Title: 斜年
2025.11.11

思考の柔軟性は、その人の行動量に比例するという話を聞いたのだけど、
それは、つまりは柔軟でない人が、行動したら思考が柔軟になるというシンプルな話でもないのだろうなと思う。

柔軟な思考を持つ人が、様々なパターンや、行動理論をさらに学ぶために、足を延ばし、見分を広げたいという欲求が増すことはあるのはその通りなのだと思うけど、望むべくして、足を延ばさずにいる人が、なるべくして思考が凝り固まっている場合ということが往々にしてある。

行動量の多さは、自己肯定や自信の深さにも比例していて、ある種の強さのようなものを持ち合わせていないと、行動量は増えないもので、それはなぜかと言えば、行動量を増やせば増やすほどに、そこに生まれるのは多くの「比較」であり、それは自己と他者でもあるし、価値観の相違でもあるし、さらにいえば、それは上下でも優劣でもあり、その現実を客観的にも、主観的にも突き付けられることだからだ。

それは、行動量を増やさないことが、自己防衛でもあり、自己保身である場合、行動量が少ないから思考が凝り固まっているのではなく、凝り固まった思考の中でこそ自分が息をすることがいるから行動量を増やさないのだ。

年をとって思考が凝り固まってしまうのは、行動量を減らすことで、機能の鈍ってきた脳の現実を、客観的に比較の中にさらさないための知恵なのかもしれない。


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