Title: הללויה‎、
2011.01.31


やっぱ寝不足はよくない。許容範囲が狭くなっていて、つまんないところに引っかかって躓いたりもする。

いらいらしてたらよくない。

いろんなところでつんけんしててごめんなさい。

なんか幼稚園の時には、小学生を目指して上に登っていって、小学生になれば中学生を目指して、中学生は高校生、高校生は大学生、大学生をでたらだいたいみんな一緒、同じ土俵の上。

でもこうなると自分よりも明確に少し上にいる人を見つけるのが難しくなって、それをかぎ分けられることも才能になってくるんだろうと思う。手が届きそうで届かないけど負けたくない人。次から次にそういう人が目の前に現れてくれればもっともっと上に行けるのだ。でも黙っていてもあらわれないから、自分から探し歩こうと思うのです。

ああ鳥になりてぇ。

川はいつも流れていなくてはならぬ、頭はいつも冷えていなくてはならぬ、
目はいつも澄んでいなくてはならぬ、心はいつも燃えていなくてはならぬ。

めらめら。

ハレルヤ。晴れるや。

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Title: ホスピスでの法話
2011.01.28


年末に「ホスピスで話をするなら、君はなにを話す?」と問われた。

それが年を明けてからもずっと自分の中にこびりついていて、その話の後に、おじさんが亡くなり、身近な人が癌になったこともあり、死に際して自分が一僧侶としてできることとはなんなんだろうと改めて自分のアイデンティティの確認というわけではないけど、「おまえになにができる?」と突きつけられた気がしていた。

正直いうとはじめに「ホスピスでの法話」という話をもらったときに、自分は阿弥陀経の話でもしようと思っていて、極楽の様子を話したりして、最後には倶会一処のあたりに落ちをつければいいんじゃないかくらいに考えてた。

そして年が明けてから、ホスピス関係の本を読み、終末医療の本を読んだり、実際に病院で緩和医療に携わる人にも話を聞かせてもらい、いかに自分が大きな勘違いしていたのだと思い知らされた。

自分はホスピスというところを、最後に人が死を待つ場所、もう病気の治ることのない人たちの行く場所だと思っていた。でもそこに関わる人たちの話を聞くうちに、ホスピスは、決して人間の「死に場所」ではなく、最後まで人間らしく「生きる場所」なんだと思うようになった。

終末医療という事にも、自分はいままでなにも知らなかったけど、例えば、余命の数ヶ月の肺がんの患者が、肺炎をおこしたとする、普通医療というのは、悪いところを治すのが目的だから、肺炎を治すために、抗生物質を投与するのが普通だけど、肺炎は抗生物質によってのみ治るのではなく、病気というのはなんでもそうだけど、自己治癒力が正常に機能しているものを薬によってサポートするというのが正しい認識だそうだ、しかし余命幾ばくの末期の患者さんにはその自己治癒能力が失われている場合が多くその多くは空振りに終わることも多いという。

であるならば、病気の根治を目指すのではなく、呼吸がしやすいように、気道を広げる薬や、痛みを和らげる方法に切り替えた方が、患者にとっての身体の負担、そしてなによりも身体の負担は心の負担を重くするので、そこをいかに少なくし、健やかな心を保ち、いかに自然体でいさせてあげられるかという考え方にシフトするというのが終末医療、緩和医療の考え方だという。

専門的な話は長くなるので割愛して、興味のある人はコチラをどうぞ。「死ぬときに後悔しない医療」大津秀一

そして終末医療に関わる先生の言葉の中に、目の前の患者さんの苦痛を取り除くには、もちろん物理的な部分もそうだけど、本当に大きいのは精神的な部分をフォローできなければいけない、つまりは「病気を診るのではなく病人を診る」ことができなければいけないという言葉があった。

その医師は、勤務医として大きな病院にいるときには、患者さんのカルテとデータを元に、患者さんをベットの上から見下ろして、病気とその症状にばかり目を向けて、その人がどんな人であるのか、どんな顔をしていて、どんな人生を歩んできたのか、そんなことよりも命の終わりを後ろにずらすことだけが医者の使命だと思いそれを疑っていなかったそうだ。

しかししばらくして、余命幾ばくもない人が、合併症をおこし糖尿になったときに、血糖をコントロールして毎日身体に針を刺す必要があるのかどうか、最後に息を引き取った時に、心臓マッサージをされて、強心剤をうたれ心臓をうごかされ、人工呼吸器で生かされることに意味があるのかどうか、余命が数ヶ月延びると言うことは、末期の苦しみにあと数ヶ月耐えなければならないということになるわけで、その間で葛藤をするようになったという。

