Title: 旺
孤独は身体を蝕むし、それは時に人を殺しもする。
孤独とはなにを指すのかといえば、結局は清濁あわせもって、匂いまでも香るような距離感での継続した人間関係の欠如ということなんだと思う。それはつまりは、その関係を持続するうえで必要なお互いの許容とか、寛容への欠如といってもいいのかもしれない。
寛容の欠如は慢性的な自己承認の欠如を生む。
他者からの承認というのは人が生きる上で根幹にもなりうるもので、それが慢性的に不足している中で、その欠乏感を埋めようとしたときに、いまは簡単に他者とつながれるツールがあふれているけど、そこでその穴を埋めようとすることは、結局のところ海水でのどの渇きをいやそうとするようなものなのかもしれない。
手を伸ばすほどに、心は渇いていくかのように。
この焦燥はどこからくるものなのか。
自己に抱える問題の根源は、社会や世間という価値観の中から生まれてくるものではなく、あくまで自己の内面から、人間の内側の中から染みだしてくるようなものであり、その染みのような、影のような淀みを解決するには、まずはその現実を、耐え難く目を背けたくなるような現実を、ありのままに自分自身が寛容しなければならない。
寛容は理解とは違う、それは理解するかしないかは別としてその現実を腹の中に置いておくということだ。迷いながらも共存して、同居することだ。
その共存の中にこそ、今には見えないなにかが差し込むのではないだろうか。
POSTED @ 2017.06.29 |
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