こないだ、大きなおもちゃ屋さんにいったら、なにか新しく発売したおもちゃのイベントがやっていて、たくさんの子どもたちがいた。その中で、あちらこちらで、だだこねて泣いている子達がいて、それをしかり飛ばす親がいて、まるで修羅場のような状況だったのだけど。
たった1つのおもちゃが買ってもらえなくて、この世の終わりに近いような泣き方をする子どもを眺めていて、大人になると、どうしてだだこねて泣いたりしなくなるのだろうかと思って、大人になるというのはどういうことなのだろうかということを考えた。
大人になるということは" どうして自分だけがこんな思いを するのだ"って思うことが少なくなるということがあると思う。
経験を重ねることで、いま自分の置かれている状況が希有な状況ではなくて、世界にはごろごろしてるようなことなのだ、だから自分だけが感情にのみ込めれてしまうのは違うなという判断ができるようになるということなのだと思う。
そしてその幅を広げていくということはとても大切な事で、その幅を広げることを成長するということなのだと思う。
だから"だだ"をこねる子どもにそれをやめさせるのであれば、しかりとばすことではなくて、子どもの世界を広げてあげられるような経験をさせてあげることで、自分を客観的にみられるような声かけをしてあげることなのだと思う。
それと。
大人になるというとは、"できなくても困らないこと"に比べて"できなくては困る"ことというのが増える。
それは、いままでは誰かがやってくれていたり、だれかにぶら下がっていたりすればよかったものを、自分でやらなければならなくなる。そしてその時に自分が"やらなければならないこと"と"できること"と"やりたいこと"そういうことに折り合いをつけながら、カドをとりながら前に進んでいかなければならないということなのだけど"できなくては困る"から"できるようになる"ということは案外おろそかにしてしまいがちだったりもする。
それと。
大人になるということは、白でも黒でもないものというのが、存在していることに気づかされて、それを許容して受け入れていかねばならない場面に直面する機会が多くなると言うこと。昔は、一区切り、一段落、きっちりと線を引いて前に進めるようなことばかりだったのだけど、年をとればとるほどにそうはいかなくなる。
でもそれこそが「生きる」ということの醍醐味で、いわばそういうことを味として受け止めることができるようになることが、上手に、そして楽しく生きるということなのではないかと思う。
とにもかくにも。
"大人"であることは、やることがたくさんあって、とてものりしろがあって、どこまでも自由なんだと思う。
物理的な制約の中で、時間や想いなど、そういうものが失われることがあるのは事実だけど、自由になれる可能性は、断然子どもよりも大人の中にある。