Title: 天上大風

外で子どもたちが遊んでいるのをみていて。

子どもたちの遊びを大人におき換えたら、ほぼ間違いなく、おいおまえ大丈夫か?いっぺん医者に診てもらった方がいいんじゃないか?きっと疲れているのだよ。と言われるようなことばかりなのだ。サラリーマンならなにか心に問題を抱えてしまったか、老人であれば完全に呆けたと思われてもおかしくないようなものばかりなのだ。

例えば、ひたすらに穴を掘るとか、三輪車を爆走するとか、ひたすら線の上をぐるぐるまわるとか、網もって虫をおいかけたり、それこそ一心不乱に逆上がりをしたり、ぼけっとブランコにのるのでさえ、大人に置き換えると少しおかしな事になるのだ。

それはなんでだろうか考えたのだけど、思うにきっとそれは自分でそれが似合わなくなるように成長してきた結果だと思う。

子どもから大人になる過程で、背伸びしたり、一人前に見られたいが故に、子どもの似合うことを、似合わないように似合わないようにと、遠ざけてきたのは紛れもない自分自身なのだ。だからおかしな風に見えるのは当然であり、おかしな風に見えるということが、大人になれたなによりの証拠なのだと思う。

なのにそんな過程を忘れてしまって、子どもって無邪気でイイネ!あの頃に戻りたいねなんていうのだ。

でも本当にあの頃に戻りたい、もしくはあの頃の感性を取り戻したいのであれば、あくまで今の自分は自分自身がつくりあげたのだということを認めるところから始めなければならないのだろうと思う。

その過程でなんで自分は大人になりたかったのか、なんで背伸びをしたかったのか、背伸びしてまでなにがほしかったのだ。子どもにみられなくなることで得たものはなんなのだ。そこに答えをだせて初めて、大人のバイアスを取り払うことができるのだと思う。

大人のバイアスを取り払うということは、つまりはとらわれずに生きると言うことなのだ。

きっとそうやって生きていくと、いつのまにか、いくつになっても、穴を掘っていたり、ブランコに乗ったり、虫をおいかけてても、ひたすらに走り回ったり、逆上がりをしていたって、周りから見てなんの違和感もなくなって、なにして遊んでいたっておかしいと思われることもなく、それがその人らしさになっていくのだろうと思う。

良寛さんみたいに。

そうやって生きていけたらいいなと思う。










POSTED @ 2011.11.18 | Comment (0) | Trackback (0)

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