Title: 一宿一飯


20代の頃は、はやく一目おいてほしくて、早く責任のある仕事を任せてほしくて、背伸びばかりして、たいしたことないのにいかに大きく見せて一目置かれる存在になるかばかり考えてた気がする。でも今になって、ある程度責任のある仕事を任されるようになって、対外的にも若くもなくなってきたら、20代のうちにもっと経験を積んで、もっとたくさんの体験をしておけばよかったと思う。

年をとって武器になるのは、経験と、そこから得た引き出しの多さで、いかに貫禄がついて、ぱっとみて仕事ができそうでも、すこし話せばその引き出しと経験の少ない人はすぐにばれちゃうし通用しないんだなということがよくわかったし、世の中には貫禄ばかりついて、口ばかりで実行力のともなわない人がたくさんいるんだなということもわかった。

社会というところはそういう7割くらいの人たちと、多くの経験と引き出しを持った3割の人たちで成り立っているのかもしれない。

自分はその7割にははいりたくない。口ばかり大きな事いう大人になりたくない。30歳にもなったら机上の空論ばかりかかげてないで、実績と経験と、自分にしかできない仕事や武器の1つでも持ってなきゃ駄目だと自分を戒める。

とはいえ、今はまだ若いから、無条件に手の内と心を開いてくれている環境も場所があるから、それが許される限りその恩恵に預かろうと思う。いいとこあと5年くらいなら、まだ最前線でもなく、でも後援部隊でもないいい感じの位置でたくさん学ぶことができるだろう。

さすがに35にもなれば、いくら自分がいつまでも若くいようと思っても、周りがそうさせてくれないし、簡単に誰もが心を開いて受け入れてくれるのも今よりも難しくなるだろうと思う。

たまに元気なおじいちゃんが若者と飲みたいぜ。心を開いて話そう!といって入ってこようとしたりするけど、本当のところ心を開いてわかり合えるはずないと思ってる。そんで自分もいつかそうなる。

例えるなら、ひょっこりと若者が無一文で訪ねて来たら、一晩くらい泊めてやろうかと思うけど、ひょっこりきた無一文の中年を家に泊める人は少ないだろうし、、ひょっこり無一文の老人が訪ねてきたら心から心配するだろうってなもんで、泊めてもらえるうちにいろんな家をみておくにこしたことないというようなもんだ。

たくさんの家を泊まり歩いた経験がこれから先に必ず武器になる。

年をとるというのはそういうことだと思う。というよりもそうでなければ駄目だと思う。

POSTED @ 2011.01.27 | Comment (0) | Trackback (0)

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