そこで行き着いたのが終末医療、緩和医療というものだったそうだ。そこでは、患者さんの目線になって、いうなれば、目の前の患者さんの状態や気持ちをくみ取って、信頼関係の上で、オーダーメイドの治療を行っていくようなものだそうだ。

目の前の患者さんが、いかに「人間らしく」生き抜いて、そして死んでいくのかを考え抜いて、行き着いたのは、人間と向き合って、そこにある命そのものに寄り添うということだったのだと思う。

こちらの一方的なモノを押しつけるのではなく、生きることにそっと手を添えるような感覚なんだろうと思う。それは自分には、甲斐甲斐しい世話や、一方的な押しつけではなく、それぞれしっかりと自分に向き合う時間をつくってあげること、そしてその時間の中で、それぞれがしっかりと自己に目を向け、自分自身の死を受け入れていく環境を整えていくことだということなのだと思えた。

その医師の姿勢みていて、それはまさに待機説法みたいだと思った。相手の目線にたち、感情をしっかりとくみ取った上で、その人にあった方法を選択するということはまさに仏教の根本姿勢ではないかと。

そう思った時に、自分自身がはじめに「ホスピスでの法話」という話をもらったときの気持ちを思いだして、自分の勘違いに気づかされた。

自分は、死に行く人たちに、その苦しみを少しでも楽にしてあげよう、自分の話でなんとか死の恐怖を和らげることができるのではないか、そんな法話をしようと思っていたけど、それじゃまさに大学病院の医療と同じじゃないかと。相手もみないで、通り一辺倒になにを話したところで、それは違うと気づかされ、今回、終末医療に携わる人たち、そしてホスピスにいる人たちの話を聞く中で、彼らからなにか真宗の中で生きる上で、また仏教を扱う上で、大切なことを教えていただいたような気がした。

そして、その目の前の人や事実と真摯に向き合う姿勢こそ、まさに聞法なのだと思い知らされた。

そして医師も、そこにいる患者も、自分なんか足下にも及ばないくらいに、後生の一大事としっかりむきあって、生死の問題に向き合っていると思い恥ずかしくなった。

そんなことを考えているときに、ある詩を見つけた。真宗のお寺に生まれた方が、余命を宣告された中での言葉。

説法はお寺でお坊さまから聞くものと思っていましたのに、肺癌になってみたらあそこ ここと如来さまのご説法が自然に聞こえてまいります。このベッドの上が法座の一等席のようです。「今現在説法」肺がんになってここあそこから如来様の説法が少しづつきこえてきます「今現在説法」真只中でございます。

この姿勢、生き方こそがもう法話であり、自信教人信であるんだと思った。

そして、山谷に「きぼうのいえ」というホスピスがあり、そこの院長さんがこういった。

この病院では、まだ誰も死にたくないといって死んでいった人はいない。

このホスピスでは、とことん目の前の人に向き合い、できる限り本人の想いを尊重するそうで、部屋のシーツにたばこの焦げ後がたくさんあるのけど、その数がホスピスの居心地の良さだという話もあるくらい、その人の生き方や、性格を十分に理解して、まるごと受け入れた上で、そこにただ寄り添う。自分から距離を詰めるわけでもなく、距離を離すわけでもなく、ただそっと横に寄り添う。これがホスピスで一番大事なこと。これにいきつくまでに長い時間がかかったなといった。

それはいうなれば、死に際した人の、心と体の苦痛をケアすることで、しっかりとその人が、自分自身に矢印を向けられるような時間をつくり、生死の問題に真っ向に向き合える環境を整えると言うことなのかもしれないと思う。

はじめに自分は「ホスピスでの法話」と聞いたときに、難易度高いなぁと感じたけどでもそれがそもそもの間違いで、法話に難易度も何もなくて、生死の問題はホスピスであろうと、そうでなかろうと同じだということに気づいた。

人生は余命80年そこいらのホスピスにいるようなもんだと思えば皆同じだ。そしてよほど今ホスピスにいる人たちのほうが後生の一大事を我が事として受け入れている。それなのに、自分がなにかそこで説いてやろうだなんて、はじめに「ホスピスでの法話をするなら」というとの問いに疑問をもたないということが、なによりも自分が救われる証拠なのかもしれないとすら思った。

ホスピスであろうと、どこであろうと、法話には違いはないということ、そこに違いを見いだしていたのは自分の至らなさであったこと、そして、法話とはやはりつまりは聞法であるのだということを実感した。

