Title: ほ。

振り絞るような蝉の鳴き声が夏の終わりを告げているように聞こえる。

でもそれはきっと気持ちの問題なんだろう。蝉はきっと夏の初めから同じ声で鳴いているに違いない。それが精一杯に聞こえるということは、自分の中で夏が終わりかけてきたということなのかもしれない。

この夏を振り返ってみると、泳いで、食べて、照らされて、笑って、怒って、悲しんで、懐かしんで、出会って、別れて。

ほんとこの1ヶ月の間に、色んなものが流れ込んできて、それに押し出されるように手の中にあったものがこぼれた。

この夏を迎える前と、今では自分はきっと少し違うと思う。

1つのことに意識が向いたときに、頭が自動思考モードみたいのにはいって、身の回りに起きることや、得たものや、失うものや、そういう現実が、1つの答えを導き出すように繋がって、大きな流れに押し出されているようにしか思えないくらいに、道が開けるということがある。

そういう時は往々にして、変えられない人生なんかないんじゃないかという気になる。

自分の考えていることや、あたりまえにもっていた持論が少しづつ変化して、その小さな変化が、習慣に影響してきて、その習慣が自分の行動や言動に作用してきて、そういう自分の生き方が、周りにいる人間すらも変えてくる、そういうつながりと影響が、はっきりと目や耳や肌で感じることができると、本当に人生というのは面白いものだと思う。

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例えば100人の人がいて、100通りの人生があって、100通りの家族がいて、100通りの想いがある。

あたりまえなんだけど。

あたりまえだからこそ、もう一度その事実を腹で受け止めないといけないのだろう。

それがわかるということは、いわばここ一番で人と人はわかり合えないということだし、同時に最後は人間1人であるという現実をも受け止めるということなんだろうと思う。

それを寂しいこととか、悲しいこととか、そういう感情に当てはめることがもう、自分の勝手な仕分けで、そんな仕分けを越えたところに生きるということがあるのではないだろうか。

むしろ、わかりあえないからこそ、自己はどこまでも愛おしいし、自分が自分を信じれなくて誰が信じるのだと思えるし、そう思えることで、初めて他人もみんなそうであることに気づけるのではないか。

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最近の自分は、想いや主張や、まげられない気持ちとか、そういう類のものを誰か他人に理解してもらおうと努力するのをやめたいと思っている。

それは視野を広げる努力を怠って、井の中の蛙で、独りよがりでいればいいというわけではなくて。

昔は意見を相手に認めさせようと、バチバチとぶつけて、そこから調和して、自分の世界がこじ開けられて、視野が広げられると信じていたが、ここにきてそれだけでは得られないものがあることがわかったような気がしている。

そうやって広げられるところの限界というのは、いわば人の思考の限界で、人が何かを考えて深めていくときに、想定と想定をぶつけ合っても、想定以上のものにはなりにくいのではないかと思うのだ。

まだ自分の中にあるものがうまく言葉にまとめられないのだけど。

例えば、絵をうまく描きたいと思って、いろんな人の絵を見て、書いて、真似をして、たくさん練習して、うまく絵が描けるようになっても、それは「うまい絵」にしかならないような気がするのだ。

プロセスとしてそれは避けて通ってはいけないところだと思う。

でも描くと言うことはそれで完成ではないし、自分が書きたいのはただのうまい絵の類のものじゃない。

言葉にすると目線がおかしくなってしまうのだけど。

いま自分の思考や立ち位置や他人に対する距離感の取り方というのは、いいか悪いかは別として、自分の中で信じるに値すると思ってる。いままでは、自分の中にあるそういうものに、確固たる信頼というのがなくて、ぶらぶらしたり、ふらふらしてる自分にいつだって自分自身が危うさを感じていたのだけど、今は不思議とそれがなくなったように思う。

もちろん同時に、井の中の蛙で、独りよがりになるような危うさもないし、他人を認める事や自分が変わることや、そこに付随して誤解されたりすることにある種の怖さみたいなものもなくなった。

とどのつまり。

うまい絵よりも先に行くときに避けて通れないのは、自分とどう向き合うかということじゃないかと思うということで。

昔よりも少し、変わることや、失うことや、誤解されることや、傷つけられることや、だれかと比較して悶々とすることや、理想と現実のギャップとか、そういうものは、自分勝手な仕分けだと思えるようになって、そういうことに右往左往しなくなった自分がいて、そんな自分ができてきたからしばらく、そんな自分と二人だけで、じっくり脳内対話をして過ごしてみようかと思っているということがいいたいのだと思う。


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FBやtwitterでいろんな情報にさらされて、色々思わされたことが、ここにきて自分を変化させる要因の1つになってくれたのは間違いないし、フォローしてくれたり友達認証してくれた人達へ向けて、自分がいかにあちらこちらで自分を使い分けていたかも知らされたし、でももうシステム上切り分けたりはできないからいたしかたないと腹括ったことで、自分の中でふっきれたものもあるよってこと。

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それでもまだまだ首をもたげてくる、自己顕示欲とか、優位性の主張とか、そういうどうしょうもないものが見え隠れすればするほど、いよいよ自分の中で、修養がすすむってなもんで。

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どえりゃあねむい。

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ほ。


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POSTED @ 2012.08.24 | Comment (0) | Trackback (0)

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