Title: 一箱分の一日
今日、ご本山での法話が終わったときに、一人のおばあさんが自分の所に来て、君のおじいちゃんがここで話しているときから、ここで法話を聞いているのよ、お孫さんなのね、今日はお話がきけて本当によかったわと声をかけてくれた。
なんかその一言に帰り道でろんなものがこみ上げてきたのだ、自分もおじいちゃんと同じ所に立つようになったのだな、なんて感傷に浸りつつも、今日の話をおじいちゃんが聞いたらなんと言うだろうか、きっと無駄が多すぎると言うかもしれないし、まだまだだと怒られるかもしれない。
まだまだまだまだ。
今日改めて思ったのだけど、僧侶というのは死んだ人の為にいるのではないのだ。お寺も死んだ人の為の場所ではないのだ。僧侶もお寺も生きている人の為にもっともっと開かれねばならないのだ。
生きてる人に関わって、絡んで、しがらみながら存在すべきなのだ。
なんて。
それとお坊さんは無邪気であるべきなのだとも思う。
へらっとさらっと熱いこと言ってきょとんとやり過ごせばいいのだ。
なんか何が言いたいのかよくわからない文章だけど、今日の気持ちの記録のために残しておくことにする。
POSTED @ 2011.10.15 |
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