ごてついた言葉達がぶつかりあって将棋倒しのようになる。
集中というのは意識すればするほどに難しい。集中とは力むこととは正反対にあるとはわかっていても、
気づけば身体のどこかに大なり小なりのこわばりはあるわけで、
まずはその小さなこわばりの一つ一つに心を寄せて、
こわばるのもしかたないと、自分自身への許容からはじめるのがいいのかもしれないと思うようになった。
0と1の間にあるものは、人から見たら些細な境目かもしれないけど、
こればっかりは0,1を何度も繰り返し経験しないとその隔たりの大きさと苦しみはわからない。
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味わうということも同じなんだろう。
味わうということはいわば脱力だ。
味わいというものが自分の中に入り込んでくる余地をあけるということだ。
味わいとは、意識して生まれるものでなく、本来からそこにあるものに気づくということで、
味わうということは、能動的に行われる行為ではなく、どこまでも受動的であるということ。
味わうということは、アンテナを合わせることではなくて、アンテナにはいってきた電波に耳を澄ますということ。