Title: くも。
蜘蛛の巣というのは、本当に絶妙なところにあるものだなと。
トンボとかみてて思うのだけど" けものみち "というのがあるように、虫にも虫の通りたくなるところ、飛びたくなるところ、おもわず留まりたくなるような所があって、その絶妙にトンボが飛びたく、留まりたくなるようなところに蜘蛛は巣を張っているように思うのだ。
蜘蛛自体のスペックというのは、自分でトンボや蝶に飛びついて捕食するということはできなくて、巣にかかって弱った虫を喰らうくらいのものなのだけど、だからこそ巣をどこに張るのかそういう戦略的なものを研ぎすまして本能に刻んであるように思う。
蜘蛛にも色んな種類がいて、それぞれ捕食対象も違うわけで、それぞれの捕食対象に癖や好き嫌いがあるわけで、それによって巣の張り方も違うわけだ、それを蜘蛛というやつは、それぞれの虫がひっかかりそうなところを本能的に熟知して巣をはるわけで。
いうなれば、酔っ払いがとおりそうな所に空き缶を転がしておくような。
公園に1つだけあるベンチをいつもペンキ塗り立てにしておくような。
絶対に押してはダメですとかいてあるボタンに瞬間接着剤を塗っておくような。
そんな狡猾な空恐ろしさを感じるのです。その研ぎすまされた戦略をもっといいことにつかえないものだろうかとかなんてことを蜘蛛のやつに思ったのだけど。
相手の落ち込みやすいところ、はまりやすいところ、道を外れそうな所に、先回りして、罠を張るのか、セーフティネットをはるのか。その違いには雲泥の差があるのだけど。でも共通しているのは、相手を熟知しているということだ。
相手を熟知する力というのは、何をする上でも重要な能力で、相手がどういう時にどういう道を選ぶのか、どういう所を好んで、どういう行動をするのか。ビオトープというものに関わっているとその相互関係はとても興味深い。
そして思うにそれはそのまま人間社会にも活用できることだらけのような気もするのだ。
相手の落ち込みやすいところに狡猾に罠を張り、高齢者に「オレオレ」って電話をかける。これだけ注意をされていても年間何億円もの被害をだすということに、人間の本能的なもの、高齢者の抗いきれないなにかを熟知している「オレ達」にある種、蜘蛛に感じるような空恐ろしさを感じるわけで。
その才能をなにか別のことに使えばいいのにとか思うのです。
いま思ったけど、お坊さんって本気だしたらそんじょそこらのオレオレに負けてるようじゃダメだと思うのです。オレオレが先回りして罠を張るところにセーフティネットを張れなきゃだめで、むしろ時にオレオレを罠にかけてひっぱりあげるくらいの狡猾さも必要なのかもしれないと。
人間の業によるだまくらかしあいに勝てないようじゃまだまだなのかもしれないっす。まさに紙一重なのかもしれないっす。
それを方便だとか、待機説法だとかいうところにこじつける気はないのですけど。
今日蜘蛛を眺めながらそんなことを考えていたのです。
POSTED @ 2014.10.07 |
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