Title: インド旅 ラージギル:霊鷲山編

この日は朝からゲストハウスを移動。

そしてラージギルへ、朝から雨がしとしと降っていたのだが、まあそのうち止むだろうと高をくくって出発。途中いくつか村に止まり、一路ラージギルへ。

まずは霊鷲山(ブッダがたくさんの説法をした場所、法華経、無量寿教、観無量寿教もここで説かれたと言われている)霊鷲山は山の頂にあるのだけど、そこまでいく方法は2つ、山道をゆったりと登っていくか、ロープーウェイにのるか。

初めはゆったりと山道を歩こうとしていたのだけど、ロープーウェイと呼ばれるものを見た瞬間に、ドキがムネムネ。これにのるべきだなと決意したのだ。

そこにあったのは、ロープーウェイとは名ばかりの、今にも落ちそうなさび付いた、ゲレンデのリフトのようなものがぶらさがっていたのだ。そしてそれで山頂を目指すことに、なにげに、ラカンが若干びびり気味で、歩いた方がいいよ・・・と言っていたのだけど、強行突破。


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【ある意味絶叫マシン】

乗ってみるとさすがにちょっとこわい。インド人はすごいな、これでも平気な顔しているんだもんな・・・と思ったら、向かい側から下りに乗っているインド人の顔も心なしかひきつっていたので、なんか妙に安心した。

気持ちはみんな一緒なのだ。

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【不安げなインド人】

そして山頂にある日本のお寺(南無妙法蓮華経と書かれていたのでおそらく日蓮宗のものと思われる)を参拝して、いよいよ霊鷲山の頂へ。

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【ここには日本人僧が常駐しているそうだ】

舗装された道とはいえ、のらりくらりとあるくと20~30分はかかる。

のんびりと景色を眺めながら山頂へいく途中ラカンは茂みに入っていっておしっこをしていた。ラカンのおしっこのタイミングはどうにも間が悪い。

そしていよいよ山頂。

途中スリランカの巡礼の団体があちらこちらにいたので、山頂が混んでるかと思ったのだけど、ちょうどタイミングよく誰もいなくて、貸し切りでお参りをすることができた。

そこで「嘆仏偈」と「三誓偈」をあげる。


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【貸し切りの山頂で存分に声明】

なんか山の頂から、いろんなことを想いながらあげるお経はとてもすがすがしいの同時に、ここでこのお経を上げたことで、ここで説かれたものが、シルクロードを越えて、中国渡り、海を越えて日本に入り、長い時間と歴史を越えて、いま自分の中にあるというこの事実が、いままで頭ではわかっていたようだけど、その重みみたいなものがずしんとくるような気がして、本当にここにきてよかったと思った。

そしてお経を終えて頭を下げると、そこを管理してるおじさんが、これと同じものを置いてくれ、といって祭壇を指さすと、そこには茶ばんだ一万円札が置いてあったのだ・・・無論そんなお金のない自分は、ポケットの20ルピーだけおいたのだけど。

そして、ぼけっと眼下に広がる森を眺めながら、きっとこの景色はきっと何千年も変わっていないのだろうな、もしかすると仏陀もこの景色を眺めていたのかもしれないと思ったのだ。


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【眼下に広がる森】

そんな妄想に浸りながら、色々と考えているときに、なんか突然、仏陀が自分の子どもに羅睺羅 :ラーフラ(障害をなすもの)と名前をつけたエピソードが思い起こされて、なんかふともしかすると、羅睺羅というのは、自分にとっての障害という意味ではなく、生きとし生けるものすべて自分の子どもを持つという現実は、それだけで切りがたく離れがたい執着を得ることになるのだ。それを瞬時に悟った仏陀は、その目の前の子どもに羅睺羅と名付けたのかもしれないと思った。

言うなれば、自分の邪魔になるから羅睺羅と付けたのではなく、自分に子どもができた瞬間に、人間の根源的な執着に気づいたのではないだろうか、そして羅睺羅は自分の羅睺羅ではなく、人間の羅睺羅だったのかもしれないと思ったのだ。

そう思ったら、なんかいままで、なんて身勝手な親なんだろう、というよりも自分の子どもに障害なんて名前をつける親なんてどうかしてるぜ、なんて思っていたのだけど、仏陀の見ていたものは、もっと大きなもので、自分の道や、自分の生き方というのは、同時にそれは人間の悩みであり、根源的なものであることを知っていたのかもしれないし、同時に、自分の子どもに羅睺羅と付けた行為は、反骨的なものでも苦しみの中からでてきたものでもなく、人の根源的なものに対するいい意味での諦めと、それを何とかするという強い覚悟によってなされた行為であり、そこにはもしかすると後に慈悲と呼ばれる気持ちのきっかけがあったのではなかろうかとすら思ったのだ。

