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Title: 続聖道浄土。
きっと賛否両論あるし、自分にもまだまだ見えていない世界がたくさんあるので、あくまで自分の了解として、でもれっきとした主張としてすべてはき出しておきたい。 聖道・浄土の慈悲について書いて、聖道の慈悲は小悲であって、それでは本当の意味で人を救えなくて、浄土の慈悲は大悲であり、人間そのものに向けられたものであるから、衆生を救えるのは浄土の慈悲によってである。だから自分は、聖道から浄土へのかわりめを大事にしたいと。ざっくりいうと自分の主張はそうなのだけど。 だからといって誰かに手をさしのべたり、今目の前にいる人達に寄り添い、地に足をつけて活動したりすることを無駄だとか、否定しているわけではないし、自分がそういうことをしないと決めているかといえばそうじゃない。むしろ自分の中でそういう気持ちは強いと思う。すぐに感情移入するし、よけいなことまで首を突っ込んでなんとかしたいとか思ってしまう節があるのもいなめない。 それに炊き出しをしたり、自死対策に取り組んだりと活動している僧侶を心から尊敬しているし、そういう人達が現代では、僧侶としてのアイデンティティの一端を守ってくれているのだと思っているし、料理やイベントを通して、若い感性とやりかたで、今の仏教をあぐらをかくことなく発信してくれている人がいることで、世間での仏教や、お寺や、僧侶としての立ち位置をより垣根の低いものにしてくれて、そこにこそこれからの仏教の可能性はあると思っている。 なので誤解がないように言いたいのだけど、社会活動をしている人や、活動自体を無駄だとか否定しているわけではない。むしろ尊敬している。 ただ自分のできることという意味で考えた時に、仏教界では賛否両論あり、中にはあの寺は葬儀請負業者だと揶揄されることもあるが、自坊では頼まれた葬儀はどんな葬儀にでもいくという形なので、葬儀だけでも年間100件近くの葬儀を行う。もしかするとこれからもっと増えていくかもしれない。(今自分がやっているのはその3分の1に満たないくらいだけど)それでもその中で、死の現場にでてみて、たくさんの家族や遺族や、死に様をみる機会は多いと思うし、感情移入したくなくとも、自分の死に様や家族との別れのことや、死んだ後のこととか、いやでも自分に置き換えて考えることが多い。 だからこそ、いよいよ、いつか自分もああやって死んでいくのだなという怖さとか無常観とかも強くなったのかもしれないと思う。だから自分勝手なようだが、自分は外に目を向けている時間があるのであれば、まずは自分のその気持ちにどう折り合いをつけたらいいか考えることに時間を使いたいし、どうしたらそういう想いを払拭できるのか考えている。そしてたまたまこの環境にいれば、その答えを教典や聖人の言葉の中に探すのは自然な流れなのだと思う。 おそらく自分の考えや思考を突き詰めていくとこういう動機付けがあるのだろうと思う。 昔はそれでも、ただ自分の為だけに勉強したり、正直布教とか教化とかどうでもいいし、自分の中でもっと気持ちが楽になれて、安穏とできるところにいけるならそれだけでいいという想いに堂々と胸を張れない部分があって、外に出て行かなければいけないし、もっと僧侶としてのアイデンティティを確立させなければいけないと思っていた。 宗派を越えた若手僧侶の集まりにでたり、布教教化についての勉強をしたり、自分自身で話すことや伝えることを磨こうとしてきたのはそういう想いからだったのだと思う。 そんなこんなで、20代のうちに色々と活動してきて、怖いものを怖いと思う感性も、死んでいくことに折り合いをつけていくということも、こそうやって自分の為にやっていることがこれから先の人生で、誰かの為や誰かの役に立つこともあるのだと思えるようになった。だからきっとこれから先も自分の感性と感覚の中で、教典や聖人の言葉に体感を伴わせながら生きていくというのが、自分が僧侶として進んでいくべき道であると思っている。 大人げないかもしれないが、自分はそんな動機付けと、気持ちで生きているから、社会活動とは一口に言っても、幅は広くひとくくりにしてしまうのはとても難しいし、すべてがすべてではないのだけど、おそらく社会活動というよりも政治活動にあたるような活動に精をだしている僧侶が怒りをあらわに、自分のしていることはさも正しいことだと価値観を振り回している姿に、手元がおろそかになっているような違和感を覚えるのだろうと思う。 また簡単に僧侶は死の専門家だということを言ってしまう僧侶がいることにも違和感を覚える。自分は向き合えば向き合うほどわからなくなるのが死だろうと思っているし、向き合えば向き合うほど軽はずみなことが言えなくなるのが死だろうと思っている。だから「わからない」ということもれっきとした主張であると思うし、軽はずみにわかったようなことをいうような僧侶にはなりたくないと思っている。 