Title: 8日。
明日には33歳の誕生日がやってくる。
坂本龍馬は33歳の誕生日に凶刃に倒れたそうです。幸い自分は命を狙われることもなく平穏無事に誕生日を迎えるのだろう。
例年のごとく32歳分のブログを読み直してみると、昨年は「幸せ」とはなにかということを強く考えさせられた1年だったように思う。
おじさんたちがみんな亡くなってしまって、今年のお正月ははじめて、おじさんたちの独りも居ない正月を迎えたこともあるのだけど、最近いままでにもまして無常ということを強く感じる。
昨年の暮れ、中村勘三郎さんが亡くなった時に、坂東三津五郎さんが弔辞の中で、「肉体の芸術って、つらいね。すべてが消えちゃうんだもの。本当にさみしい」といっていた言葉が妙に心の中にこびりついた。
その言葉を何度も反芻する。
今、自分の考えていることや、人生をかけて積み上げてきたことや、誰かと共有してきた時間とか、自分と誰かにしかわからないようなちっぽけな約束とか言葉とか、その瞬間に間違いなくあった安心感とか、まとわりつくような温かさとか、誰かにとったら既製品と代わり映えしないがらくたのようなものでも、それはまさに「自分」をつくる要素であって、その要素が渦巻いてひとつになって「自分」そのものになる。
その自分もいつか跡形もなくなる。今も遠い過去になるし、たわいもない今日は、そこに1日があったという事実すら跡形もなく忘れ去られる。
あとどれくらい生きていられるかわからないけど、これから先、何年か何十年かたって自分の人生を振り返った時に、「今思えば32歳の頃の自分が全盛だったのかもしれない」と思えるくらいにこの1年を十分に過ごせたと思ってる。
そして、充実していると思えば思うほどに、今は「幸せ」なのだけど、刻々と今が過去になっていくことに漠然と不安になったり、いつまで続くかわからない自分自身に怖さを感じたりする。そう思えば思うほどに、「幸せ」というものの本質が浮き彫りになってきて、「幸せ」にとっては何が必要で何が不必要なのかということがはっきりとわかったし、色々な場面での選択に迷いが少なくなったように思う。
自分がそういう心境になってきて、改めて仏教の役割や宗教の役割ということもよくみえてきた。
こういうのをメメント・モリというのだろうか。
ありきたりなのだけど、今は、いつ来るのかわからないその日までの時間を丁寧に過ごしたいと思ってる。強烈に今を、1年ではなく、1ヶ月を、1週間を、1日を、1時間を、1分を、1秒を。その感触を手に、目に、心に感じて過ごしていきたいと思っている。
この32年間もっちゃもっちゃと、いろんなことをこねくり回して、抹香臭く、理屈っぽく、どうしょうもない堂々巡りをしてきた結果に、行き着いた帰着点が、「日々を丁寧に」なんて、あまりにありきたりで、手垢のついたシンプルな表現なのだけど、今その言葉に重さと質感を感じている。
そんな32歳最後の日。
まえにまえに。
さて。33歳。
POSTED @ 2013.01.08 |
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お誕生日おめでとうございます。たくさん笑って怒って泣いて喜んさ素敵な一年になりますように(^^)
Posted by: pinahaco @ 2013年1月 9日 18:14
ありがとうございます!どんな1年になるのか楽しみです!
Posted by: RYO @ 2013年1月10日 08:59
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