Title: 鶏想

昨日の続きなのだけど。

たぶん自分の中のベースにあるのは、自分に責任持てないとだれかに責任なんか持てないし、自分を掴んでおけなければ、だれかを掴んでおくことなんてできないし、自分がわからなければ、誰かをわかることはできないと思ってるし、自分を許せなければ誰かを許せないし、自分に優しくなければ人にも優しくできないと思っているということ。そんで救うとかいうとだいそれているけど、自分がどこかでことつきたら、手の届くところにいる人も救えないと思っている。

だから逃げるときは逃げるし、無理もしない。自分の不相応になにかを背負おうとも思わない。

だからただ受け入れるし、受け流すこともよくある。

結果として周りの気持ちも考えずに誰かを傷つけることもあるし、いままでさんざんにいろんな人を振り回してきたと思う。

それでも、ペースを変えずに歩き続けることが大事だと思ってる。

淡々と自分のペースで足を進めていけばいいと思ってる。

そんで少しでも自分の扱いにうまくなってやろうと思っている。

実際できているかどうかは別だけど、そういう思いが自分の芯にある。

なんでそう考えるようになったかを掘り下げて考えてみると。

自分はいままで育ってくる中で、無力感に敏感だったのだろうと思う。このあいだ抜き身の刀をぶらさげた友達と話をしたけど、小学校の頃の自分は、足が速いことをとったらなにも残らないような子どもだったから、足が速いことだけが自分の自己肯定の理由だったんだと思う。でも、大きな大会にでるようになって、自分が絶対に追いつけない人間がたくさんいるのがわかったし、特に走ると言うことは、リアルにだれのせいにもできないから、自分の能力があきらかに劣っていることと、もっといえば身体の違いで追いつけるところと追いつけないところがあるということもよくわかった。

たぶん、それが自分は人生ではじめて感じた決定的な埋められない差と、その前での無力感だったんだろうと思う。

そんで陸上をやめて、ラグビーをやり始めた。

ラグビーをやりはじめても、高校の時に熊谷工業と試合をして、自分がいつもすごいな思っている先輩たちが、ぼろぼろになって、病院に運ばれたり、自分がどんなに走っても、どんなにぶつかっても全然だめで、すごい大差をつけられて負けた時にも、自分のやってる世界でのラグビーなんてこんな程度のものだったんだなと思った。

ラグビーはチームスポーツだから、いくらでも誰かのせいにできるけど。でも誰かのせいにできるくらいの、拮抗したものならいいけど、チームとして何一つ勝てるところなんて無かったということに、自分の環境までも含めて圧倒的な無力感があった。

それでも、自分の力がどこまでいけるか試したかったし、何度も家出まがいのことをしてきて、そのたびに、社会の中で高校生というものがこんなに無力だったんだということをまざまざ感じさせられた。

いまでも覚えているのが、はじめて自分が給料というのをもらったのは、家出の最中に年をごまかして引っ越し屋で働いて、2日間でもらった14000円。そんで日払いでその給料もらって3日目に逃げた。

年をごまかしてるのをわかってて雇ってくれたり、いろいろ話を聞いてくれた人たちに、お礼も言わずに逃げた。一人で北海道まで行ったときだって、結局途中でお金が無くなって、親に送金してもらわなきゃ帰ってこれなかったし。

大学生になってからは、アジアを旅することが増えて、いろんな国にいって、そこでまた自分の世界の小ささとか、自分のしらない経済価値とか社会とかがあることも知ったし、圧倒的に自分よりも選択肢の少ない人たちがいることを頭じゃなくてお腹で感じた。

初めは、思い悩んだり、悲しんだり、気持ちが落ちたりもしたし、なんとかしたいぜ。とか思ったけど、それが自分の力ででどうにかなるようなものじゃないことと、自分がそこまでそこになにかを賭けられるほど人間ができてないこともよく理解した。

口ではりっぱで、格好のいいことや、見栄えのいいフレーズをいくらでも吐けるようになればなるほど、最後に逃げ出すときの惨めな気持ちが頭をよぎるし、それでも逃げるであろう自分に失望したくもなったりする。

お寺で育ってると言うことも、無力感を感じることに敏感になったことに大きく影響していて、大好きな人もどんどん死んでいくし、生きたい人だって、どんどん死んでいくし、そこに情状酌量もお情けもなにもない。無情にも死ぬだけだ。自分がいくらがんばれとか、なにを話したところで、みんな最後は死にたくないといって死んでいくし、自分の存在なんてほんと無力だなということはいまでも思う。

自分がなんでここまで無力感を感じるのかといえば、たぶん、いままで何不自由なく育っていて、大学も就職も、完全に敷かれたレールの上を歩いてきているから、そこにあるコンプレックスが、自分を突き動かす根源にあって、その行動の結果として無力感にもスポットがあたったのだろうと思う。

もういいやとか何度も思ったし、無力感を感じる度に、おらもうだめだ、生きてても無駄だとか、存在価値とかないんだとかいいながら、誰かにくだまいて、時にそんな自分に酔って、それがかっこいいことであるかのように纏ったりしたりして、だれかを傷つけたり、たくさん嘘をついたりもした。いっそのこと、そんな失望感と無力感を纏った自分みたいなものを個性としてしまおうかなんて思ったりもした。

でもいまこうやって、なんだかんだと生きているのは、きっと失望感や無力感を感じるまでのプロセスの中には、ドキがムネムネみたいな感情とか、打ちのめされた時に、確実に自分の中に血肉になるものがあるという実感があるからなんだろうと思う。

このたかだか30年くらいの人生をベースに、いまの自分を見れば、確実に一つ一つのプロセスの自己肯定の結果であるし、コンプレックスの裏返しでもあると思う。

誰にもわからないけど、自分にはそれがはっきりわかる。

そんで初めに戻るのだけど。

こうやって無力感を感じて、それを自己肯定して確立されたものは、自分の力なんてたかがしれてる。誤解を招くような言い方かもしれないけど、がんばってもがんばんなくても結果に大きく作用はしないということである。

それが昨日の刀の話なのだと思う。

そしてそれは、きれいにいえば、縁の中だということだし、おかげさま、だとかいうことになるのだと思う。でも自分がいいたいのはそんなきれいなことじゃなくて、結局人間とか自分なんてもんはそんな程度の生き物なんだということだということだ。

そんでいま思うのは、自分にできるのは少なくとも自分が感情的になって誰かを傷つけないようにすることで、自分の偏った思い込みで、誰かを踏みにじらないようにしようということだ。

自覚的にそして自分の歩く道を散らかさないようにするくらいなもんだ。

抜き身の友達と話していて、ボタンを掛け違えたような気がしたのは、たぶんコンプレックスとか、動機付けの部分は、同じではないにしても、近いものがあるのだと思う。でもその処理の仕方と、足を出すときの理由付けの違いなのだ。

つまるところ認めるか認めないかの違いというのは、自分は無力だけど、それでも無力なりにがんばるのか、無力だからがんばらないかの違いなんだ。

でも本当のところは、どちらも結局のところ、同じ事をするのだし、同じ事をいうのだ、がんばろうとおもっても、逃げるだろうし、がんばらないといっても自分は感情的にもなるし我を張るのだと思う。きっと言ってることとやってることの一貫性なんか一生とれないと思う。

でも自分は、がんばらないということを芯に持ってくることが大事だと思っていて、がんばらないというのも、れっきとした一つの行動だと思ってる。そんで淡々とへらへらと生きつづけるということが、自分の投げられる一石だと思ってる。








POSTED @ 2011.05.20 | Comment (0) | Trackback (0)

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