Title: 冬蝉。
兵士でも。子どもでも。博士でも。宇宙飛行士でも。大社長でも。赤道直下に住む人でも。大好きなあの子でも。
食べることと、寝ることだけは毎日していて。
魚を捕る合間とか、鉄砲を担ぎながらとか、難しい本を読みながらとか、携帯をいじりながらとか。
朝起きて、何かを食べて、生きて、そして寝ているわけで。
1日のうちの数時間、数分は、お腹が空いたなとか、なにを食べようかなとか、眠いなとか、考えているのだというあたりまえのことに、今更思いを巡らせてみると、それがなんかとても嬉しかったりする。
世界とつながってる感じがして。
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自分が平和だなと感じて、隣にいる人も平和だなと感じて、どこかにいる人も平和だなと感じて、そういう粒みたいな平和が地球の過半数を覆ったら世界は平和であると言うことになるのだろうか。
だとしたら世界を平和にすることは不可能ではないような気がする。
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好きだとか、ツボだとか。
そういう言葉を使わずに感情を表現する方法をもっと練習したい。
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大丈夫。これでいい。の力は大きい。
前に進むときにはこれが絶対に必要になる。
今をしっかりと認める力。
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布教教化について、耳障りのいい話、1つ2つをもっていてもしょうがない。
求道が先にあり、そのプロセスの産物として布教教化がある。
布教教化が先に来て話術や、小ネタばかり磨いていてもしょうがないし、それが賞賛されると、そこに甘んじていたくなるから気を付けなきゃいけないと思う。
本末転倒になる。
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人によって使い方や向き合い方は様々なのだけど、自分にとってtwitterが心の声だとしたらフェイスブックは表情。
その使い分けが最近やっとしっくりくるようになった。
表情はできるだけ豊かでありたいし、格好いい顔も悪い顔もくったくなくだせる自分でありたいとは思っているのだけど、そんな簡単そうに見えることが本当に難しいのだ。
結局の所、人間は意識的には人に見せても問題ない顔しか作れないのだ。
POSTED @ 2012.11.07 |
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