Title: 無常。

原発がなくなれば今よりもより幸せになれると思う所に苦しみというのが生じているのだ。中道に依らない価値観で僧侶が自分の物差しを振り回すのは苦を拡散しているに等しい。人は原発があろうとなかろうと幸せにも不幸せにもなれるということをしっかりと伝えるのが僧侶の役目ではないかと思う。

人間というのは、次から次に救いようのないことをするからこそ、大慈大悲があるのだ。それは紛れもなく何千年も前から変わらない事実だからこそ仏教に意義がある。仏教における幸福、幸せがなんたるかは教典を読めばしっかり書いてあるわけで、まずはそこを紐解くのが僧侶の役目なのではないか。

それは諦観とかあきらめとも違うし、目の前の事実から目を背けてるわけでも逃げてるわけでもない。むしろそれが逃げないことであり、僧侶として目を向けていなければいけないことだと思ってる。そこに依ることができなければ仏法は意義を失う。






POSTED @ 2012.07.17 | Comment (0) | Trackback (0)

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