇的に意識することが生にはげしく光をあてることで、光の当たっていない生はときに軽んじられるのだと思う。

*

雑居ビルというのが結構好きだったりする。

歯医者が入ってるかと思いきや、司法書士が入ってたり、法律事務所がはいってるかと思いきや、いかがわしい店がはいっていたり、そんないろんなものが、雑多につめこまれているじがたまらなく心地よかったりする。

そういうビルに飛び込むときに感じる、あの例えようもなく自分の中に湧いてくる感じはある種の中毒性があるのではないかとすら思う。それとそんなビルの踊り場にある空気感は、そこでしか感じることができないものの一つだと思う。

雑多な中にある、ぽっかりあいたような自由みたいな、いうなれば制限付きの開放感みたいなものが、自分の中にあるなにかを満たしてくれて、その満たされた感じが脳みそに記憶されているのだろう。

今思えば香港を旅したときの記憶が、少なからずいまの自分のそういう部分の核になっているのかもしれないと思った。

*

ツイートのまとめ

感情的になれなくなったらなにも生めないのかもしれないと思うと同時に、感情的になっていると生めないものも確実にあって、その間でそれぞれの価値観に判断を迷うし、苦しむということが往々にしてある。なんかこの数年ずっとその間にいるような感じがする。

プロになるのがゴールなんじゃない。なってからの方が気が遠くなる程長いんだ。進めば進む程、道はけわしく、まわりに人はいなくなる。自分で自分を調整・修理できる人間しか、どのみち先へは進めなくなるんだよ。という幸田棋士の言葉がブッダの犀の角のようにただ独り歩め。という言葉とリンクした。

例えば、深度を深めようと思えば、着眼点は少なくなりがちになる。どちらもとれる超人ならいいが、自分はそうではないので、意識的にそのバランスの比重を考えなきゃいけないと思う。人生におけるフェーズと、その時の選択にもっと意識的にならねばと思う。

結局のところ、人生を楽しむということは、自分の着地点をどれだけ明確にイメージできるかということなんだと思った。イメージのないものは、計ることもできないし、取捨択一もできない。それがなにかもわからずに幸せという響きだけを追いかけるのは本末転倒だ。

*



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