先日、釈徹宗先生とお話をさせていただく機会があった。
お話をする中で、今の仏教界は目が離せないという期待と希望の傍らで「開かれる」ということに対する危惧や、またその中で淘汰されていくであろう寺院や僧侶に対するシビアな感覚を持ちつつも、それすらも許容していくような寛容さのようなものを感じた。
熱すぎず、冷静すぎないとても心地の良い温度をもった方だなと感じた。
中でも印象に残ったのは、「バカの壁」を例に、人間は話してもわかるというのは嘘である。大抵の人間は、自分の脳の認識外にあるものは認識しないか、受け入れると言うことは難しい。
しかし、その自分の壁、自分の都合というのが苦しみの根源であって、それをいかに小さくし、とりはらっていくかということが宗教、また仏教の一番重要な部分であり、そのメカニズムと実践としての集大成が仏教であり教えであるという話。
又、養老孟司さんが、脳の研究を何十年もしてきて、自分で行き着いたと思っていた理論が2500年前の教典にすでに書かれていて驚愕したとおっしゃっていたいう話も付随して興味深かった。
あと、出家を「ライフスタイル」と表現されてることがすごく自分の中で腑に落ちた。
色々な話をする中で最後に、
「仏教は2500年かけてユーラシア大陸全体で作り上げた知恵の結晶である」
という言葉に仏教が好きだという気持ちがにじみ出ていると同時に、仏教に対する信頼感と安心感をしっかりともっておられるような気がした。
これから昨日の話を文章にまとめて、メモだけで取りこぼしている部分を改めて味わいたい。
自分の考えを改めて再構築させられるいい機会をいただいた。ありがたい。