自分は、いい法話作りをするような僧侶になるのではなく、目の前の人と向き合う姿勢そのものが法話になるような僧侶になりたいし、その姿勢でなにかを伝えられるようになりたいと思う。


法話なんていうのは、難しく考えずに、目の前の人間と腰を落として同じ目線でまっすぐに世間話ができれば、心の通った会話ができれば、もうそれで十分なのかもしれない。その生き様でなにかを変えていけるような人間になりたいと強く思った。

ほんと今現在説法だ。

なむなむ。

 




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Title: 一宿一飯
2011.01.27


20代の頃は、はやく一目おいてほしくて、早く責任のある仕事を任せてほしくて、背伸びばかりして、たいしたことないのにいかに大きく見せて一目置かれる存在になるかばかり考えてた気がする。でも今になって、ある程度責任のある仕事を任されるようになって、対外的にも若くもなくなってきたら、20代のうちにもっと経験を積んで、もっとたくさんの体験をしておけばよかったと思う。

年をとって武器になるのは、経験と、そこから得た引き出しの多さで、いかに貫禄がついて、ぱっとみて仕事ができそうでも、すこし話せばその引き出しと経験の少ない人はすぐにばれちゃうし通用しないんだなということがよくわかったし、世の中には貫禄ばかりついて、口ばかりで実行力のともなわない人がたくさんいるんだなということもわかった。

社会というところはそういう7割くらいの人たちと、多くの経験と引き出しを持った3割の人たちで成り立っているのかもしれない。

自分はその7割にははいりたくない。口ばかり大きな事いう大人になりたくない。30歳にもなったら机上の空論ばかりかかげてないで、実績と経験と、自分にしかできない仕事や武器の1つでも持ってなきゃ駄目だと自分を戒める。

とはいえ、今はまだ若いから、無条件に手の内と心を開いてくれている環境も場所があるから、それが許される限りその恩恵に預かろうと思う。いいとこあと5年くらいなら、まだ最前線でもなく、でも後援部隊でもないいい感じの位置でたくさん学ぶことができるだろう。

さすがに35にもなれば、いくら自分がいつまでも若くいようと思っても、周りがそうさせてくれないし、簡単に誰もが心を開いて受け入れてくれるのも今よりも難しくなるだろうと思う。

たまに元気なおじいちゃんが若者と飲みたいぜ。心を開いて話そう!といって入ってこようとしたりするけど、本当のところ心を開いてわかり合えるはずないと思ってる。そんで自分もいつかそうなる。

例えるなら、ひょっこりと若者が無一文で訪ねて来たら、一晩くらい泊めてやろうかと思うけど、ひょっこりきた無一文の中年を家に泊める人は少ないだろうし、、ひょっこり無一文の老人が訪ねてきたら心から心配するだろうってなもんで、泊めてもらえるうちにいろんな家をみておくにこしたことないというようなもんだ。

たくさんの家を泊まり歩いた経験がこれから先に必ず武器になる。

年をとるというのはそういうことだと思う。というよりもそうでなければ駄目だと思う。

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Title: 映るもの。
2011.01.24


5年前にイースター島にいったときの写真を引っ張り出してきてみて、いま行ったらもっといい写真が撮れるのにと思いながら、フィルムで撮った写真をみていて、やっぱりデジタルとは何か違うなと思った。専門的なことはちょっとわかんないけど、色合いというか、風合いとしか言いようがないのだけど、ポジのフィルムで撮った写真の色がすごくドラマチックに見えた。

久しぶりに銀塩でもぶらさげてどこかに写真でも撮りに行こうか。

旅先の写真をみてるといかんせん旅情をかき立てられ、道祖神が手招きしているのが見えるようで困る。

写真を見ながら、いろんな出来事を思い出して、いろんな人のことを思い出した。

それがなんか昨日自分の中に沸いてきた想いと妙にリンクして、

なんか、「ありがとう」を使わないで感謝の気持ちを伝える方法を今のうちにたくさん学んでおこうと思った。




 

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Title: おめでとう。
2011.01.24


熱に中てられる。という感覚がすごく好きだ。

誰かが誰かのことを想って、またその誰かが誰かに感謝して、感謝された誰かも涙を流して、そういう目に見えない想いみたいなものが、相乗効果みたいに広がって、そこにいる人たちをつつんで、そこから自分の中にもいろんなものが流れ込んできて、知らないうちに顔がほてったように熱に中てられる。

