人生於いて、年齢なんて記号みたいなもので、同じフェーズの人間なんて存在しなない。だからこそ、1つの行動や発言は、賞賛にも批判にも値するし、年寄りと若者はわかりあえないのだ。
方便を使うと言うことは、お互いのフェーズをよくよく知り、よく見るだけの観察力が必要だし、僧侶というのは、そういう能力と思考法を身につけなければいけないのかもしれない。
なんてふと。
誤解がないように。年長者を敬わないということではない。わかり合うとため必要なのは、まずお互いの立ち位置がはっきりと違うのだという認識をしっかりと持つところから始まるということがいいたいのです。