Title: にわいじり。
今日は朝から、土を耕して、花壇を整えて、土を入れ替えて、花を植え替える。平日の昼間から一人で黙々と土いじり。
なんか創るというプロセスは、農業でも絵でも、詩でも、人間関係でも同じなんじゃないかと思った。なにかを生むプロセスにおいて、大事なのは、その瞬間ちゃんと意識を置くことなんだろうと思う。この瞬間に意識を置くってほんと簡単なようで難しい。
自分は昔から砂場で遊ぶのが好きな子だった。山をつくって、ダムをつくって、砂場に自分の手で世界が広がっていくのが楽しかったんだと思う。それが少し大人になると、シュミレーションゲームに没頭して、ありとあらゆるシュミレーションゲームは熟知しているつもりだし、その後はサイトを創るのが好きになったし、いまじゃ農地を開拓しながら、ビオトープ作りをしているわけで、なんか自分の思考の好き嫌いというのは結局のところ繋がっているのかもなと思った。
それと、農業をやり始めて、ほんとに土のすごさというか、その重要性を身にしみて感じる。農作物なんて土で決まると言っても過言じゃないくらい土の力は大きい。土作りがこれまたおもしろい、すこしの違いで野菜の育ち方がこうも変わるんだもんな。農業、奥が深くそれ故におもしろい。
いつか山の中に自分のやりたいことの神髄を注ぎ込んだ、基地的なものをつくりたい。
全身を使って土いじりしていた帰り道、ほどよい疲れと、痛みを感じて、このここちよさに、やはり健全な精神は健全な肉体に宿るとはよく言ったものだなと思った。これを毎日続けてたら、もうすこし自分はまともな人間になれるかもしれないとすら思った。もっと身体を動かさないとな。
なんか生きているという実感というのは、楽にしていられるところにはないのかもしれない。すこし負荷がかかるくらいのときに、自分はお腹の中から沸いてくるような開放感と、なんか生きてる実感を感じられる気がする。
それと。
世間とか、まわりの人たちの自分に対する評価とかイメージというのは、大概が、自分が自分を守るために必要だからできあがったものであるような気がする。
いろんな人のツイッターのつぶやきをみているとほんとそう思う。
何かを守ろうとしてできあがった自分像がいつのまにか本当の自分であるかのように、自分自身すら勘違いしないようにしなきゃとか思う。
POSTED @ 2011.02.22 |
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