本当に結婚式っていいなと思った。

一生に一度くらい自分の周りにいる友達に面と向かって感謝して、想いをはっきりと目に見える形にするのって大事なことだなと思う。

人の気持ちなんて無情なものだから、いつかわるかもわからないし、そんな一瞬の感情の高ぶりに中てられるなんて馬鹿らしい。なんて思っていたことがあった。

でも今は違う。

一瞬でもみんなが同じ気持ちになれて、おなじものに感動できて、喜び涙できた瞬間があったという事実は生きていく上でとても大切なことなんだと思う。

最後の最後で自分を支えるのはきっとそういう思い出たちなんだろうと思う。

最近思い出の価値というのが自分の中でぐっとあがって、これから年を追うごとにその価値はもっとあがっていくのだと思う。いい思い出、忘れられない思い出、何年たっても思い出せる思い出というのは、実は簡単にできるわけではなくて、いろんな思いや要素、それにすこしのインパクトとかスパイスが絶妙にかみ合ってはじめてできるんだろうと思う。

そういう思い出が少しづつ自分の中で増えてくる瞬間にすごく幸せを感じる。なんか幸せというのはそういう思い出の数に比例するんじゃないかと思った。もしこれからつらいことがあっても、そういう思い出がたくさんあればきっと自分は立ち直れるし、歩き出せると思う。

本当に今日の結婚式はいい思い出になった。

新郎新婦だけでなく、そこにいる人たちみんなが幸せを感じられた日だったと思う。

きっとこれから何十年後にも今日の日のことを話すよ。

1,5倍盛くらいで。

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Title: プロセス。
2011.01.17

 何がといわれればたぶん何でもと言えるのだろうけど、、プロセスとしてかなり簡略化すると。

わからないことを知る。

わかろうとする。

壁にぶつかる。

のりこえる。

わかったようなきになる。

さんざんそれを振りかざす。

なにかのきっかけでわかったようなきになっていた事を知る。

悶々とする。

突然なにかが腑に落ちる。

それを実践させようとする。

実践させようと試みて挫折。

自分の無力さをしる。

うちひしがれる。

これでいいのだと気づかされる。

晴れ晴れとする。

こんな感じなんだろうか。むろん行ったり来たりを繰り返し、3歩進んで2歩進むどころではないのだけど。「気づく」ではなく「気づかされる」というところが真宗的にはミソなんだろう。
 

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Title: 追記
2011.01.16


誰かになにかをしてあげたいと思う気持ちは意識的に起きるものでなくて、わいてくるものだと思う。なにかを守りたいとか力になりたいというのは、そこに本当は理由なんかないんだと思う。

そういう気持ちがわいてくるから人間というのはすばらしいんだと思う。

そこは間違いなくて、それを否定したら人は人でなくなっちゃうと思う。

ただそこでなにができるか考えたときに、自分の経験と想像と視野のなかからその答えを導きだして自分の中でベストだと思う答えを出す。いうなればそこで初めて人は意識的になるんだと思う。

その答えの1つがランドセルであるんだろうと思う。

でも人間は意識的になった瞬間に、自分を通して発された瞬間に、 発する人の数だけ答えがあって、経験の数だけ真実があるわけだから、それは善悪をこえて、価値観をこえて、本当の意味での正解ではなくなるんだろうと思う。

誰かの為になりたい気持ちはすばらしい。というよりもそれは根源的なモノだから否定しようがないけど、そこで誰かの為になりたいと思ってした行動が必ずしも相手の為にならないという可能性を秘めているんだということを忘れてはいけないと言うことが大事で、

つまりは名乗ろうと、名乗るまいと、ランドセルを送ろうと、お金を送ろうと、そういう行動に人を動かした動機は間違いなくすばらしいものだけど、ただその動機がすばらしいことと、その動機からでた行動がすばらしいかということは別物であるという事なんだろうと思う。そこを切り離さないといけないような気がする。

そこさえしっかりわかっていたら、人は生きていく上で絶対に所作にも言動にも行動にもでるんだろうと思うし、なにをすればいいかではなくて、それを忘れさえしなければ、なにをしてもぶれることなく、どんな窮地に立たされてもしっかりと筋を外さずに現実を歩いて行けるんだろうと思う。

なんか今回の件で、いろんな分野の人と話をしたり、ツイートをみていて、発する人の数だけ答えがあって、経験の数だけ真実があるわけだから、いろんな意見がでるのは当然なんだと思うし、そもそもそんなものは収集なんかつかないし、収集がつかないまま、平行線のままで当然なんだと思うけど、

ただブームが去ればだれもそれ以上この議論をしないで、一過性に過ぎて、そんなこともあったねといって、また数年して同じようなことがおこれば、同じように自分の意見を主張しあうだけではもったいないなと感じた。

