Title: あしたも。たぶんあさっても。

昔、総武線でエレカシを聞きながら、川面の夕焼けをみながらせつない思いをしたので、いまだに総武線+エレカシという組み合わせは、どうにも心の奥底にある柔らかい部分に、これでもかとゆさぶりをかけてくる。

上野動物園では2月にカピパラのソクがなくなって、今月にはカバのサツキがなくなった。サツキが地震で足を痛めたと聞いたので心配してたけど願い届かす残念だ。

これといって上野動物園が三度の飯よりも好きなわけでも、動物が大好きだ!とか言うわけではないのだけど、いつも池之端門から入るので、サツキの前は必ず通るし、そのたびにカバってすごいなぁと思っていただけに、もういないのかと思うとせつない。

さて、4月に入り、幼稚園もだいぶ落ち着いてきて、泣き叫ぶ子どもも少なくなって、子どもたちの遊びにもすこし余裕と幅もでてきた。いつも子どもたちの遊びの想像力には驚かされるのだけど、さすがに10年もここにいるとさすがにこちらも負けていないわけで、自分なりにも遊びの幅を広げる術や、継続性をもたせる導入もできるようになってきて、うまくきっかけを仕掛けることができるようになってきたと思う。

そしてそこから今度は、子どもたちが自分の想像を超えた遊びに展開していく様に感心しながら自分もまたそこに仕掛けていく。そんな日常の一コマが楽しかったりする。

遊ぶってのは簡単なようで難しい、遊ぶという過程の中で育まれるプロセスは、生きていく上で大事な根っこの部分をつくると思う。そしてその大事な根っここそ、大人になって道を見失わずにいるために必要なものであるような気がする。

もっともっと子どもたちが質のいい遊びができる工夫や、引き出しや仕掛けを学びたい。そしてもっともっと遊ぶことをどん欲に突き詰めていきたいと思う。

今月から被災児の受け入れをはじめる。

今、自分にできることは、物理的な支援と同時に、いま抱えているものの精度をもっともっと高めていくことだ思う。

まえにまえに。

POSTED @ 2011.04.22 | Comment (0) | Trackback (0)

コメントを書く。