Title: 見える化。

期限の決まっている仕事を2,3抱えると、頭のメモリーが一杯になるくらいの性能の脳みそをそろそろアップグレードしたい。

インテルはいってない。

でもそんな仕事の合間に、去年子どもたちと植えた、サヤエンドウとほうれんそうが収穫を迎えた。サヤエンドウの花を見て、サヤエンドウってこんな不思議な花をつけるんだということをはじめて知った。

収穫したサヤエンドウとほうれん草をどうやってたべようかと、子どもたちに聞いたところ圧倒的な多数決で味噌汁に決まったので、みんなでお弁当のときに味噌汁をつくってのみましたとさ。

自分たちで育てて収穫した野菜はうまいだろう。

スーパーでパックにはいってるサヤエンドウからはこれだけのことを学べないんだぞ。

そしてじゃがいもがもうすぐ収穫を迎える。

なにして食べてやろうか、フライドポテトにでもしてやろうか。こういうときに食材を調理するレパートリーをたくさん持っている人がうらやましい。

ただ1つだけ、サヤエンドウもほうれん草も、じゃがいもも自分で収穫したものを、ビールと一緒につまんだら最高だろうなと思いながらも、さすがに幼稚園でそれはかなわず、それだけが心残りなのだけど・・・でもそれはいつか自分の農園を持った時にかなえることにする。

さて、この次は子どもたちと相談して、夏に向けてスイカとひまわり畑をつくることにした。

さんさんとした太陽の下、背丈をこえるひまわり畑で、スイカをたべる。なんて絵を妄想して楽しみにしているわけです。

最近では幼保一元化ということで、保育園と幼稚園の統合を図ったり、国の政策で保育所がたくさんできていたりして、正直私立の幼稚園からしたら死活問題だし、実際幼稚園をやめようかという人の話を聞くと、これからは明確に保育園と幼稚園の棲み分けをしていかなければ生き残れないし、きっと今まで以上にビジョンを定めて周知していかないと駄目なんだろうと思う。今は今後の園としての姿勢と方向性をきめる岐路なんだろうと思う。

いま自分のつくりたい幼稚園は、実感と体感の伴う保育ができる幼稚園。

例えば、それは夏に泥だらけになって遊んで、木陰でみんなで育てたひまわり畑をみながら、みんなで育てたスイカを食べたいと言うことであって、その体験を通して「夏」ということを強烈に身体に刻んでほしいし、一つ一つの季節や空気やにおいを、ちゃんと心に直結させられるような保育がしたいということである。

実体験といえば保育の基礎かもしれないけど、これを現場で実践していくということは本当に大変なことだということを実感する。

たかが、「ひまわり畑で、スイカをたべる」を叶えるために、実際に自分の思い描いた絵まで結びつける為にはどれだけの準備と時間が必要か、そしてそれを現場で気持ちをきらさずに継続させることがいかに大変か。

保育者だって、現場にいればつい楽な方に流れるし、子どもたちの自発的な発想を待つよりも、ある程度の選択肢を与えなければ時間内に保育を終わらせることが難しいときもあるし、つい大人の選択肢の中でまわしてしまうなんてことはよくある。でもそれをできるだけしないように、子どもたちが自分たちで発想して、実感と体感に結びつけて、自信をつけていけるような環境を整えたい。

簡単なようだけどこれが実際できてる幼稚園は全国でも数えるほどしかないんだろうと思う。

ビジョンを定めたら、そこに具体的に農業やビオトープだけでなく、園内環境の設定や、行事のありかたまでを目に見える形で保育に落とし込んで今まであったものを再構築する。

ビジョンだけを掲げるのがうまくても、具体的に現場に見える化しなければ絵に描いた餅だし、見える化していくときに、現場での気持ちをくみ取りつつ意思統一ができなければ一人空回りするだけで決して成功しなわけで、どれが欠けても自分の思い描くものはつくれないのだということを、言葉ではなく空気と肌で実感する。

なんか本当に、一つのことをやろうと思ったら、小さな歯車がたくさん。ほんとうにたくさん繋がっていて、それが全部うまく回っているか見ていかなければいけないし、動きが悪くなれば油をささなければいけないし、歯が欠けたら、修理するのか、新しいものに変えるのか考えなければいけないし、本当にひとつひとつの歯車が、自分の想像もしないところでかみ合っていたりするのだなと思う。

なんか時々ため息とかでるし、自分の能力のなさにとほほとなるけど。

でもなんか、なにもしなくても園児がきて、ぬるっと幼稚園を運営していた時よりも、いろいろと考えて動いて、いろんなことが見える化されてきて、きっとこういう状況のほうが自分には向いているのだろうなと思う。

やらなきゃいけないことは山ほどある。

でも、環境を整えることばかりに躍起になって、大人の事情にばかり詳しくならないようにしようと思う。いつまでも発想と実体験で子どもに負けたくはない。いくつになっても自分の引き出しで子どもたちをわくわくさせられるような大人でありたいものだ。

POSTED @ 2011.05.16 | Comment (0) | Trackback (0)

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