それとネット社会になって、この膨大な情報の中にあぶり出しみたいに、人間っていうものが浮き彫りにされてる気がした。 

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Title: feliĉa
2011.01.15


自分はどんな人間になりたいか。

昨日一杯飲んだ帰り道そんなことを考えた。

今自分がどんな人間になりたいと思っているかというと、

恐れ多くも60歳くらいまで生きられたとして、みんなも60歳くらいまで生きてたとして、もうそろそろ定年だな、さて第2の人生だ、これからどうしようかなと思ったときに、

そうだ、とりあえずあいつを呼ぼうと言われるような人間になりたい。

その時になって、存分にやりたいことをできる為に必要な引き出しと、背景と実力をこの30年間で身につけられたら幸せだと思う。

もちろんそれなりに、野心も顕示欲もあるし、いま自分の関わる業界で爪痕を残してやるとか、世界を変えられないまでも、自分のやってることで社会に一石を投じてやるくらいの気持ちはあれど、でもきっと自分は、おいしいご飯をたべて、おいしいお酒を飲める程度のお金と時間があって、そこに一緒にいってくれる人がいて、同じ話をなんどもしながら馬鹿笑いでもして、たまに動物園でもいければ、きっと、ああ自分の人生は幸せだなと思える程度の幸せ指数なんだろうと思う。

でも、今はどうしても資本主義のど真ん中で中心になってくる世代だから、心とは裏腹に生きなきゃいけないときもあるけど、でも裏腹なことをしなきゃいけないのは、まだまだ自分に実力がないからだろうと思う。少なくとも目の前にいて手の届く人たちと、一緒に人生を楽しめるくらいの実力をはやくつけたい。

まあそんな先の妄想をしててもコロッといっちゃうかもしんないんだけど・・・自分ばかりはまだまだ生きていると思ってる煩悩具足な自分ってば、てへ。

 


 

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Title: 19.5V
2011.01.15


つくづく自分の周りには、すごいなぁと思う人が多いと思う。すごいというのは、どこかの社長だとか、起業家だとかそういうことじゃなくて、一言で言えば感受性が豊かで、とがっている人が多いなと思う。時にその感性をうらやましくも悔しくもあったりして、くそうと思うけど、絶対そこまで追いついてやろうと思う。

着実に足を進めている人を目の当たりにすると、自分もこんなところでぬくぬくしてちゃ駄目だと思うし、持ってるものの上で胡座をかかないようにしなきゃと思う。

くそう。

前に前に。

こうやって自分を奮い立たせてくれるくらい、目に見えて前に進んでいく人が手の届くところにいて本当によかった。

よしがんばろう。



 

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Title: 僕の右手。
2011.01.13


朝起きた瞬間から、「僕の右手」が頭の中で流れている。

人間はみんな弱いけど、夢は必ず叶うんだ。

ブルーハーツはいつも浮ついている自分をはっと立ち返らせる。ひたすらにそれをリピートで歌いながら高速を快調に走る。こういう時間のなんて幸せなことかと思う。

遠い国でなにが起きても、自分の目の前が幸せならそれでいいと思った。なんて身勝手な・・・と言われそうだけど、少なくともいま自分の立っているくらいの範囲に幸せを醸し出せない人間が、遠い国に幸せなんかもたらせるはずないのだ。

手の届くところにいる人たちに、自分と袖ふれあう人たちに、もっといえば自分自身を幸せにできなきゃ誰も幸せになんかできないのだという持論を持って生きていくのです。

じぶんにとって世界は遠い世界の話ではなく、まちがいなく目の前のすべてと繋がっていて、この方法で必ず世界は変えられると信じてる。

「空気は読めた方がいいでしょ」といったら「空気は読むものではなくて吸うものだ」と言われた。なんかふと力が抜ける気がしてそういう感性を大事しなきゃと思った。

自分の周りには平気でこういうことをさらりという人がいて、それはほんとにありがたいと思う。


 

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Title: 脳のこと。
2011.01.13


脳みそはいままで体験した一番の刺激を覚えていて、つねにそれを超えようと欲しているそうだ。それを聞いて妙に納得することがたくさんある。

1つの経験をすることで、そこで得た感動や喜びや快感というのはすべて脳に蓄積されていて、その中で1番のものが脳みそのデータベースに記憶される。そうすると次回からそれ以下の経験では脳は満たされずに、いうなればフラストレーションを感じることになる。そうするとその脳の欲求に従って、人間はもっと刺激を得られるように自然と行動が方向付けられていくんだろうと思う。

