Title: ぶっとん。

休日の昼下がりに窓をあけ
少し涼しくなった風を感じながら布団に転がる。
遠くで夏の終わりを告げるお囃子の音がする。
それを聞きながら目を閉じる。

夏の終わりには、いつも残念な気持ちになるのだけど、
今年は季節が変わっていくことに寂しさはあまり感じない。

それがなぜなのか深く考えたら、
きっとそこに答えをあてはめることができるのだろうけど、
そんなことをしなくても、なにかこの感覚が腑に落ちていて、

それはいうなれば、変わっていくことへの白旗。
でもその白旗は敗北ではなくて、降参。

変わりゆくものと仲良くしていこうということを
身体と心が受け入れ始めているのかもしれない。

ある時に過去と今がプツリと切れた気がして、
その感覚が「今」をとても客観視させてくれている。

線に見えて、点。

無数の点。

*

夜中に目が覚めて、なにか得も言われぬ孤独感に襲われて、
それをじっくりと味わっていて感じたこと。

人は、つながりの中に生きている。

肩書を何て呼ぶかはさまざまで、
それは時に、家族・友人・恋人、
仕事仲間、近所の人と呼ばれるもので、
それはときにしがらみとも言い方を変えるもの。

その、つながりの中に、一喜一憂して、
得たり、失ったり、
喜んだり、傷ついたりする。

その一つ一つの経験の中で、
つながりに意味を持たせ、
価値を見出し、
そこにいる自分を肯定したり
否定したりしながらその結びつきは強くなっていく。

しかし、その結びつきが、
さらなる結びつきを生んで、
どんなに強固になろうとも、

一人の自分という存在は、
簡単に変化していくことの波にのまれていく。
どんなにつよく、
そのつながりに根を張り、
がんじがらめになっているようでも、

変わりゆく流れの中で簡単に根こそぎ流されていく。

3代前の家族のことを、
知ってるようでなにも知らない、
自分自身がいるように、

自分にとって特別な今日も、
特別な人も、
特別な出来事も、
想い出も、

なにげない日常の中にある、
ささやかで暖かい時間も、

砂浜の小さな砂粒のように、
海に消えていくもの。

不都合な真実のようだけど、

今日のがんばりも、
今日の怠慢も、

明日への希望も、
昨日の絶望も、

なにがどうなっても、大きな波にのまれて
大海に帰す。

その現実を真っ向からうけとめるには、
まだまだなにか真っ黒な得体のしれないものに、頭を突っ込むような怖さがあって、
それが時々首をもたげようとするんだろうなきっと。












POSTED @ 2016.09.20 | Comment (0) | Trackback (0)

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