Title: つくつくぼうし。
2014.08.31

気づけばミンミンゼミももう力なく、ツクツクボウシがなくやいなや、赤とんぼがとんでます。暑さ寒さもなんとやらといいますが、彼岸を待たずして秋のかぜ。

今年の夏は、いや今年の夏も存分に満喫充電できた。

今年の夏に感じたこと。

人間って迷うと、やっぱり理屈や理論や、規範や道徳や、そういうガイドラインにそって迷いをねじ伏せようとするのだけど、最後の最後で迷いを振り払うのは、理屈やガイドラインじゃなくて、祈りや、願いや、暖かさや、優しさや、愛や、感謝とか、そういう類のものなんだということで。年をとったからなのか、ますます人生は数式ではなくて、文章問題なんだと感じる。

文章問題を解くために必要なものは、行間を読む力なのかもしれなくて、大事なものはいつだって行間にあるのかもしれなくて、そういう余白みたいなものの不確かさと曖昧さが絶妙に絡み合っているのが人生で、それはとても歪で、左右不対称なのだけど。だからこそ唯一無二で、味があって、愛すべきものなんだろうと思う。

1+1=2じゃなくて、いろんな可能性があって、むしろ2が正解だと思い込むことで、人生が全然見えてなくて、人生の中では、1+1=3にも4にもなって、でも、3になるにはちゃんと理由があって、その理由に作用してるのは、公式では表せないもので、それは不正解じゃない。

正解か不正解かじゃないところにあるもの。それが人の心をつかむものだ。

旅先で写真を撮っていても感じた。だれがあの場所で同じようにシャッターを切っても同じ写真は撮れない。そこにあるものは1+1=2じゃなくて、3にも4にもなっててその理由は、言葉にするなら「想い」としかいえないようなもので、そういう目に見えないなにかみたいなものが間違いなくそこにはある。

質量だけが存在だけじゃない。

視界にはいらないものがすべて見えないわけじゃない。そして"見えない"ものはわからないと片付けてしまえばいいわけではない。見えないものが見えていないのは、自分の問題であることがほとんどだと思う。

15歳の時の自分が何もかもわかったような顔で、人生に悪態ついていたのを思い出して、その頃からここに来るまでの道程に自分が通っていた道や、かけてきた時間や、得てきたものや、失ってきたものや、いろいろなものが熟成して、いい感じに臭くなってきた。鼻をつくスメル。

くさくてなんぼ。くさや並。





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Title: 悪人正機。
2014.08.22

ほぼ日の引用。備忘のために。

袋小路に追いつめた状態で、なにかをするというのは、なんでも、だいたい、よろしくないことです。それをやりがちなのは、ほとんどが、じぶんが「善いこと」をしていると思っている人です。じぶんがやっていることが「善いこと」でないと、人を動かしにくいから、じぶんのしていることを、どんどん「善いこと」だと思いこむように、じぶんをも「追いつめて」いってるのかもしれません。「善いことをしているときは、悪いことをしていると思っているくらいで、ちょうどいいんだよ」とは、吉本隆明さんのことばです。正義のお面をかぶりたがる人は、かないまへんな。
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Title: ロビンウィリアムス。
2014.08.12

ロビンウィリアムスのでている映画が好きだった。

トイズ・ミセスダウト・ジュマンジ・ジャック・グッドウィルハンティング・パッチアダムス・奇跡の輝き・最高のともだち・ナイトミュージアム
どれも好きだけど。中でも、

「グッドモーニング, ベトナム」の中の「ぐっ~~~~もにんベトナム!!」のセリフと、ベトナムの状況を背景にルイ・アームストロングのWhat a Wonderful Worldが流れるシーンは今でも脳裏にこびついてはなれない。

「今を生きる」は何度もみた。全寮制男子校という当時の自分と同じ境遇の映画ということもありとても感情移入しながら。あの最後のシーン、みんなで机の上に立ち上がるシーン「おぉキャプテン、マイキャプテン!というシーン、今みても鳥肌が立つ。当時机にseize the dayと書いた紙を貼っていたのを思い出した。

この2つの映画はおそらく今の自分をつくる要素の一つになっていると思う。
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Title: デフラグ。
2014.08.08

海に浮かんで、海底を見ていたら、きれいな石や、陶器の破片や、ガラスの破片が落ちているのです。どれも波と潮にもまれ、角がどれてやさしい丸みになってキラキラと。

それをひとつつまみあげて、またひとつ、またひとつと集めていくうちに、だんだん欲が出てきて、これはきれい、これはいまいちなんてことを思いながら選りすぐりの石や陶器の破片とガラスの破片をあつめながら感じたこと。

同じ形のものは一つとしてなくて、そのひとつひとつが、長い年月をかけて波や潮や、たくさんの不可抗力の影響を受けて角が削られて、沖に流されては、浅瀬に打ち寄せて、そしてたまたまこの手の中にあるわけで。それはまるで人生と同じようだと思ったわけです。

島に出る前に、テレビのニュースをみていて、つくづくこの不可抗力がひとつの結果に結びついているのだということを実感したのだけど、それが遠く離れた島の海の上で繋がったりするのです。

目に見える物は本当はすべて繋げられると思う。

目に見える物や、そこにある結果はすべて、本当は目に見えない不可抗力の上にのっかていて、その目に見えないなにかは本当に不可抗力で、生きるというのはその流れの上に浮いているだけで、その流れは凪いでるときもあればうねりを伴うこともあって、いつ変わるかわからないその満ち引きに翻弄されて、翻弄される度に自分の器を、心を、自分はそれを無理矢理にでも適応させていくしかないのだなと。

成長というのは、つまりはその流れにいかに翻弄されたかで、自分自身の力だけで積み上げていくことだけを指すのではないのだと。成長ひとつとったって、縁が熟さなきゃ実を結ばないのだと。

ぷかぷか。

夏というのはいわば脳のデフラグだな。

気づけば外はミンミンゼミ。夏も中盤。

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Title: しきね。
2014.08.06
今年も大人の夏休み。夏充電。

30も半ばのおっさん達は、蝉の声で目を覚ますと、朝から日が傾きはじめるまで、ひたすらに泳ぎ、ひたすらに潜り、ひたすらに食べては飲み続け、電池が切れたように眠るのです。

そうして5日も島タイムの中にいると、頭の先から足の先までとろりとほどけるのです。どのくらいほどけるかって、毎朝民宿のトイレに座っている時に入れ替わり立ち替わりにはいってくる人達を感じながら、なにかそこにある人間の営みのようなものに思わず感じ入ってしまうくらいです。

息子も朝日にむかって思わず手を合わせてしまうってなもんです。

そんな、ザ・日本の夏休みも今日で終わり。

東京に戻り、お腹ペコペコで船を下りたときに、目に飛び込んできた昼食の選択肢多さに一瞬迷った自分がいて。ああ、この迷いがまさに東京砂漠の入り口なのだなと思いました。そして今、家の近所を散歩してたら、こんなにも東京には一人でぼけっと座っていられる場所が少ないのだなと感じました。

さよならさんかくまたきてしかく。

ポン酢醤油はキッコーマン。

まだまだ夏ははじまったばかり、まだまだ貪欲に充電、つくつくぼうしまで走り続けるのです。

あなかしこ、あなかしこ。

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