よりはげしいアトラクションを求めたり、冒険をしようと思ったり、もっと言えば格闘技に魅せられるのも、昼ドラにのめり込むのも、伝説と称してあほなことを繰り返すのもそうだし、ほとんどの「ハマる」という行動の根源にはそれがあるのだろう、恋愛体質なのもそうだし、もっと言えば名誉欲も知識欲も、自己顕示欲もすべては、一度なんらかの経験(だれかに認められたり、ほめられたり)それが例え周りからみたら些細なことだったとしても、自分の脳みそが震えるところから始まるのだろうし、脳がその快感をもう一度!と思うからその行動を繰り返していくのだろうと思う。

そう思って自分を省みてみれば、思い当たることは多々ある。というよりも自分の行動原理のほとんどがそこに当てはまる気がする。

この話をしたら、だから覚醒剤をやったら、脳がこれ以上ないところで震えちゃうから、他の何をしても無気力になってしまうわけで、その脳のシステムを自力で覆すのはそうとう厳しいという話を聞いて、なるほど・・・と思った。

人はつくづく動物で、脳の欲求を本能的に行動原理にしてしまうわけで、表面的には、生きる意味はあるのかとか、幸せってなんなんだとか、そういうところに捕まってもんもんとするけど、本当の意味で生きるというのは本当にシンプルで動物的なことなんだなと思う。

人間やはり経験、体験というのはすごく大事で、脳を振るわせないと、次の行動に結びつかないし、行動しなければ世界は広がらないのだと思う。

(話があちこちに飛躍しそうだけど、この部分に関しては幼児教育において自分が大切にしたい部分と大きくかぶる)

しかし、この話を聞いて思うのは、逆を返せば自分が行き着きたいところを逆算して、なにを習慣にしなければいけないか考えて、それが習慣づけられるように、それをして脳が震えるような経験を選んでしていけば、なりたい自分になれるんじゃなかろうかと思った。それに自分の駄目なところもよくよく目をこらせば脳のなせる技で、それもいくらでも改善できるんじゃないかいう気にすらなる。

やっぱ脳というのはおもしろいな。なんか脳の話を聞いたり本を読んでいると、本当は一線の研究者というのは、脳に関するすごい情報や研究データをもっているんだけど、それを公表したら社会がなりたたなくなるな・・・だから閉まっておこうというような研究データがあるんではなかろうかとか妄想してしまう。

例えば、その人の脳みその中で刺激のハードルがそこまで上がっているのか知ることができたら、その人の経験と照らし合わせて、感受性を数値化するとこだってできるかもしれないし、もっと言えば、いままでぼんやりとしていた、仕事ができる人、カリスマ性のある人、話がおもしろい人、とか分野ごとに数値化して順位をつけることだってできるかもしれない。漫画の世界の話だろ。と片付けられそうだけど、決して不可能でないような気がしてくる。

きっとそこまでいくと倫理の問題も絡んでくるのだろうけど、人間は知る探求心と、知らない方がいい抑制と最後はどちらが勝つかといえば、知りたいという探求心に勝るモノはないんじゃないかと思う。


まさにバベルの塔

宗教という分野はきっとそこにブレーキをかける存在というか、むしろ探求心もまた脳の欲求の1つであり、その人間の根源的な欲求を理論や理屈でないものに昇華させることで、ベクトルの方向を変えるような役割なんだろうと思う。

だからいうなれば宗教なんてものは理屈ではなくて、最後の切り札は「わからない」と言うことなんだろうと思う。それは「わからない」ということを正解にしなければ、人間は追い求めてしまうからそれを断ち切るにはそれしかないということでもあるのかもしれない。

なんか、脳の話を突き詰めることは、教育にも宗教にも、自分の関わっているすべてのことに、根源的に繋がっているのだと思う。

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Title: 伊達直人の件
2011.01.12

伊達直人の件について、違和感を感じるというツイートをみて思ったこと。

なんかすぐに自分の手の中にあるものと結びつけるのは悪い癖だと思うけど、でもこれこそまさに「悪人正機」のいい例じゃないかと思う。親鸞聖人は、「善人なをもて往生をとぐいわんや悪人をや」といった。自分なりに要約するなら、善人だと言われている人が救われるのだとしたら、当然悪人が救われるはずだということだ。

一見おかしなロジックに見えるけど、今回の伊達直人の件にぴったり当てはまるような気がする。

伊達直人の名前で寄付をしていることが美談として取り上げられて、それをしている人が善人だとしたら、そこに疑問を持って、ちょっと違和感あるな、だって相手にだって都合もあるのだろうし、一方的にそれを押しつけるのもどうかと思うし、他にもたくさんの寄付者がいるのに無名の人たちだけにスポットがあたって、こういうときだけ美談として取り上げるのはおかしい。自分って冷たいしひねくれてるののだろうか・・・と思う人は善人ではないのかという話で。

