Title: すくすくと。

園ではこのくらいの時期になってくると、日々に目に見えて子供たちの成長というものを感じることができるわけです。しかしながら成長が子供たちにもたらすものは、明るい未来や希望だけではなく、はじめて湧いてくるぬぐい去れない負の感情であったりもするわけです。

4月に入園してきた年少の子供たち、入園当初はしゃべることのできない子なんてのはざらにいたわけですが、この半年でしっかりと自分の想いや意志を言葉で伝えられるようになり、今や、その「伝えることができるようになった自分」を存分に楽しみ、使い、日々の新しい感触を味わうように過ごしています。

はじめて友達に「イヤだ」と言えるようになり、「一緒に遊ぼう」と言えるようになり「自分が主役がいい」と言えるようになる子供たち、耳で覚えた言葉の感触を振り回すように言葉を使い、自分の発した言葉の反応や相手の表情を見ながらその影響の感触を身体で覚えていきます。

そこでは「ありがとう」や「どういたしまして」や「一緒に遊ぼう」「いいよ」のようなポジティブな感覚のつながりにわくわくするだけでなく、当然そこで想いや意見の食い違いにもぶつかります。時に「まだできないの?」「あっちいって」「今日は遊ばない」「きらい」そんな言葉に打ちのめされることもあります。

自分の言葉と感情が結びつくこと、そしてその自分の身につけた力の届く範囲を身体をつかって探っていく経験というのはこの時期の子供たちの大切な成長のひとつです。

まさに今の時期の園では、その成長が原因で様々な問題がおきます。それはいままで何となく成り立ってたものが、芽生え始めた自我と意志、そしてそれを覚えはじめの言葉と行動で表現することで自分の視野と世界を再構築しようとした結果だと思います。子供たちは毎日そこでいろいろな感情を体感して、そこに自分の意志を示し、おぼつかない言葉で落としどころを探して、そして精一杯がんばって心を順応させ強くなろうとしている最中です。

親は子供が家に帰ってくると、今日はなにしてきたの?どうだったの?お友達はできたの?なにかいやなことあったの?と根掘り葉掘りききたくもなるし、その中でたくさん心配もするし、不安になったりします。その気持ちは痛いほどわかるのだけど、でも3歳4歳の子供たちにとっては家を一歩出て、園にいき、集団の中で自分の居場所をみつけようと、意志をしっかりと示そうと、日々嵐のような日常の中で必死に戦っています。それは大人には想像できないくらいの勇気と元気を消耗します。いわんやそんな中で湧いてきた感情をすぐに言葉にすることなど実は大人でも難しかったりします。

そんな1日を過ごしてきた子供が、やっと心を休ませて安心できる家に帰ってきたんだと思えば、かける言葉もすこし変わるのかもしれないなと思ったりもします。そりゃ家ではぐずぐずしたくもなるよなと。

現場にいると子供たちががんばっていることが痛いほど伝わってきます。そして親といるときとは全然違う顔なのだということに驚かされます。

見守るってのはとても難しいことです。親になってみてその難しさがよくわかるようになった気がします。

そして成長というものがすごいスピードで渦巻く中で、そこで五感をフルに使い順応していく子供たちに取り残されないようにくらいついていきたいと、35歳のおじさんもおもうわけです。まだまだ若いもんには負けられんと。

あなかしこあなかしこ。


POSTED @ 2015.11.08 | Comment (0) | Trackback (0)

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