満天の桜はまるで宇宙みたいで、じっとみてるとふとのみこまれそうになる。
毎年同じ事をいうようだけど、今年もやっぱり死ぬならこの時期にしたいと思った。これから自分の進むべき道が、どんなに苦しくてどうしょうもない人生になったとしても、最後にこの時期に死ぬことができたらそれだけで自分の人生は100点で終われると思う。
でも今年言われて思ったんだけど、それって1年のうちに10日くらいしかないのだな。そこを狙って命尽きる確立ってばそうとうひくいか。でもそこを狙うんだ。きっとそこで死ぬ。
毎年口に出してたらそのうち叶うだろう。
ここのとこ桜の写真を撮りながら思ったのだけど、自分の撮りたいものは、空気で、光で、その時の自分の気持ちのすべてなのだ。自分にとっての写真というものの位置づけはそこなんだということがよくわかった気がする。
そこでもFBシンドロームが首をもたげてくるのだけど。イイネ!がほしいが為に撮り始めるときっとおもしろくなくなる。もっとわがままに、自由に自分の中の湧いてきた心や、気持ちよさをそのまま凝固させて、それを見ればいつでもそこに帰れるようなものを残しておきたいと思った。
結局の所、ここでも自分ってのはつくづく自分勝手なもんだと思う。
誰かに評価される枠に収まったら絶対にそこ止まりだ。だれにもわかんないような、誰にも理解されないような、どうせわかりっこないぜ、わかられたってたまんねぇもん、みたいなところで生きていきたい。そしてそこで生きるためのタフさもっともっとほしい。
誰かの為に生きてるような人間にはなりたくないとか青臭いこと言って、誰かの為になろうと思ってる奴にはたいしたことなんかできやしないとか、とげとげしいことを言いたくなる自分に手を焼きながらも、そういうざらついた部分が自分の中にあってよかったし、なくなってほしくないとも思ってる。
サクラサクラ。
サクラサク。