伊達直人が善人であるとして、それに違和感を感じる人が悪人であるしたら、1つの美談になんの違和感もなく、善人だと思い込めることよりも、1つの問題を自分の中に落とし込んで、足下を確認しながら、ひねくれているんじゃないか、冷たいのじゃないかと自分を内省しながら生きている人が救われないはずはないという理論になるわけだ。

でもここにあるパラドックスは、じゃあ自分は自分を省みてるから救われているんだ、と開き直ればいつだって自分も伊達直人になるわけで、それを「本願ぼこり」といって、元も子もないぞということになる。

浄土真宗の中で善行とはなにを指すのかという定義は難しい。もちろん今回の件で、無名で寄付をするという行為はとても心温まる話ですばらしいと思うし、もちろんそれを頭ごなしに否定するつもりはない。

でもここで大事なのは、人間というのは気を抜けば、簡単にその大義名分の上に胡座をかいてしまい、本分を見失いかねない危うさを持っていることを頭においておく事が大切だということで、それ同時には紛れもなく自分の中にもあることを忘れてはいけないということなんだろうと思う。

いい行いをすることは大事だけど、いい行いとは何であるのかというところに言及をすること、そこに自分なりの想いを巡らせて生きる姿勢というのが仏教的な生き方なのかもしれないと思う。

 

 

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Title: Dead Poets Society
2011.01.11


正直言うとまだ、日常に身体と心とテンションがついてきてなくて、一歩外に出るとこの寒さに踵を返して布団に戻りたくなる自分と毎朝戦っているわけです。

そんな今日この頃。

朝布団の中でぬくぬくとしてて、この布団の中のぬくもりの中でごろごろしているのは、誰かの優しさに甘えて、そこに寄りかかっている時の気持ちに似ていると思った。

ほんとはここを出なきゃいけないのはわかっているのに、あまりに居心地がよくて布団をはげない自分になんとか大義名分を見つけようとする気持ちを経験する度にスーダラ節を口ずさんだりしながらやり過ごしてきている自分もそろそろなんとかしなきゃだなと思う。

#

たくさんの人が動くプロジェクトに関わっていると、そこに関わっている人間の誰か1人でも、最初から最後まで汗もかかずに、どこにも土をつけずに会議室にいたら、せいぜいよくても60点くらいのモノしかできないんだろうと思う。

うまく行くときは大概、誰かがきれいに仕事を分配して、先を見通して指示をだしているというよりも、みんながみんな、それは自分がやるからこれはおまえが頼む、ここは自分がやっておきますよという風に全員が足を動かしているときで、100点を超える仕事はそういう時にしか生まれないと思う。

描いた後は、地味に堅実に、泥まみれになる作業をいかにこなせるかなんだろうと思う。

もっと泥臭く。

#

人前でうまく話すコツと、目の前の人とうまくやるコツというんのは、若干の出し惜しみ感を自分の中に残して終わることかもしれないと思った。

どこまでだして、どこからさきを秘めるかの割合は体験で学ぶしかないけど、その絶妙なバランスを極めれば、この2つで困ることはないのかも。

無言のもつパワーというのは想像以上にすごくて、100出し切るよりも70でやめておいて30を秘める方が印象はいいのだと思う。

その30の感覚を楽しめるようになったらまた違った世界が見えるかもしれないと思って精進しようと思った。

#

唐突に昔「今を生きる」という映画にはまったのを思い出した。

あの映画は熱かった。

SEIZE THE DAY

 

 

 

 


 

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Title: 蒲田行進曲。
2011.01.09

こないだ初めて蒲田に上陸した。そしたらこんな怪獣がいた。

 

DSC_0022.gif

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Title: BR
2011.01.08

今日で30歳も終わり。生まれてもう丸30年も生きてきたのかと思うのと同時に、まだたかだか30年かと思う。サイトのリニューアルもなんとか誕生日までに間に合った。

(そんなに変わってないじゃないかと思うかもしれないのですが、全体の構成はいろいろ考えた結果、文章をメインコンテンツにする上でこの作りが見やすいかなということでそこはいじらずとも、ドメインもサーバーも一新して、MTが最新のものにバージョンアップしたし、カテゴリー項目も新しく追加したり、デザインもできるだけシンプルになるように、イメージとしては自分専用にカスタマイズされた白紙のノートを買うような感じで創ったわけです。まあそれもこれもほとんど自己満足ですけどね。まあなにはともあれ結構細かい部分でマイナーチェンジをしたわけです。しかしこうやってパーツの一つ一つを創ったり考えたりするのは楽しいなと再認識したわけです)

