先日、実家で久しぶりに焼かれたケーキをほおばりながら、ふと中村勘三郎さんが亡くなったときに、坂東三津五郎さんが「肉体の芸術ってつらいね。全てが消えたよう。本当に寂しい」と言っていたことを思い出した。
家庭の味というのは人に説明するのは難しいのだけど、それをつくる人の感覚とかタイミングとか配合とかからうまれた無二のオリジナル料理で、それは作り手がいなくなってしまうととても再現の難しい類の一品なのだと思う。
それが家庭料理であれ、歌舞伎であれ、料理人の作り出す一品であれ、芸術であれ、文学であれ、もっといえばアホなあいつとの会話であれ、そのすべては作り手が消えてしまうとどれも同じように再現するにはとても難しいものなのだ。
つまりはそれを無常というのかもしれないのだけど。
無二なんだなと。
この瞬間も。
作り手が消えたら二度と味わうことができないのだなと。