これは簡単に文章にまとめてしまったけど、自分の中ではすごい思考の変化であり、それを霊鷲山の上で思いついたということは自分の中で得難い経験だったのだ。

なんでこのタイミングで、なんでここでそれを思ったのか考えたら、少し高いところからどこまでも広がる景色をみていたら、なんか鳥の目というか、大きな目で物事を捉えられたからなのかもしれない。

仏陀の修行していた所には、高いところや見晴らしの多いところが多い(苦行をしていた前正覚山なども)それはもしかすると、視覚や環境が思考に与える影響を無意識にでも感じていたからなのかもしれないと思った。

そして同時にそりゃ毎日ここにいれば、もっといろんなこと思いつくかもしれないし、雑多なるつぼでは思いもつかないような思考の広がりを感じることもできるかもしれない。

でも自分は、自分だけでない、ここに巡礼に来ている多くの人は、山を下りたら自分の国に帰り、社会の中で生きていかなければいけないのだ。いつだって山に籠もっていられるわけではない。

なんて思った瞬間に、だから真宗があるのだ。この大きな流れの先に、間違いなく真宗があるのだという気持ちがむくむくと湧いてきて、なんか仏教が自分の手の中にくるまでに通ってきたであろうものが、ただ単に時間だけではなく、間違いなくそこに生きたであろう時代や息づかいとか、苦しみとかいろんなものがしっかりと根付いているのだという気がしたのだ。

なんかここに来て、自分の中にいろんなものがどくどく流れてくるような、いままで死に体だったものに血が通うような、大げさな言い方かもしれないけど、まさに画竜点睛のような経験だったのだ。


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【物思いに耽ったり】

なんかそんなことを一人で考えながらほくほくして、いつまでもそこにいたい気持ちがしたのだけど、ちょうどスリランカからの巡礼団が山頂に到着したので、場所を譲り下山することに。

帰り際にスリランカからの巡礼者を横目にみたら、ゆうに70~80才くらいの人たちも何人かいる。その人たちが文句も言わずにこの山道を杖をつきながら登ってきたのだと思ったら、想いというものの力のすごさは強いなと想った。ここがただの日本の観光地であったなら、もしかしたら手すりをつけろだの、車いすでもいけるように自治体が動けだの声が寄せられるかもしれないななんてことを想ったりもした。

途中阿難のいたという洞穴などもあり感動しつつも、とにかく雨が上がった空からは照りつける日差しが痛いほど降り注いできたので、足早に帰路につく。

他に下山はとくに特筆して書くこともなかろうか・・・と思いきや。どうしても歩いて降りると言い張るラカン(おそらくロープウェイにびびってる)に説得されしかたなく歩いていたのだけど。

ここでプチ事件がおきたのだ。

下山途中コーラを飲みながら意気揚々と歩いていると、目の前のラカンが牛のふんを踏んづけて派手に転んだのだ。周りの子どもも大爆笑、巡礼していた人たちも大笑い。

そして自分も大笑い・・・した瞬間にラカンがきれたのだ。

むっとした顔でさっそうと降りていくラカン・・・おいおい、そんな露骨に怒らなくても・・・そのあと車にのってもむっつりしたままのラカン・・・ふとみるとウンコまみれの足から血が出てる。

そこで消毒できるウェットテッシュと絆創膏を渡すしてキレイにしといたほうがいいよというと、それを受け取って傷をキレイにしたラカンはすこし機嫌がよくなったのだけど、それでもご機嫌斜め、結局、屋台で売っていた、ラージギル名物というお菓子のようなものを買ってあげるまで機嫌嫌が直ることはなかったのだ。


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【ラージギル名物というお菓子】

まあお菓子食べたらけろっと機嫌よくなってたけどね。子どもか・・・

そんなこんなで、その後は温泉と呼ばれる場所で入浴・・・の予定だったのだけど、びびりの日本人はまさかの温泉に入ることはできず・・・写真撮影だけにとどまったのだ。

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【入れと言われても入るスペースはなし】

そして、弾丸ツアーの一行はその後、竹林精舎、ビンビサーラ王の幽閉跡地などを訪れ一路ナーランダへ向かうのだった。

POSTED @ 2011.09.02 | Comment (2) | Trackback (0)

ラージギル温泉、私も入りました!

写真のお菓子、最初、オイナリサンだと思いました。確か名前は「カジャ」でしたっけ?「食え」という意味でした。

お疲れ様でした。私もまたインド行きたい!

Posted by: 仏教ラブ! @ 2011年9月 4日 19:52

コメントありがとうございます!

温泉はいったのですか!すごいですね。さすがにここに入る勇気はなかったです・・・

ラージギル名物のお菓子おいしかったですよね!

Posted by: ryomonk @ 2011年9月 4日 23:12

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