 ここで一度足下を確認して、ここを0としてこの上にまた何かを積み上げていける人生を送れたらいいと思う。やっぱり節目というのは何事も大事で、そこで一度自分を省みて、そこをきっかけにするということは、意志の弱い自分には大事なことだと思う。

論語の中には「三十にして立つ」という言葉があるけど、自分はまだ一人で立ってるかというと全然そうじゃなくて、わがまま三昧なのに、自分を自分でいさせてもらえてるのは周りの人たちの理解とか、温かい目があるからだと思う。

でも誤解を恐れずに言うなら、ここから先に進むのにその温かさや理解を維持しようとすることでいっぱいいっぱいになったり、失うのが怖くなったりしないようにしなきゃと思う。それじゃ本末転倒だから。

なんか最近本当につくづく、世の中のすべては表裏一体で、メリットとデメリットは一緒で、一如なんだろうと思う。

創造欲は同時に破壊衝動でもあると思うし、破壊衝動は創造への渇望でもあるんだろうと思う。

そう思うと、本当の意味での善も悪も、なにを指すのかなんてことはわからないということに実感が伴う気がする。

優しさも愛情も希望も平和も。

それはいつだって人を殺しうるものだと思う。

そう考えたら、もうなんでもいいのだ。

これでいいのだ。

バカボンのパパも言う。

駄目なものなんかなにもないのかもしれない。

答えというのは、探したらどこにもないし、探さなければどこにでもあるんじゃないかと思う。

さて31歳。

今年も1年楽しんでいこうと思う。

前に前に。

 

 

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Title: 自己紹介
2011.01.08

ryo

1980年1月9日生まれ。

・職業は特殊なジャンルを掛け持ちです
・人間臭いものが好きです
・よく上野あたりを散歩してます
・わからないことをそのままにしておくと眠れないときがあります
・旅に出て感じたぜんぶが今の自分の中の大切な核になっています。
・好きな言葉は「なるようになるさ」「一如」
・つばはいてゴミ箱蹴飛ばしても、何食わぬ顔で花に水でもあげればそれでいいんだと思います。
・手塚治虫の漫画が好きです。
・ブルーハーツを聴いて育ちました。

徒然っと文章を書き始めて10年くらいたって、その間に本当にいろんな経験をさせてもらって、自分の書くことも、思うことも、表現したいことも、伝えたいことも、だいぶ無駄なモノがそぎ落とされて、シンプルになったような気がしないでもないです。でもなんだかんだとなんか10年かけて、ぐるっと一周して、引き出しはたくさん増えたけど、今また10年前と同じところに立っているような気がしている今日この頃。

足下を確認するわけではないですが、いままでのブログ「monkeysky」を一度終わりにして、2011年からあたらしく「Rbace」と言う名前でこのサイトを開きました。

自分は小学校の時からよく猿に例えられることが多くて、あだ名もそうでした。おそらく木登りが好きで、落ち着きがなくチョロチョロしてたからだと思います。それに申年だし。

だからなんか妙に猿に感情移入してしまうところがあって、自分のテーマ動物はいつだって猿でした。なんとなく自分の中の決まり事のように、だからサイトの名前を決めようと思ったときにも、なんとなく「monkey」を使いたかったのです。

でもそのこだわりも終わりにしようと思いました。そんで2011年から鶴を全面にだしていこうと思います。理由は、我家の家紋が「三枚羽の鶴の丸」だからということと、鶴の首部分が「R」っぽいからです。

なんか30歳になってみて、妙にいままで自分の積み上げたモノをもう一回再構築したい衝動が抑えられなくて、そういう衝動がこういう行動にでてくるのではないかと思います。

なんかこの年になって120%をだしてなにかにぶつかろうとか思わなくなったり、無難にそつなくこなそうとする自分への一種の自己否定もあるのかもしれないし、それをこういう形でしか表現できない自分のだめっぷりも含めて、右往左往もがきながら、のこりの30年を折り返したいと思うのです。

自分にとって書くと言うことは、自己肯定でもあり、自己否定でもあり、自慰であり、集約でもあり、備忘でもあり、自己顕示欲のあらわれだと思う。

でも、何事も意味を考えるという行為は、実は本質から一番遠ざかる行為なんじゃないかと思うことがあるので考えるのはやめました。

行動の理由は決して単一的なものでなく、きっと自分の思いつくすべてであるんだろうと思う。

前に前に。

ここからまた進んでいこうと思います。

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