Title: インド旅 ナーランダ編

霊鷲山を後にした後はビンビサーラ王の幽閉跡地と竹林精舎へ。

幽閉跡地は今はもうほぼ野原のような場所で、わずかに石積みの跡があるだけで、そこに悠々と牛が闊歩しているだけの所なのだけど。ここで幽閉されていたのか、ここで阿闍世が・・・ここでお后が身体に蜂蜜を・・・とか妄想(ちなみに妄想はいつも手塚治虫のブッダのシーン)しながら思いを馳せる。そして竹林精舎へいったのだが、ここは特筆して書くこともそんなにないので割愛。


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【幽閉跡地、悠々と牛が闊歩する】

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【竹林精舎の池、仏陀が水浴びしたそうだ】

そして足早にナーランダへ向かう。

ナーランダにつくと、インドに来てから初めてではないかというくらいの快晴、ぎらぎらと照りつける太陽。そして観光客もいなくて、ほぼ貸し切り状態のナーランダ僧院は妙な静けさに包まれていて、なんかその雰囲気が、この遺跡の存在をとても印象深いものにした。

インドに行く前には、ここにそこまで感情移入するほど思い入れも知識もはなかったのだけど、ここにきた瞬間に心にぐっとくるものがあったのだ。

正直言うと、今回見た仏跡の中では一番よかったといってもいいかもしれない。


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【インド初の抜けるような青空】


ここの遺跡の造りをみながら、ここで当時何千人もの学僧が勉強していて、あちらこちらで議論をしたり、講義が行われたのだと思ったら、心の底からこみ上げてくるものがあって、その息づかいまでもが遺跡のあちらこちらから聞こえてくるような気すらしたのだ。

ここで仏陀や龍樹菩薩が講義をして、舎利佛尊者や西遊記にでてくる三蔵法師が勉強していたのだ。それだけではない、アジア中から、熱く熱を帯びた僧侶が集まってきたのだ、それを想像しただけでドキドキする。

そして当時ここの書庫には、膨大な書物と原典があり、それがしっかりとカテゴリー分けされて、部屋ごとに分けられていたそうだ。そして大きな食堂があり、寮のような部屋もある。仏教を学ぶ為の環境がすべて整っている。

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【書庫跡】


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【ここで色々な講義がされたそうだ】

遺跡を見ながら、ふと当時のことを想像していたら、いつのまにかその空気を共有した気になってきて、自分もそこの角を曲がりながら、午後の龍樹の講義だるいね・・・なんていいながら、木陰で授業をさぼったりしたかったなとか思ってしまうのだ。

しかし今、自分の目の前に広がっている風景は、破壊され、わずかに土台の残るこの姿なのだ。当時最盛を誇っていたナーランダ僧院も、歴史の中で破壊され、このような姿になってしまっていることに、まさに諸行無常を感じた。

ふと、夏草や兵どもが夢のあとなんて句を思い出す。

でも、ここがこういう姿で廃れてしまっていても、ここで説かれた教えは多かれ少なかれ形を変えてでも、間違いなく自分の所まで届いているのだ。

その事実に改めて教えとか、法とか、そういうものの持つ力の大きさを感じたのだ、外からどんなに弾圧されようと、破壊の限りをつくされようと、膨大な書物が燃やされようと、いま間違いなく仏教は生きている。それは大事に守られて生かされてきたからではないと思う。仏教の教えそのものの持つ力なのだ。

歴史の中で、必要のないものであればとうに消え去っているであろうものが、何千年たった今も、自分の手の中にあるというこの事実は、自分がこの先に進もうとするときにきっと背中を押してくれるのだろうと思う。

そして、今の自分なんて仏教の表面をなぞったぐらいにしか学んでいないし、表面をなぞっただけなのにわかったような顔をして、えらそうに法話なんかしていて、そんな自分が浮き彫りにされたような気がした。

きっと、目の前に広がる風景は、荒涼としたただの遺跡なのだけど、ここにあったであろう熱の欠片はまだ、この遺跡のあちらこちらに染みこんでいるのかもしれない、その残り香のようなものが自分をそういう気持ちにさせたのかもしれない。

この空気を感じられてよかった。

普段、当たり前のように仏教を扱っていて、教典を粗末に扱っているわけではないけど、つい大事にすることを忘れてしまったりするときもあるし、もっともらしくうまいことを言えるようになると、そこにかまけて自分自身学んだり、感じたりすることもおろそかになったりするし、なによりもたくさんの先人とか歴史があってはじめて、いま自分の手の中にこの教えがあるのだということを忘れてしまう。

それと、仏教は決して妄信的なものではない、たくさんの人が苦しみとは何であるかを突き詰めて考えて、その正体を明かして、その対処の方法を考えた結果の上にあるものなのだ。そしていつの時代でも人間の持つ根源的な苦しみは同じであるからこそ、今も仏教は死んでないのだ。

当たり前なんだけどでも、そういうことを忘れないようにしようと思った。

なんて。そんなことをこの遺跡を見ていて感じたのだった。


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POSTED @ 2011.09.08 | Comment (0) | Trackback (0)

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