Title: 唐揚げとハイボール。49。赤い羽。

想いっていうのは、とてもシンプルなものだ。

人間というのがなんなのか、なにを信じて、なにを想って死んでいくのか。それはとてもとてもシンプルなこと。

例えばそれは、暖かいご飯で結んだおにぎりなんかにほっこりするようなものなんだきっと。その程度でしかないのだ。でもその程度のことに、心から笑ったり泣いたりできるのが人間なんだ。

ただそれだけなのだけど。ただそれだけのことがわかるのにすごく時間がかかった。時間がかかったけどよくわかった。ぷちっとわかった。

死んでいくまでにできることや、考えられることとか、成し遂げられることというのはたかが知れていて、たかがしれている中で必死にばたつくのだけど、でもやっぱり暖かいご飯で結んだおにぎりにできることなんか超えられないんだ。

だから、だれかを言葉で頷かせたり、やりこめたり、立派になることなんかよりも、おむすびを結べるほうがきっと大切な事なんだ。

正直言えば、それは自分がずっと浅いことだと思い込んでいたところなのだけど、その浅さというものが、深さの対比ではなくて、まさに人間のそのものであると思えたことは自分にとっては大きな一歩で。

この一歩が退化なのか進化なのかとか。

そんな言葉もおにぎりの前では無力であり、不言なのだと。深く確信する。生きる意味とか、出会った意味とか、あの時のたらればとか。それもまた無力で不言だ。

自分が30数年で作り上げてきた世界のなかで、価値がないに等しい物が、ある瞬間に一番価値にある物に変わる。この感覚、この気持ちよさ。この体感こそが生きてることだ。

世界はとてもシンプルに出来ている。
シンプルという言葉も無意味なくらいに。

それをややこしく、がんじらめにしたり、ときに派手なミラーボールで着飾ったり、ヤニくらしたりしたりして、必要以上に魅力的に、そして灰だらけにしてばたつくのが娑婆ダバダ。

今年は、いまこの手の中にのった気持ちを確たるものにする。それだけに費やす。

音と空気をもっと。


POSTED @ 2014.01.02 | Comment (0) | Trackback (0)

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