Title: 輪。

正直言うともうだれも身近な人が死なないでほしいとかむちゃなことを思うこともある。

ここ数日相次いで身近な人を送らなければならなくて、悲しいし、悔しいし、目を背けたくもなる。

でもそれがなによりも苦しみにあふれた娑婆にいることの証拠であり、これからももう少しここで生きていかなければならない証拠なのだ。この世はこうやって別れがあふれてて、悲しいこととか、寂しいこととか、苦しいことであふれていて、どんなに有頂天になっても、すぐにそこに捕まって地面にたたきつけられるのを繰り返す。

つらいとか悲しいとか思えば思うほどに、この世界は間違いなく娑婆なのだ。そしてだからこそ、この世とあの世は隔絶されてると認識できるわけで、亡くなった人は間違いなく自分のいる側でないところにいったと思えるのだ。その実感をもってはじめて救われるのだ。

そんなことを思いながら、亡くなった人の顔を見てたら、あまりにも静かでシンとしているもんで。

痛くもなく、寂しくも、悲しくもなく、苦しみが全くないところにいったのだな。まさに間違いなく仏になったのだなと思えた。

すべての人が必ずどこかのタイミングでこの世の縁尽きて、あちら側にいくのであって、遅かれ早かれなのだ。だから死というのは、ちょっとお先にお浄土へいくだけなのだな。

そしてその人が往生して浄土にいったかとどうかというのは、いつだってこの娑婆にまみれて生きている自分の頭の中にあることなのだ。

そして人が涙を流すのは、つまりは自分がさみしいからなのだと思う。

亡くなった人はもう自分なんかよりもずっといい世界にいるから心配ご無用で、むしろあっちからこっちをみて、もう少しそっちでがんばれよといってるんだきっと。

いままでずっと、あの暗い釜の中に、亡くなった人がいれられるのがたまらなく嫌だった。

でもこの世に縁尽きていくところは、安穏としたところなのだ。むしろよかったねと送り出していいのだと思うし、そして向こう側からこっち側を心配してくれる人が一人増えたことを喜ばなければいけないのかもしれないし、感謝しなければいけないのかもしれない。

またそちらであいましょう。

いつかこの世の縁尽きたら自分もいきますので。

その時はまた、車の話でもしましょう。


POSTED @ 2011.11.03 | Comment (0) | Trackback (0)

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