Title: しろいはな。

先日「感謝」とか「おかげさま」とか「誰かの為に」とかそういう事について自分の思うことを書いたのだけど、言葉たらずで、うまくまとめきれなくて、嫌な想いをした人ごめんなさい。

決して「感謝」や「おかげさま」や「誰かの為」を否定してるわけではない。

そんで昨日今日と、自分がなんでそんな小さなことにひっかかって、あんなことを書いたのかを考えたのだけど。

少し前に被災地である人の話を聞いたときに。

一族みんな津波で家を流されてしまって、唯一長男の家だけが流されずに残ったので、次男の家族と三男の家族みんなが、長男の家に暮らしている家があって、「家族のおかげさま」「こうやって助け合えることに感謝」と震災以後家族で手を取り合いながら、助け合いながら暮らしていた家があったそうだ。

きっと被災地ではこういうことはたくさんあるのだと思う。

でもそこの長男の家のお嫁さんは、心を病んでしまうほど苦しみを抱えていて、その苦しみを誰にも打ち明けられずに震災以降過ごしてきたそうだ。

ある日を境に、家族だから、一族だからという理由だけで、みんなの世話をしなければならないだけでも、大変なのに、「ありがたい」「おかげさま」という言葉をかけられ、ましてや震災でみんなが苦しんでいるときに、自分の苦しみや不平不満などいえるはずもなく、その想いを抱えてきた結果心を病んでしまったのだろうと思う。

「感謝」とか「おかげさま」とか「誰かの為」とか、そういう言葉はとても大事だし、そういう想いはなくてはならないと思う。

でもその反面、その言葉は時に凶器にだってなる。

それが家族だろうと友達だろうと。

そういう自覚って大事なんじゃないかと思う。

それと。

例えば、友達に感謝、友達のおかげさま、親の為に、子どもの為にとか、そういう想いも同じで、それはあくまで自分にとって今の状況が都合がいいからそういう言葉がでてくるのだという可能性を忘れてはいけないのだと思う。

お寺にいて色々な家族や、色々な状況を見るから感じる事なのかも知れないけど。

友達の状況や環境が変わって、急につきあいが悪くなったり、自分よりもいい仕事をするようになったり、大金を稼ぐようになったりして、自分の思ってた状況と変わってきても、羨んだり、妬んだりせずに、それでも「感謝」とか「おかげさま」と言い続けることはできるのだろうか。

親の為とか子どもの為って一生懸命なにかに打ち込むことも大事だと思うのだけど、親孝行とか言っていてももし、親がが呆けてどうしょうもなくなって、自分に悪態ついて、排泄物をなげつけてきても、それでも親の為にと思い続けることができるのだろうか。

できる人もきっとたくさんいると思う。

でも正直言えば自分にはそんな自信はない。

いま色んな事に感謝してるけど、それは状況が変われば手のひら返したように憎くなるかもしれない。かもしれないというかきっとなる。

だからいま感謝をしないとかそういうわけではなくて。

いま自分のいう「感謝」とか「おかげさま」とか「誰かの為」とかっていうのは、その程度のものだという認識をもっていたいと思ってるし、同時に他人が自分に向けてくれている「感謝」や「おかげさま」や「お前のため」もその程度のものだと思ってる。

だからこそ相手が気持ちが変わろうと、手のひらを返してきたとしても、それは既存設定だと思うし、それを許容して共感できる自分でいたいし、そういう言葉の1つにほだされて右往左往するような自分ではいたくないと思ってる。

「感謝」とか「おかげさま」とか「誰かの為」とか。もっと言えば、「大好き」とか「愛してる」とか。

そういう類の言葉は全部、いま自分が思っているよりももっと深くて、自分の都合のいいときだけに振りかざせばいいようなものではなくて、ましてやキャッチコピーのように、印籠のような使い方をしてると、どんどん価値が下がっていって、言葉の価値が下がると、そこに引きずられて、心とか想いとか、そういうものまで表面をなぜたような所までしか感じられなくなってしまうそうな気がするし、自分自身への戒めとしても、そういう気持ちを忘れないようにしたいと思ってる。

「慈悲」の「悲」は、きっとそういう人間の既存設定に向けられたものであるし、それを自らが既存設定として受け入れられないことへの悲しみなんではないかと思った。

なんかあれを書いてから、なんで自分はあんなにムキになってそんな所に引っかかったのだろうかと思ったのだけど、結局のところ、自分は苦しいの嫌で、苦しみの原因みたいなものがなんであるかもおぼろげながら見えてきた中で、それを肯定してしまうことが、なにか相手に対して、そして自分に対して妥協みたいな感じがして嫌だったのだということで一件落着、自己解決したような気がする。




POSTED @ 2012.10.07 | Comment (0) | Trackback (0)

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