ある人の言葉の引用だが、 聖道の慈悲と浄土の慈悲は、何もしない人の言い訳の理屈になっているでしょう。それは一番残念だわね。でもそういうことをいう人はおいておいたらいいのですよ。そういう人のお尻たたく必要もないし、そういう人はそういう人でまた考えることだし、争う必要もない。 これを言いたくなる気持ちはよくわかる。実際真宗の教えの中には、いくらでも言い訳にも逃げ道にもなるような解釈ができるものがたくさんある。実際、歎異抄が書かれた理由もそれが一番大きかったのだろうと思う。 しかしこの発言の中で「何もしない」ということは活動をしていないということを指しているのだとしたら、通夜と葬儀をこなしているだけの僧侶は何もしない僧侶に区分されてしまうようなニュアンスが含まれていることが残念に感じる。 僧侶として「何も活動しない」ということも自分は1つのあり方であると思うし、活動をしていることと同じくらいの比重を持っている場合もあるということを主張しておきたい。 そして外へ向けて、社会に向けて活動している人だけが意識が高く、志が高いのではないと思っている。 そして経験や活動を通しての言葉にこそに説得力が伴うというのであれば、自分は僧侶として当たり前のことをするだけで説得力を持たせられるだけの実力をみにつけてやろうと思っている。 それとこれも引用だけど。 紛争中に武装せずに入っていって、そして、その両方の立場を調停するというこの運動の日本側の運営委員は70歳代の在家出身の西本願寺のお坊さんです。 彼は、3年ほど前に出家したけれども、それまでは会社のサラリーマンですね。縁があって、西本願寺で得度はして、法名を名乗っておられるけども、彼はこれからは、非暴力・平和隊のような活動が一番大事だし、仏教に生きる人間はそういう活動を支える方にまわるということが大事じゃないかと言って、孤軍奮闘の運動を始めている。 それで彼を招いてこの間話をいろいろ聞いたんです。その時に、やっぱりお東の人が、聖道の慈悲と浄土の慈悲の話をあなたどう思いますか、と聞いたわけですね。 その人は、歎異抄の第4章のあの言葉は、親鸞聖人という人が、よほど人々を救おうと思って努力をされて、どうしても救うことはできないという体験に裏付けられて、おっしゃっているのであって、自分はまだまだそういう聖道の慈悲と浄土の慈悲があるのだということは言えない。自分としては、まだ全力を尽くして人々のために尽くすとか、困っている人を助けるという経験は、まだまだ足りないと。足りない人間には、あの言葉はまだまだ吐けない、と言われてね。 それはやっぱり、人を説得する力がありますね。だから、繰り返しだけど、いつもあれを出す人はもう相手にする必要ないですよ。 これも気持ちはよくわかるのだけど、聖人が救おうと努力されていたのは、何から何からを救おうとしていたのかという解釈によって受け取り方が違うのだろうが、自分の解釈では、聖人は荒廃した時代に飢えや飢饉や、災害などでたくさんの死に触れ、死と向き合うことで、人々の死に対する恐怖や想いをいかに掬い取るか、そしてどう生きていくかということを、お念仏の中に見いだしたと思っている。 聖人が佐貫の国に行かれたときに、地震と洪水と飢饉に見舞われたその国で、多くの民衆が疲弊しきっている姿をまのあたりにされ、三部経千部読誦を思い立たれ、読み始めるも、4,5日でそれをやめてその場を立ち去ったという記述があるが、 それこそがまさにのちに、和讃の中で、 小慈小悲もなき身にて、有情利益はおもふまじ 如来の願船いまさずは、苦海をいかでかわたるべき と書かれた動機なのだろうと思う。 つまりは、三部経千部読誦という利益を差し向けるようなことでこの苦しみや悲しみは救えないということに気づいたと言うことではないかと思う。 この言葉の解釈を通しても、自分は僧侶として当たり前に、死に際して、法話をして、遺族と接して行く中で、無力を感じて、ではどうしたらいいかと考える姿勢を僧侶のあり方として間違っていないと思うし、外に向ける時間を内に向けることで、結果として何も活動をしていないとしても、それは活動をするのと同じくらいに大切な事であると思っている。 ただし、目に見えるか見えないかの部分で、言い訳や逃げ道をつくりやすいという点で「動かない」ということは難しくもあるし、いつだって動機付けが曖昧になりがちなのではないかと思う。 自分の中で、一番違和感を感じるのは、動くこと動かないこと、やることとやらないこと、その価値は必ずしもどちらかだけに依るものではないと思っているので、どちらかに偏ってそれを振りかざすということには違和感を感じるし、大きな意味で活動家というカテゴリーにはいる人達と自分はウマが合わないのだろうと思う。 なんていう壮大な自己肯定をしてみたくなったので備忘に残しておく。 |
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